いよいよ、治療院マーケティング研究所とのタイアップによる
Brain Update コンプリート・プロジェクト
6ヶ月間コースが10月からスタートします。
 
東京・大阪で開催した体験会は、笑いあり、涙ありの感動的なものとなりました。
 
100名以上の方がこの半年間で大きな変容の旅をスタートしようとしています。
 
そこで、私自身が30年前に同じようにキネシオロジーに出会い
人生を変える覚悟を決めた時のエピソードを再掲載しようと思います。
 
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私が脱サラし、マインドアップデートの道に入ったキッカケについて、当時アドラー心理学を学んでいたヒューマン・ギルドのニュースレターに投稿したものが残っていました。
自分自身が初心に帰る意味も含めて、ご紹介させていただきます。


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◇◇私の八月革命◇◇ 

 1991年8月、「ゴルバチョフ失脚」の第一報から始まるソ連での政変は、めまぐるしいスピードで進んでいきました。 
 時を同じくして、私自身の人生も大きな変化を迎えていました。 

 私は、企業研修を行う教育団体でクロス・フィールドというオリエンテーリングを高度にしたような野外行動学習のインストラクターをしています。これは、企業人の意識改革を図る上で「座学による知的納得に加え、野外での実践的行動から体を通して学ぶ」というプログラムです。 
 
 
 しかし、もっと深いレベルで行動を変えていく上では、体の歪み、筋肉の緊張といった、身体そのものにアプローチしていくことの必要性を感じていました。そんなわけで、9月から「身体心理療法学院」という学校に仕事を続けながら、勉強に行こうと思っていました。 
 学校は、土日2日、平日2日の月4日間通えばよいので、有給をとって通わせてもらえないかと上司に相談しておりました。 

 ほぼ、それで大丈夫だろうと思っていたところ、総務部長から話があり、「社員という形では、他の社員への影響もあるので、やっぱりまずい。社外講師という立場ならいいだろう」とのことでした。 
「そんな方法もあったのか。自由がきいてかえっていいや」という気持ちと、「それで食っていけるのだろうか」という不安が織り交ざった心境でした。
ちょうど8月20日「ソ連でクーデター発生。ゴルバチョフ失脚」
のニュースに世界中が動揺している時でした。 

[人生を本気で変えたい方]の為のブログ   映画「マイ・フェアレディ」の様に、ガラリと人生を変えてみませんか?

  
 社員としては8月一杯ということが決まり、最後の出張も終え、「サラリーマン生活もあと数日だな」 
と感慨にひたりながら、少しワクワクする気持ちで出社しました。すると、何か様子が違うのです。私の不在中に状況が急変していたのです。 
  
 私が行こうとしていた学校が、
「何か変な宗教と繋がっているのでは」というような誤解から
「社外講師という話はなかったこととし、会社に残って学校を断念するのか、学校をとって会社と縁を切るのか、選択は二つに一つだ!」ということになったのです。 

 いきなり、下から梯子を外されたような、あまりに急な変化に唖然としてしまいました。 


「人生の 転機に立ちて 眺むるに
           明日は嵐か 快晴か」
 


 時はまさに、クーデター失敗のニュースがテレビや新聞を賑わしている頃で、ソビエト情勢と自分自身の人生が二重写しに感じられました。 

「我が道の 自己変革(ペレストロイカ)の行く末に 
       何が待とうと ただ突き進まん」
 

「ソビエトに 起こりし変化 見るにつけ  
       世界は我が身の 鏡に似たり」
 


 さあ、どういうことになるのやら…。しかし、どういうことになっても、多分必要なことが起きているのだろうから、長い目で見れば「良かったな」ということになるだろう…と意外なくらい落ち着いていました。 

 また、どういう形になっても会社とはケンカをせずに別れよう。何といっても、この会社での約十年という日々があったからこそ今の自分があるのだし、それを最後に否定してしまったら、この十年の自分の人生まで否定することになってしまう。 


「結末が どちらの道に転ぶとも
        変わらぬ思い 十年の恩」
 
  
「人生に起こりし全ての出来事に
      無駄なきならば 何をか学ばん」
 


 以前の私なら、会社に食ってかかり、ケンカ別れをしていたことでしょうが、とても冷静に主張的に会社側と話し合いができました。これもアドラー心理学を学んだお陰だと感謝しています。 

 また、ある先輩からは「君がやろうとしていることは、社会的にはまだ認められていないし、正統派というよりは亜流の部類に入るのではないか。日の当たらない道を歩くより、お天とう様の当たる表街道を歩いた方がいいぞ!」というアドバイスをいただきました。 
 しかし、誰もがやっていることならば、自分がやる必要はない。むしろ、人がやらないことだからこそ、今自分がやる意味があるのではないかと発奮しました。 


「今はまだ 行く人少なき道なれど 
     やがて日のさす 大路にならん」
 


 そして、8月31日、いよいよ結論の出る日を迎えました。台風十四号がまさに通過せんと、風雨が吹き荒れていました。 

「目標が 地図からはみ出すものならば 
     信じて進まん 我がコンパスを」


 その頃の私にとって社長は、雲の上のような存在でした。 
 しかし、「何とか自分の想いは、社長に伝えておこう!」と、
詠んだ詩を短冊に綴り、秘書を通して社長に送りました。 


 腹をくくって最後の面談に臨みました。 
 意外なことに結論は
「君の思いはよくわかった。やっぱり社外講師という形で関わってほしい」ということでした。 

「台風の 過ぎ去り後の青空は
       以前に増して 目にしみる」
 

 

$田中信二の「人生を本気で変えたい方」の為のブログ



 まさに台風一過の日本晴れ。 
 最初に「明日は嵐か快晴か」詠いましたが、結局両方が来ることになりました。 
 しかし、最初の空の青さと、嵐の後の空の青さは、やっぱり違うのです。 

 物事のありがたさというものは、失った時に初めて気づくということも多いようです。 
 この嵐のお陰で、会社に対する依存心や甘えからくる不満は吹き飛びました。 

 そして、「男一匹、自分の目標さえ見失わなければ、何をやったって生きていける。これから俺がやろうとしていることが、世の中に役に立つことならば、必ず食っていけるはずだ!」
という開き直った気持ちが自分を自立させたように思います。 

 このため、再び「社外講師という形で関わってほしい」と言われた時には、浮かれるわけでもなく、坦々とした気持ちで
「最終的には、やっぱり一番良い方向に治まったな」
という自己信頼と感謝の気持ちで満たされていました。

 状況はこれで一段落しました。しかし、私自身の革命は終わったわけではなく、今まさに始まったばかりだな…。 
 そんなことを感じている今日この頃です。 
 
1991年9月

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 16年前に書いた文を今あらためて読み直してみて、自分の原点に戻った気分がします。 
 91年8月31日に脱サラをし、偶然にも15年後の同じ日に 脱鳶をして新しいステージに移っていたとは、感慨深い思いです。本当に私自身の革命は今も続いています。 

 また、あの時は、誰から何を言われても全くぶれない自分がいました。 
 芯がまっすぐ通り、頭の中も驚くほど冴え渡っていました。そして、自分の思いが即座に短歌となってあふれ出してくるのです。 

 あの頃は、「セラピー」とか「癒し」という言葉は、ほとんど聞いたことがないような時代であり、会社では、「隠れ切支丹」のような存在であったのを思い出します。 
 それが、今では「癒し系」なんていう言葉が普通に使われるようになっています。 

 そして、今、ロバートキヨサキや本田健の登場により、経済的自由人(右側のクワドランド)を目指して、起業する人が増えてきました。しかし、まだまだ一般的には胡散臭く思われがちでもあります。 
 特に、親の立場からすると「そんな夢みたいなことを言ってないで、ちゃんとした会社に就職して働きなさい!」と言いたいところなのでしょう。 
  
 しかし、誰もがやっていることならば、自分がやる必要はない。むしろ、まだやる人が少ないからこそ、今 自分がやる意味があるのです。 


「今はまだ 行く人少なき道なれど 
    やがて日のさす 大路にならん」
 
 
2007-01-27  田中信二
 
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こうして、30歳で脱サラし、身体心理療法学院に入学することができました。
 
 
その学院の説明会の時のエピソートを追記したいと思います。
 
 
学院の学費は3年間、月に4日間のカリキュラムで500万円でした。
 
しかし、その当時私にはそんなお金はありませんでした。
 
18歳〜22歳まで自衛隊で勤務したことがあり、
その時の退職金の250万円を郵便貯金に入れていたので、
それを降ろしてみることにしました。
 
すると、当時は金利が8%で回っていた為、8年間寝かしておいたら
なんと倍の500万円になっていたのです!
 
そのお金を右から左に流すことで、私は、無事入学することができたのでした。
 
 
 
その説明会に、当時付き合い始めていた私の彼女も隣の机に座っていました。
 
「私はこの学院に入学する!…でもお金がない」
 
すると、隣の席に座っていた年配の女性が呟きました。
 
「私、お金はあるんだけど、私は別にいいな…」
 
「だったら、私に投資して下さいませんか?」
 
「いいわよ!」
 
 
こんな形で、彼女は、なんのあてもなかったところから
偶然(必然的)出会いによって学院に入学することが出来たのでした。
 
 
 
決断したら扉が開かれる!
 
 
ということを初めて体感したエピソードでした。
 
 
この時、自分の軸が通り、どこから押されてもビクともしない
 
自分軸が通ったのを体感しました。
 
 
 
これが後に「身口意一体」の状態であることを知りました。
 
 
それまで、私は三人兄弟の末っ子で
 
とても優秀でしっかり者で
学校の成績もほとんどオール5の姉と
 
同じくしっかり者で柔道をやっていて
何をやっても敵わない兄と比べ
 
いつも「自分はダメなんだ!」と思っていました。
 
 
この為、学校の成績は、音楽の図画工作は4と5だったものの
 
あとはオール3で、劣等生でした。
 
 
しかし、学院に入って
 
初めて、興味のあることを自分で選んで学び始めると
 
まるで乾いたスポンジに水が吸い込まれるように
 
吸収することが出来ました。
 
 
そして、50名の学院生の中で
 
ダントツ、トップで走り抜け、
 
以来30年間、キネシオロジー業界の草分け的存在として
 
現在に至っています。
 
 
 
つくづく、人が本領を発揮できないでいるのは、
他人から植え付けられた「価値観のUSB」に乗っ取られて、
自分自身を生きていないだけであり
 
 
 
その他人の価値観のUSBを抜きさえすれば
 
どんな人も、その人の最高価値に従い、天命・天賦の才能に目覚め
天才性を発揮することが出来るのだ!
 
 
 
ということを、私自身の実体験を通して確信しています。
 
だからこそ、一人でも多くの方に
 
私のこれまでの人生での学びの集大成とも言える
 
キネシオロジーを発展させ、独自に開発した
ブレイン・アップデート・メソッドをお伝えしたいと思っています。
 
 
田仲真治
 
2020年9月21日 加筆
 
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《「人生を変える旅路」初めから読む方はこちらから》
人生を変える旅路① 旅立ち

≪つづき≫「人生を変える旅路11 自分がもう全てを持っていることに気づく」
http://ameblo.jp/mindupdate/entry-11151801003.html