中身つくる -8ページ目

中身つくる

自分の中身つくろ

とにかくあのポジティブなかんじが嫌だったり、ゴリゴリしている感じ。
無理をしろという押しつけがましい感じ。

とても嫌だ。


と言う人も多い。
私は両方だ。
時にはすごく活発に。負を出さない感じで。無理なんて何もないかのように。
別の時は全部適当に、熱なんて何もない。無理なものは無理だ。


人だもの、色々あるさ。
私の本領はいかに楽しむか、いかに楽をするかで発揮される。

今回のテーマに沿ってやっていく。
1.360°どっちをむいても行き先だ
2.後ろはむかない
3.嘘は楽しくつく
4.自分はいつも中の上

さぁどうだ。イメージ出来る人は相当適当ですばらしい。

1.360°どっちをむいても行き先だ
  ゴールを決めて自分なりの努力を最大発揮するのは疲れるもの。
だからそんなことはしない。するのは自分がいればそこがスタートで死んだら終わりだか次へのスタートがある。掘っておいても時間はすすむ。

2.後ろはむかない
  自己啓発しないからと言って辛いのは嫌だ。後ろを見るってのは思い出だとか懐かしさだとか良いこと思い出す(違う人は相当辛かった日々を過ごした事を自慢して良い。)

3.嘘は楽しくつく
  正直にいきたりするのもなかなか辛いが、嘘つきというのもつらくなることがある。ほどほどは自分にしかわからないかもしれないけれど周りの人のご機嫌を損ねるというのは自分に返ってくるのでメンドクサい。だからうそを付くときも冗談だよっとわかりやすく。笑いながら。

4.自分はいつも中の上
  人って上でも下でもつらいもの。勿論中間管理職だってつらいけれど。上も下もいるから楽になることの方が多いもの。初めは辛いことばかりかも知れないから発散方法みつけよう。


仕事だけじゃなくていつだってみんな笑えたら最高。
別に笑うことはできなくても怒ったり泣いたりは疲れるよ。

思い切って環境変えたり友達変えたり。
私は全員同じようにおつきあいできるけれど。
自分で自分が笑うためにはたまに啓発しちゃうよね。
…ところで啓発の意味知ってます?

【啓発】教え導き、より高い認識・知識を得ること。


みんなしてる普段してることを大層に言っただけじゃ?
ならするもしないもないよね。

おおざっぱな言い方をすると以下4つ

1.仕事
2.国境
3.教育
4.個人


1.仕事については法整備はいつも後から付いてくるモノなので先行するものと問題になるものが出るでしょう。
ただし、問題は法に触れるかどうかではなくそれが求められているのか、深い思想に基づいているかです。そのときがきたなら見極めるのは自分です。

2.国境は便宜上必要不可欠です。そこを組み替えると言うことは経済的、倫理的にもとても大きな問題です。インターネットの落ち着きがその後国境に反応をせまるでしょう。

3.教育は変わるだろうし変わるべきであろう。それは様々な方面の人が感じているし訴えていることでもある。利益以外の思想が引っ張る形には変わりはないだろうが、どう収束するかは全くわからない。

4.それぞれの変化が個人も変えていく。逆もあるだろう。個の起こす大きな波は誰もが経験したことのあることなのだから。それが自分であるかも知れないし、自分が関わるかも知れない。


自分だけで自分の考え方を広げるというのは非常に難しい。

時々考え方をひろげたとかどうだとか言う人と話をするが全く変化はみられない。
時間をかけて考える問題だが答えも結果も急ぎすぎている。それ自体は普通のことかと思いつつ評価を急ぐのは結果として変化を止めることが多いので注意したい。

では、本題ではあるが自分の殻を破るにはどうすればいいのか。



単純に自己否定をすれば良い。



単純ではありつつも絶対で唯一である。
そしてそれをしているという場合にももう一度読んで欲しい。
何故なら、自己否定するというのは段階があり初段で止まっていると全く否定したことにもならないからだ。


どうすればできるのか。
1.テーマを決める
2.自分の意見をまとめる
3.否定①
4.休憩
5.前提条件を見直して否定②
6.落ち着く


因みにこの方法は下手すると危険思考に走ることがあるので予め注意すること。
この世界は何はともあれ愛と優しさに溢れている。もし気づいていないとすればそれは私が愛と優しさを伝えるためだ。連絡してみるといい。

出す側と、拾う側
出させられる側と、拾う側
出す側と、拾わされる側

2010年現在、情報の重要性はよく語られる。
情報なんて…というような会社のおじさまたちも実際に話してみるとそれなりに頑張っていたり、それこそ外に流れていく情報としては”苦手”である年齢の人も十分に活用している。


そこで、特にこれから社会で戦っていく若い世代(30中盤くらいまでだろうか)に十分に考えておいて貰いたいと思います。



情報は常に呵責が必要である。
情報は流した側の優位である場合と、もちろん逆もある。
”情報の新しさ”で勝負することの難しさ


と以上の事柄を少し考える。

1、情報は常に呵責が必要である。
異論のある人はいないだろうと考えられるが、実際に踊らされる人は多い。そして踊らせようという意図も多い。新聞を書いているのは同じ人であるし、TVも同じく。また営利関係の問題で話しにくいことも多々ある。
最近本当に注意するべきなのは情報番組である。
あたかも正しいように色々教えてくれるがそれだけ自分が知らなかったことを知れたのであってそれが全てではない。

2、情報は流した側の優位である場合と、もちろん逆もある。
流した側優位は分かり易いように思うが逆もある。最近の情報はtwitterやブログ、まとめサイトと多様に広がっていく。ニュースとしては届かない人が減るのは良いことだが、それを逆手にとって流してやろうということもある。そして流すことを強要されていることも気づかないうちにある。
それは情報を流そう、共有しようという意識があることを利用して、ガセネタを広めてみたり悪評を作ることが可能なのだ。
TVでもなんでも最近の情報集めはゆるいのでこまる。

3、”情報の新しさ”で勝負することの難しさ
情報は手に入れやすく、新鮮で注目されることは難しい。
ただし、信頼できる情報を流し続けることは難しく価値がある。
また親しみのある情報は今もっとも信頼と注目を集めている。

情報は今拡散しまさにクラウドのごとく、スパイダーネットのごとく広い場所から、小さい存在から集めることが出来る。


 世の中には色んな人がいて色んな主張をします。


 今回は”正義”
 私は上下色々な人を見る中で、また書物などをみても結果として自分の得た答えは変わりませんでした。
それは、自分が”正義”であるということ。

 簡単にいうと自分の間違えを本当に認めれる人はほぼいないという事です。
これは様々な反感をいただいたのですが、最終的に今までは全ての人にご理解いただいてます。

 例えば 私が間違っていました と言う発言にどれだけの人が納得できるでしょう。間違いを認めるというのはそれを指摘されることがほとんどの場合前提となりますが、それを認めるほど相手のことを理解できているでしょうか。相手が何を指摘したなかで伝えたかったのか。
実際のところ指摘した本人でさえ感情的でなくても本質を理解してないことがおおいのです。

 事実、喧嘩の結果お互いが理解を示したつもりでも同じ喧嘩が何度もおきたりします。

自分が間違ったと いう主張そのものがエゴである