本日も書籍「雀鬼と陽明」から。
「見る」ということについてです。
「道に精(詳しい)・粗(大まか)の区別がある
のではなく、人の見方に精・粗があるのです。
例えば、この部屋のようなもので、
人が最初外から入ってきたばかりのときには、
大体の様子が漠然とわかるだけですが、
しばらく中にいると、柱や壁なども、
一つひとつがはっきりと見えてきます。
さらにしばらくたてば、柱の上部にいくらかの
彫物があることなども細かく見えてきます。
ですが、最初に入ったときと同じ部屋であることに
変わりはないのです」(王陽明の言葉)
物事は同じでも、見る人のものの見方、心のあり方で
違って見えるとのこと。
見落としているもったいないことが沢山あるような気がする
今日このごろ、やはり見る「心」を鍛える必要がありそうです。
まずは、心の中で自分が使っている言葉遣いに敏感に・・・!