本日も昨日からの続きで、
何かを「説明する」「伝える」際に、考えるべき4つの要素、
①相手
②自分
③相手と自分の間でやり取りされる言葉
④コミュニケーションが持たれる「場」
のうち、③相手と自分の間でやり取りされる言葉、
について考えてみたいと思います。
言葉の難しさについては、最近何かとうたわれている
「グローバル化」の流れにおいて、
言語の違いや文化の違い(ローコンテクスト文化か、
ハイコンテクスト文化か等)とひもづけて語られています。
表面的にやりとりされる言葉の裏側にある、
「文脈」が違う、という意味では、
同じ日本人であろうと、一人ひとり、それまで生きてきた経験、
価値観、物事の捉え方が違うので、
同じ言葉をやり取りしていても、違う捉え方をしているということは
多々あります(むしろ、すべてのコミュニケーションで
起きていると思われます)。
「それは、いいですね。ぜひやりましょう」という言葉も、
本当にやりましょう、と思って言っている人もいれば、
社交辞令だけで言っている人もいる、という具合にです。
あるいは、「説明する」という言葉についても、
「何をもって説明とするのか?」という定義が実は人により違います。
例えば、一つひとつ、事実を列挙することが説明だと思っているAさん。
そうではなく、起きた事象から何が言えるのかを総括することが
説明だと思っているBさん。
Aさんが「では、いまから説明しますね」と言って説明をしても、
Bさんは、いつまでたっても「それで何なのか?」が聞けないので、
「きちんと説明してくれない」と思ってしまう可能性があります。
コミュニケーションにおいて、相手と自分の間でやり取りされる言葉は、
表面的な言葉だけで済ませるのではなく、各自の言葉の定義や背景を確認しないと、
誤解やすれ違い、勝手な解釈のし放題になってしまいます。
確認しても、確認しても、100%は確認しきれない世界ではありますが、
この点をケアできるかどうかが、コミュニケーションの有益さ、心地よさに
つながってくるのだと思います。