第14回終盤では、定子女御の立后が話題になっていました。公卿全員が「ありえぬ」と渋い顔です。ここで道隆兄ちゃんが無理を通したことが、のちに道長が栄華を極める遠因になります。
まず、律令上の言葉の意味を確認しておきましょう。この通りに運用されたわけでもないけど。
- 太皇太后:先々代天皇の正室
- 皇太后:先代天皇の正室
- 皇后:現天皇の正室
この3人をまとめて三后/三宮と呼び、別称として中宮ともいいます。彼女ら3人をまとめて世話する役所を中宮職(ちゅうぐうしき)と呼ぶのですが、平安中期には3人それぞれに別の職を作るようになっています。また、皇后ひとりを指して中宮と呼ぶことも慣例になっています。
982年、円融天皇は第一皇子を生んでいた詮子女御を差し置いて、藤原遵子を中宮に立てました。この時点の序列がこちら。
- 太皇太后:
- 皇太后:昌子内親王(63代 冷泉天皇の正室)
- 中宮(=皇后):藤原遵子(64代 円融天皇の正室)
このとき、中宮 遵子の弟 藤原公任が、東三条殿の前を通りかかり、
「こちらの女御はいつ立后されるんですか~?」
と煽ったと『大鏡』には記されています。若気の至りね。
986年、花山天皇退位・一条天皇即位に伴って序列が変わります。ちなみに、65代 花山天皇は皇后を立てないまま退位しています。
- 太皇太后:昌子内親王(63代 冷泉天皇の正室)
- 皇太后:藤原詮子(64代 円融天皇の側室・66代 一条天皇の生母)
- 中宮(=皇后):藤原遵子(64代 円融天皇の正室)
このとき、詮子皇太后の女房が、
「素腹の后(すばらのきさき。子を産んだことのない皇后)はどちらですか~?」
と公任を煽り返したとか。大ブーメラン。
そして、990年を迎えます。兼家パパが亡くなり、道隆兄ちゃんを家長とする中関白(なかのかんぱく。二代目関白の意)家では、早急に権力基盤を強化する必要に迫られています。女御 定子の立后を実現し、彼女が将来生むであろう皇子が確実に天皇になれるようにしておきたいところです。
しかし、最年長の昌子内親王でも数え41歳であることから、三后の席に空きができる見込みはなさそうです。実際、太皇太后 昌子内親王が崩御したのは10年ほど後のことでした。
そこで道隆兄ちゃんがひねりだした奇策が、皇后と中宮を分離することでした。
- 太皇太后:昌子内親王(63代 冷泉天皇の正室)
- 皇太后:藤原詮子(64代 円融天皇の側室・66代 一条天皇の生母)
- 皇后:藤原遵子(64代 円融天皇の正室)
- 中宮:藤原定子(66代 一条天皇の正室)
おおぅ、三后が四后になっちゃったぜ! 女御は臣下ですが、皇后は皇族です。それに伴う特権もあり、律令の改定もないまま軽々しく増やしていいものじゃありません。だから公卿の皆さんが「法理的にありえぬ」と怒ってたんです。のちのちのことを考えれば、こんな無理を通さないほうが、定子さんのためにはよかったんだよね……。