第7回で行われた打毬は大陸から伝わった競技で、西洋のポロと同源の遊びです。馬に乗って行うのが本式ですが、中世には廃れ、8代将軍 徳川吉宗が復興しました。徒歩で行うタイプは、子どもの遊びとして江戸時代まで長く残っていたようです。ぜんぜん関係ないけど、ポロラルフローレンの紺色ソックスが女子高校生のあいだで流行ったことがあったなぁ。なつかし。
宮中では小正月(1月15日)に、打毬で使う毬杖(ぎっちょう)を3本束ねて立て、天皇の書などとともに燃やす行事がありました。これが今でも各地で行われる左義長の由来だとか。
〈三毬杖(さんぎっちょう)→ さぎちょう → 左義長〉と変化したのだそうです。平安時代だと、〈ん〉と〈っ〉は書かないことになっています。
ぼくは都会っ子なので、火を焚くような行事には参加したことがないのですが、この項を書くために検索したら、けっこう激しいものなんですね。いちばんシュールだと思った写真を貼っておきます。ダルマを燃やす地域もあるんだ……。