『光る君へ』第15回「おごれる者たち」の話 | 星野洋品店(仮名)

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とある洋品店(廃業済み)を継がなかった三代目のドラマ感想ブログ

第1回からずっとタイトルバックの大トメの位置に表示されていた〈藤原兼家 段田安則〉の名が消えて、強い喪失感を感じさせる第15回でした。

 

兼家パパの跡を継いだ道隆兄ちゃんは、前回から引き続いてやりたい放題。大床子や御帳台といった公用の調度品ならともかく、香壺や櫛といった定子の手回り品まで公費で買って、中宮大夫(ちゅうぐうだいぶ。中宮職の長官) 道長を困らせます。ちなみに、道綱は中宮権大夫(中宮職の長官代行)で、道長の部下。こういうところに嫡妻と妾の差が出るね。

 

この後に続くのが、『大鏡』にも記された伊周と道長の弓競べのシーン。ちょっとアレンジされていました。


『大鏡』によると、用もないのになぜか道隆邸にやってきた道長が、伊周と弓競べをします。勝負は2本差で道長が勝ったのですが、まわりの勧めで2本延長します。道長は、

「我が家から帝・后がお立ちになる運命なら、この矢当たれ!」

「私が摂政・関白になる運命なら、この矢当たれ!」

と言いながら矢を放って2本とも的中させましたが、伊周は1本目を大きく外し、2本目は周囲が射るのをやめさせたとか。

 

『光る君へ』では、道隆の公私混同を咎めるという理由があっての訪問でした。また、勝った伊周のほうから、残る2本を願い事を言いながら射ようと提案しました。

「我が家から帝が出る」

という願いを唱えながら伊周が射た矢は的の端に、道長の矢は的の真ん中を射抜きました。2本目の「関白になる」という矢は放たれないままでした。

 

史実と照らし合わせると、「我が家から帝が出る」というのは、たしかにそういう当たりかただったかもしれません。伊周の直系子孫は息子の代で断絶したのですが、女系で御堂流(道長の子孫)につながっていますし、伊周の同母弟 隆家の子孫 坊門家からは約200年後に後鳥羽天皇が出ましたから。

 

 

さて、ききょうとまひろは、いよいよ『枕草子』『源氏物語』の作者に近づいてきました。まずはききょう。夫と子どもを捨て、中宮 定子から〈清少納言〉の女房名を授かりました。

 

ドラマでもやっていたとおり、〈少納言〉が何に由来するかわかっていません。たいてい父か夫の官職名なのですが、元夫 橘則光はまだ五位に上がっていなくて、五位相当の少納言にはなれないし、父の清原元輔も少納言の経験がない。則光の前に別の少納言経験者と結婚していたか、母方の親族なのか。

 

いずれにせよ、なんか響きがいいし、麗しの中宮さまが考えてくださった名だし、なんでもいいか! 来週はさっそく例の「香炉峰の雪はいかならむ」だよ!

 

一方まひろは親友 さわとともに石山寺へ。紫式部が水面に映る月を見て『源氏物語』を着想したと言い伝えられているお寺です。滋賀県には名所・旧跡、国宝・重要文化財がいっぱいあるよ! 滋賀県に本籍地を持つ者として、いちおう宣伝しておきます。

 

まひろは思いがけず道綱の母 寧子に出会い、学ぶところが多かったようです。清少納言の言う「分相応の結婚をして、邸の奥で生きてるんだか死んでるんだかわからない人生」を送ることを拒否したことに後悔がないこと。書くことが救いになること。家の存続のためでなく、純粋に恋したいきさつが世に出ることを夫 兼家も喜んでいたこと。

 

それから道綱にも会って、まひろは目を輝かせました。出家すると言って山寺に籠ってしまった母を迎えに行き、追い帰されてピーピー泣いてた道綱坊やが、立派になって!

 

道綱は『蜻蛉日記』を読んでおらず、自分がどう書かれてるか知らないので、まひろの目の輝きを恋と誤解したんですかね? ふたりの部屋に忍び込んできました。あのさ、まひろたちは懸帯(かけおび)という赤い帯を結んでたじゃん? あれは寺詣りのために精進潔斎していますという証なの。そういうことは基本的にしないの!

 

寺詣りの際は女性の顔を垣間見ることもあるし、そこから恋が始まることもあるんだけど、まずは歌を贈って……あ、道綱には無理だった。ゴメン。まあ、光源氏と違って、間違いに気づいて撤退するところは変に誠実というか、なんというか……。