2014.9.6    六根清浄の大祓 | 霊観占 大幸(れいかんうらない だいこう) 

霊観占 大幸(れいかんうらない だいこう) 

「あなたの悩みに 救いの手を!」

宇宙の神秘があなたを導きその神秘を解き明かすのが観音様です。
自分の幸せを掴む人生の旅を続けてください。 



神様や観音様にお願いするときって、時として、願望成就の欲望を叶えるためだけのお願いになってしまう可能性もあります。昨日のブログに、神様、観音様から観た生き物に対するお気持ちは皆平等とお話をしましたが、人間の欲望に対しては、凛とした目で見通されている気がします。


こんにちは、峰 ゆり子です。


わたくしたち人間の欲望って尽きることがありません。特に女性の場合は、たくさんの洋服やバックや靴を持っていても、新しいものが欲しくなるお洒落さんが多いです。これも可愛い欲望のひとつですよね。神様の世界から見ると、それが単なる欲望なのか、魂という深い部分からお願いしている切望なのかをしっかりと見極めているようです。


お恥ずかしいお話なのですが、15歳~16歳の時、無謀にも芸能人にあこがれてオーディションを受けたことがありました。その時、文助おじさんにお願いして観音様と御目通りさせていただくことを切望したのです。この時の様子を少しだけ書かせていただきますね。



御目通りさせていただいたお方は、弁天龍神様の御長女でした。


わたくしの左側に文助おじさんが正座をして、わたくしも目隠しをされて正座しました。その時、深々と頭を畳に付けるようにしなさいと申し受けました。文助おじさんがお経を上げ始めてほんの数分後、わたくしの右後方から生ぬるい風が吹いたと思ったら、生地と生地のすれる音とミシミシと重たい何かが歩いて来たのです。いきなり天上から、甲高く鋭い声が聞こえました。


「何回も何回も呼ばないでください。わたくしも忙しいのですから」。


たぶんその日一日で何回かお会いしているのでしょう。文助おじさんが怒られていました。


「お忙しいのは重々承知です。本当に申し訳ございません。隣に座っているのはわたくしの姪なんですが、たってのお願いがございまして、…」。


この様な感じでした。


わたくしはと言いますと、心の底からこみあげる涙が止まりませんでした。


「ご住所とお名前と生年月日を言いなさい」。と女性の声がしました。


「両親のお名前は」。


「…」。


「違うでしょう。あなたのご両親は離婚されているんですよ。正式なお名前を言いなさい」。


怒鳴られた声にビビり、震えが止まりませんでした。



その後の結果はどうなったかは、またの機会にお話をさせていただくとして、そのくらい天の方は怖い存在なのです。



わたくしは毎日お経を唱えておりますが、祈りは天に届ける純粋なエネルギーです。



お香は、微量な風に乗って天に届く神聖な煙ですが、お香はお香を焚く者の身体をきれいにするという意味があります。わたくしたち人間の身体は、五根(眼・耳・鼻・舌・身)という5つの感覚を起こす器官をもって生かされています。その器官からは、それに応じて様々な反応を起こしたり行動に移していくわけですが、お香が発する香りは鼻によって得られるものです。お香を焚く一つの理由として、私たちの身も心もきれいなものに清めるという意味がございます。



経本の中には、『六根清浄の大祓』があります。


「六根清浄」の「六根」とは眼根・耳根・鼻根・舌根・身根・意根の六種のことで、魂や心などと言われてる第六感のことを言います。この六根が清められることを「六根清浄」と言います。



六根清浄の大祓


天照皇太神の宣はく

あまてらしますすめおおがみののたまわく


人は則ち天下の神物なり

ひとはすなわちあめがしたのみたまものなり


須らく掌る静謐心は則神明の本主たり

すべからくしづまることをつかさどる こころは すなわち かみと

かみとの もとのあるじたり


心神を傷ましむること莫れ 是の故に

わがたましいをいたましることなかれ このゆえに


目に諸の不浄を見て 心に諸の不浄を見ず

めにもろもろの ふじょうをみてこころにもろもろの ふじょうをみず


耳に諸の不浄を聞きて 心に諸の不浄を聞かず

みみにもろもろのふじょうをききて こころにもろもろのふじょうをきかず


鼻に諸の不浄を嗅ぎて 心に諸の不浄を嗅がず

はなにもろもろのふじょうをかぎて こころにもろもろのふじょうをかがず


口に諸の不浄を言いて 心に諸の不浄を言わず

くちにもろもろのふじょうをいいて こころにもろもろのふじょうをいわず


身に諸の不浄を触れて 心に諸の不浄を触れず

みにもろもろのふじょうをふれて こころにもろもろのふじょうをふれず


意に諸の不浄を思ひて 心に諸の不浄を想はず

こころにもろもろのふじょうをおもひて こころにもろもろのふじょうをおもはず


此の時に清く潔き偈あり

このときに きよく いさぎよき ことあり


諸の法は影と像の如し 清く潔ければ

もろもろののりは かげとかたちのごとし きよくきよければ


仮にも穢るること無し 説を取らば得べからず

かりにもけがるることなし ことをとらば うべからず


皆花よりぞ木実とは生る 我が身は則ち

みなはなよりぞこのみとはなる わがみはすなわち


六根清浄なり

ろくこんしょうじょうなり


六根清浄なるが故に五臓の神君安寧なり

ろくこんしょうじょうなるがゆえに ごぞうのしんくんあんねいなり


五臓の神君安寧なるが故に天地の神と同根なり

ごぞうのしんくんあんねいなるがゆえに てんちのかみとどうこんなり


天地の神と同根なるが故に万物の霊と同体なり

てんちのかみとどうこんなるがゆえに ばんぶつのれいとどうたいなり


万物の霊と同体なるが故に

ばんぶつのれいとどうたいなるがゆえに


為す所の願いとして成就せずといふことなし

なすところのねがいとして じょうじゅせずということなし


無上霊宝 神道加持

むじょうれいほう しんどうかじ




お経は、朝夕の感謝の気持ちを捧げるためのものです。


お食事をするとき「いただきます」。「ご馳走様」。と感謝の気持ちを食材に伝えますが、それと同じです。


日常は、すべてに対して感謝のお気持ちをもってお祈りを捧げることで、天が与えてくれるエネルギーを感じとれると存じます。


皆様の今日もさらりさらりゆるりゆるりとお過ごし下さいませ。


それではごきげんよう。


霊観占い大幸(合掌)