『お育ちの良い方々(政治家)には慰安婦問題は難しすぎた』
などと、エラソーな事、かいてきましたが、これは傍観者の結果論だと自覚しております。
『育ちが良い』のは素晴らしいことです。
人格形成期に、人として尊重されるという体験を当たり前に重ねてきた人は、かけがえのない宝をもって人生を歩むことになります。
尊重されてきた人は、他者を尊重できる。
慰安婦問題は、人間の尊厳の問題です。
そういう意味では、育ちの良い人でないと、この問題に正しくアクセスできない面があったはずです。
それなのに、こじれているんです。
(※韓国の慰安婦問題について書いています)
私は『くやしさ』ゆえ慰安婦問題に関心をもつようになりました。
なぜ、こんなに長い年月こじれているのか?
なぜアジア女性基金という日本側の努力は韓国から認められなかったのか?
そして、前にも書いたかもしれませんが、一度は『吉田清治の嘘証言』を本当の話だと信じてしまった自分。
騙された自分が悪い、だけで済ませられません!
なぜ、ここまでひどい嘘で、日本は、おとしめられたのでしょうか。
なぜ?の答えをさがして、時間を遡ると、外交問題に発展した1990年代にたどりつきます。
宮澤喜一さん、河野洋平さんは、人間として誠実に、この問題に対応されたと思うのですが…。
政府を代表して謝罪したことが、国の責任をみとめたように扱われ、その点がまずかったと、あとになって批判されています.
河野談話が、あのようなかたちになったのは、河野さんが元慰安婦の名誉回復を何よりも優先しようとしたためです。
公文書では、日本軍の強制性をしめすものは見つからず、韓国からの強い要望で、日本は16名の女性からの聞き取りを実施。
韓国政府が選んだ証言者。
この証言に対し、日本側が反問、検証することはゆるされませんでした。
この時、もし、韓国が国家賠償を求めていたのであれば、事実関係について、通常の裁判のように厳密に検証されたはずです。
しかし韓国は
「金銭的補償を日本に求めない」
「補償の必要があった場合、韓国政府が責任をもって補償する」
「日本が謝罪し、強制性をみとめるなら、女性の名誉は回復する」
↑これは生活やお金のために慰安婦をしたのではない、と言いたいのですね、おそらく。
「日本が謝罪して、幕をひいたら、今後はこの問題をとりあげない」等と強調。
そして、とうとう日本側の外交的配慮による「謝罪」と「河野談話」を引き出したのです。
やがて4年ほど経過すると、韓国外相は平然と、日本の政府による慰安婦の補償の必要性を口にするようになっていきました…
このような卑劣な手口ヽ(`Д´)ノ
成熟した国家は恥ずかしくてできません!!
被害を訴える人々の気持ちを汲みとり、人間の尊厳を守ろうとした河野さんの思いを利用し、罠にかけたのです。
これは1993年頃の話です。
この談話から20年、いまや国際社会で日本軍による慰安婦連行の証拠あつかいですヾ(。`Д´。)ノ