夕闇。
足音2つ。
狼の遠吠え。
すすり泣きのような音。


不気味だ。
これだから、夜は嫌なんだ。
人間は夜行性じゃあないのに。
夜は、大人しくベッドに入っているべきなのに。


『お腹空いたよ……』


そんなの、僕だって同じだ。
僕だって、お腹と背中がくっつきそうだよ。
流石にこんなに食べなかったのは初めてだし……。


『足、痛いよう……』


それも僕だって同じさ。
いくら僕の方が大人だからって、背の高さは変わらないんだぞ。
歩いてる距離は一緒だから、単純に考えて足を動かしている回数も変わらないんだ。


『お兄ちゃん、私、もう疲れた……』


煩いなぁ。
グレーテルの声は高いから頭に響くんだよ……。


『いつになったら休憩するの?もう、ここら辺で休もうよぉ……』


………ああ……。
もう……。



『ねぇ、おにぃ『うるせえなッ』』



もういい加減にしろよ⁈
さっきから……。


『一人でブツブツブツブツ……。耳障りでうるせーんだよ‼俺は今一生懸命やってんだよ、甲高い声でキーキー鳴いて邪魔すんじゃねぇよ‼おい、解ってんのかよ、俺は今泊まれるところを探してやってるんだよ。お前はまだガキで女だから野宿を避けようとしてやってんのに、文句ばっかり垂れてんじゃねえよ‼』



『…ッヒ……っく……』




あーあ……。
また、自分の“嫌いな自分”がでてきてしまった。









『どう……なんだろうね……』



あの人はグレーテルのことを愛している。
そう断言はできない。
だけど、愛していない訳ではないと思う。



『でも……取り敢えず今日まで養ってくれたんだから、そこは感謝するべきだよね』



今日までは優しくしてくれた。
僕にはそれで十分だ。
少し不満気に頷くグレーテルはそう思っていないだろうけれど。



『お兄ちゃん、ところでさ。私……お腹が空いちゃった。それに、足も痛いよ』



そう言えば、もう随分と暗いな。
さっきまであった2つの影はもうなくなっているし。
数メートル先は何があるか見えない。
それに、幾つかの鳥が羽ばたく音が聴こえたと思ったら、梟の低い鳴声が聴こえてきたし。



『もう夜なんだね』




そう、夜になったのだ。



夜……。
それはつまり、魔物達が活動を始める時刻だ。













でも、こんなに昔のことを何故今思い出したのだろうか。
少しは覚えていたけれど、グレーテルに話しているうちにもっと色々なことを思い出した。
というか、逆に何故今まで忘れていたのだろう。
母さんの死後に母さんの声が聴こえたことなんて、全然覚えていなかった。
僕の記憶は曖昧になっているのか。

『お兄ちゃん。私ね、思っていたんだけど……』

『なんだい?』

『さっきの話では、お母さんは昔怖い人だったんだよね。でも、私には優しかったよ……この間までは、だけど』


そうか。
そう言えば、つい最近まではいい人だったな。
僕も、昔のことを忘れていたから、あの人がこんな人だと思わなかったし。
あ、でも……たまに僕にだけ冷たいことがあったかも知れない。

『母さんは、多分グレーテルのことを心から愛しているんだと思うよ』

『だったら何故、私を捨てたのかな。普通の親子だったら、子供を捨てるなんてことがあるはずがないし……。それにさ、さっき……お母さんが、私のことを厄介な子だって………。お母さんは最初から、私が10歳になったら捨てようって思ってたのかなぁ……?お母さんはずっと私のことを厄介者とか、面倒だとか思っていたのかなぁ?」』

『それは………』


厄介者、か。
確かにそんなことも言っていたな。
でも、僕からすれば、“私の子供”って言ってくれたんだから充分だと思う。
だってその言葉は、グレーテルをまだ愛している証になるのだから。













「ゲルトルート…?お前、大丈夫か……?」


どこからどう見ても、あの人は正常じゃなかった。
とてもアブナイ眼をしている。


「あのね、リューディアさんなのよ。リューディアさんがいけないの。あの人は魔女のくせに幸せ過ぎたの。私と正反対なの。だって、魔法を使ってあなたを虜にした。ヘンゼルっていう可愛い可愛い子供もいる。余る程って訳じゃないけど、満足に食べ物だってあった。それ、リューディアさんなのよ。もう私は絶望。私は何もない。それもリューディアさんが悪いからなの。ねえペーター、そうでしょう?私が正しいのでしょう?私は間違っていないのよね?わたしはあなたの全てよね?魔女は悪いことよね?魔女狩りをするべきよね?…違う、ヘンゼルよ。ね、ねぇあなた?ペーター?私達の子供は何処にいるの?ねえ。あの子は何処?私の可愛い可愛い女の子…?あれ?何処?リューディアさんがまた奪ったの?そうなのね?またリューディアさんがいけない事をしたのね?じゃあ殺さなきゃ。殺してあげるわ。ペーターのために。リューディアさんを殺したら喜んでくれるでしょう?ねえ、私だけのペーター。あと、リューディアさんが死んだら私の可愛い子供も還ってくるかしら?来るわよね、だってリューディアさんが殺されたらペーターが喜ぶのだもの」



気味が悪い。
彼女は取り留めもなく矛盾したことを呟き続ける。
彼女の理想、妄想の世界に入ってしまったのだろうか?
でも、それにしては気になる単語が幾つかあった。


例えば、『魔女』。
彼女の話から推理すると、リューディア……僕の母さんが魔女ってことになるらしい。


それに、『私の可愛い子供』。
その時の僕には……というか今見てもそうなんだろうけど、あの人は結婚している様には見えなかった。
でも、ただの妄想とは思えなかった。





ねえ、グレーテル?
君がうちに来てから、もっと色々なことが分かったんだよ。
グレーテルは、所謂『鍵』なんだ。
君の存在が全ての謎を解き明かしてくれる。




これから、魔女の家に行こうか。
そうしたら、僕とグレーテルの本当の関係が分かるかも知れないよ。







グレーテルは言う。






『お兄ちゃんの行くところに、ずっとついて行くわ』











更新遅くなりました(。-_-。)


* * *



ガチャ


僕の背後から、ドアが開く音がした。


「おい、ゲルトルート。もう良いぞ……って、どうしたんだ?」


父さんだった。
振り返らなくても分かる。
父さんは今、泣き腫らした赤い眼をしているだろう。


「…あ……なた………」


彼女は顔だけを上げた。
はっきり言って、とても酷い顔をしている。
両のまぶたは腫れ、顔は真っ赤。
長い髪はボサボサになって、洋服も乱れに乱れている。
その姿はまるで。


「…あなた……。リューディアさんが……憎くて憎くて堪らないの……‼」


まるで、昔話に出てくる魔女の様。