東京で、AV監督の代々木忠さんに会ってお話ししました。
その件に関して、何名からか、関心を持っていただいているので、書こうと思います。
代々木忠さんについては、宇宙マッサージで知り合った方がTwitterで、代々木忠さんのブログをリンクしていて知りました。
代々木忠さんを堂々と話題にしていると、私はむっちゃAV観てるみたいですが、AVは観たことありません。
タイトルを観たら、大体どんな内容か分かるし、女の人を道具にしているみたいで嫌だから、観たことはありませんでした。
なので、何の気なしにそのブログを読んだ時、ちょっとビックリしました。なんだ、この懐の深さは!
http://blog.livedoor.jp/yoyochu/lite/archives/53804260.html
↑これが、私の代々木忠さんとの出会い。
自己暗示による自己催眠について。
まず、代々木さんのブログを読んで欲しいが、このブログの中に出てくるように、私は自分にネガティブな自己催眠をかけていたと自覚して、がっくりきました。
周りのことを自分なりに考えて、真面目に、一生懸命に。。。のつもりが、自分は報われなくて、どこか満たされず、不機嫌で、配慮が足りなかったり、男の人を好きになっても、大体は「吉田さんの愛は重い」と言われて引かれたり嫌われたり。
好きになっても、相手に彼女や奥さんがいれば、自分で却下。なのに仲良くしたくてウロウロして、うっとおしいと思われ、さらに自己否定を強めていく。。。
たぶん、我慢して、いい子ぶってるから、好きな人には、ぜんぶを預けたくなってしまって重くなるのだと思います。ふだん、隠したり誤魔化している甘えが出てしまう。
そんなパターンの連続で、うまくいかない。うまくいかないから、人が羨ましいし、何にでも素直に生きてる人が羨ましくて、素直にできない自分がもどかしくて、悲しくなる。
そこをぐっさり刺されたようなブログ内容に、目を背けていたことを直視しました。
それから、代々木忠さんの「愛と性の相談室」を知ります。
http://loveandsex.jp/
↑「愛と性の相談室」
ここに書いてあるコラムや、愛と性のヒントの映像に衝撃を受けます。
自分に当てはまるもの、自分と同じようなネガティブな悩みをもつ女性の悩みに真剣に耳を傾け、また実際のAV映像から抜粋した「愛と性のヒント」は、監督と男優がタッグを組んで、女性の深い闇を受け止めている。
映像に映っている女性は、ことの始まりと終わってからは、まるで別人。
私にも、闇があり、それはここでは詳しく書けないけど、その暗部を思うと、女性としての自分に素直になれなかったり、こんな私を受け止められる男性など、この世にはいないと思っていた。
男友達はたくさんいる。だけど、私は自分を女性として意識せずに付き合っているから、なんなく楽しく居られるけど、そこに恋愛感情が入ると、一気に面倒になるし、私自身が面倒くさい人になって、恋愛が苦痛になっていた。
みんな恋愛を楽しんでいるけど、私は楽しめなくて、みんなはいいなぁ。。。と羨ましく思い、そして、自分や人に対する苛立ちや満たされない思いに、業を煮やしていた。女としての私の悲しみは、時に爆発して、自己嫌悪したり。。。
そういうのを、どうにかしたかった。
実は今回の旅の始まりは、この相談が決まってから予定が立っていきました。
道に迷って、予定から、少し遅れて着いた私を快く迎えてくれた代々木さんは、とても穏やかな方だった。
そして、人間には、思考オクターブ、感情オクターブ、本能オクターブという3つの輪で成り立ち、特に大切なのは、感情だという。
感情=自分
感情を閉じていると、依存的になり、排他的にもなる。
また、それ以上に閉じてしまえば、多重人格になっていく。
思考=他者や社会
私は、思考傾向が強くて、感情を閉じているから、依存的になり排他的になるのだという。
そして、代々木さんは「今しかない」と言った。
例えば、妻帯者の方と恋愛みたいな感じになった時、それは思考で考えれば不倫で社会的によくないことだけど、感情に従ったらいいという。それは、今しかなく、その時でなければ意味はないと。
えー!
とも思ったのだが、もし、そこで、本当はセックスしたいと思っているのに、我慢した方が執着や嫉妬が生まれるのだから、本当はと思ってるならやれと。
感情は自分だ。
社会や他者のいうことばかり聞いて、閉じ込めた感情を解放してあげて、思考という社会から旅立ちなさい。
そう勇気づけてくれました。
ちょうどギターを持っていたので、御礼に代々木さんに、どんとの「おめでとう」を歌って聴いてもらった。
歌に感情が出せているから、まず歌から感情を出したらいいと言ってくださった。
感情を閉じて思考で考えている時は、周りのことを考えているようで考えられてないような時がある。
代々木さん曰く、思考と本能は、実はつながっているから。本能は欲でもある。防衛本能で理詰めで言い訳するのはその為かと。
3つのバランスがよく力を発揮していけると、思考は理性に、感情は霊性に、本能は母性に変容を遂げていけるのだとか。
AV監督とは思えない心理学や哲学のような話だけど、極めるとこうなるのかな。
感情を出して人と関わるのが怖かった。
嫌われる。嫌がられる。ひとりにされる。ひとりになる。
ひとりになる。
というのが怖かった。ひとりだし、ひとりが好きだと思っていたけど、とことんひとりになる。世界中から背を向けられてしまうような、誰にも振り向いてもらえないような、不安。
それを感じていたから、そうなって、それを自分で作り出していたのかもしれない。
私はひとりが怖いし、淋しい。
そう認めたところから、感情という自分と手をつないで、思考という他者の言葉から旅立てるのかもしれないし、そうしていきたい。
それは、もちろん自分の為に。
だけど、思考に凝り固まって、散々嫌な思いをさせてしまった人たちの為にも、今、一緒にいる人たちや家族の為にも。
少しずつ、私のペースで。
感情という自分を出していきます。
そして、感情を出していけたら、ひとりであることも楽しめ、自分以外の他者にも、本当に思いやり合える、愛ある生き方ができる気がする。