同タイトルの記事が『ゆみこさん』のブログにupされていました。
すべての句に解説、感想を書いてくださっていました。これにより再度、句会の楽しみを味わうことができました。
ゆみこさん、ありがとうございます!
私も同じタイトルで記事を書いてみますが、今回は自分が選んだ4句について書かせていただきます。
それというのも、選句のとき私は『メッセージ』で送信してしまったからです。
司会者の悠人さんのblogコメント欄に書き込む形をとればよかったと後悔しています。
コメントは公開が前提ですから締切が過ぎるとオープンになりましたが、メッセージは私信あつかいのためか公開されませんでした。
「選は、すべてコメントで行ったほうがよかったのでは」という意見があり、なるほど、と思いました。今さらですが、ここに書かせていただきます。
☆舟隠し跡をとどめず秋月光
月光が海を照らし、進みゆく舟の姿が、その光のなかに隠されていく。
そんな美しい光景が目に浮かんできます。
一方で「舟隠し」と呼ばれる場所が長崎県や石川県に存在することを、ふと思い出したのです。
遠い昔、平家盛が上陸したことから「舟隠し」とよばれた場所。そこを月光が照らしている静かな光景?
いや、これは作者の意図とはちがっているのかも…ですが、「舟隠し」という言葉から、いろいろと想像を広げてしまいました。
☆名月や眠る漁村の低き屋根
作者は静かな空間で、そっと月を見上げているのでしょうか。
素晴らしい構図。
この句を鑑賞していると、自分自身が月になって、眠る漁村を見守っているような…(おこがましいですが)そんな気持ちにさせられます。
☆三日月やままごとつづく辻の夕
あたたかい情景。まだまだ遊びをつづけたい子どもたちの声がきこえてくるようです。
「お月さまが一緒だから、まだ家に帰らなくても平気」とか言ってる気がします。
作者は『ゆみこさん』。
この句の「ままごと」は世間一般の日常生活ということを含めた、とブログに書かれていました。
そうだったのですね!
人々の生活を見ている三日月。やはり、あたたかく、なつかしい味わいのある句です。
☆良夜かな伽藍に一切身を臥し
この句に使われている「伽藍」と「一切」という言葉。
私には、なかなか思いつかない言葉の選択であり、心に残りました。
どちらも仏教のイメージがあるのです。
「大いなるものに、この身をゆだねてみた」というお気持ちだったのでしょうか。
違っていたらすみません。
「一切」には潔い響きを感じますが、「良夜かな」の始まりに心なごむ感じがあるのでバランスがとれていると思います。