『どうする家康』最終回の話 | 星野洋品店(仮名)

星野洋品店(仮名)

とある洋品店(廃業済み)を継がなかった三代目のドラマ感想ブログ

大阪で生まれ育つと、なにかっちゃ大阪城公園に行かされるものの、じつは天守閣に上ったことがありません。いつでも行けると思ったら絶対行かない典型例。小学校の写生会で天守閣の絵を描いたことはあるのですが、屋根を半分描いたところで面倒になって提出したら怒られました。小学2年生に描かせるには天守閣の構造が複雑すぎるんだよ。ぼくは悪くない。

 

大阪城公園

国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの写真を一部改変

 

大坂冬の陣後に埋め立てられた大坂城の堀ですが、江戸幕府による改修で元通りに掘りかえされました。しかし、明治以降に東外堀はふたたび埋まってしまいました。東外堀の東側一帯を占めた大阪砲兵工廠(兵器工場)から出た不良品を投げ込みつづけたからだそうです。なにしやがる。

 

戦後になって東外堀跡は整地され、ラグビー場が2面作られました。ラグビー場と言ってもゴールが立ててあるだけの土のグラウンドでしたが、ラグビー専用というのはラグビーが盛んな大阪でも貴重な存在でした。

 

堀跡だけに外側より一段低くなっており、見下ろす位置から観戦できてよかったんですがね。あいにく1995年に閉場され、堀が復元されてしまいました。

 

ラグビーファンからは評判の悪い東外堀復元ですが、いまやここがトライアスロンのスイム会場として使われています。お堀で泳ぐって、なかなかシュールね。

 

 

中国歴代王朝では、おおむね二代目か三代目の時に大きな内戦が起きます。清朝では四代・康熙帝(清朝が天下王朝になってから数えて二代目)のときに三藩の乱。明朝では二代・建文帝を倒して三代・永楽帝が立った靖難の変。大きく遡って前漢だと、六代・景帝(高祖・劉邦の孫)の時に呉楚七国の乱。
 
群雄割拠の時代を治めて新王朝が立っても、しばらくのあいだは人心が荒れていて、〈戦って勝ち取る〉という気風が抜けない。だから王朝初期には内乱が付き物で、ここをうまく収拾できれば200年以上続く大王朝になれるのです。

 

江戸幕府にとっての大坂の陣は、二代・秀忠の代に起きた最後の内戦と言えるでしょう。島原の乱は死者数こそ多いものの局地戦だし、由比正雪の乱は事前に発覚していて内戦とも呼べない。

 

そういう意味で、本作の〈家康が乱世の亡霊を引きつれてあの世へ逝く〉という視点は正しいなと思って見ていました。戦闘スイッチが入った余分なオスを殺しつくすことで、ようやく平和が成る。「男に生まれれば乱世に身を投じたかった」と言うお市や、その血を継いだ茶々にとっては、〈つまらぬ世〉の幕開けということになるのですが。