自我尊厳 | 風の日は 風の中を

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~職場や学校で不安感に悩んでいる方へ~
「不安とともに生きる」森田理論をお伝えしたいと思いブログを書きはじめました。
2011年9月からは、日々感じたこと、心身の健康などをテーマに日記を綴っています。

わたしは、森田オタク(森田療法の創案者・森田氏を絶賛)として、ブログを書きはじめました


わりと、最近になってジョジョオタク(荒木飛呂彦作・ジョジョの奇妙な冒険を絶賛)であることをカミングアウトし、、、今回は、この2つを融合させたいと思います


え!!(°д°;)森田とジョジョ、ぜんぜん関係ないのに。。。と思われるでしょうが

関係あります


両者に共通するテーマは人間賛歌。

森田氏、荒木氏ともに、その人間理解は非常に肯定的です。


さて11月2日のジョジョの記事では、「人は不幸な過去から脱出して、あたらしく道を切り開けるのか」というテーマに注目したい、ということを書いたのですが、、、(かいたまま放置してきたのですが)そのつづきをかきます。


人にとって、子ども時代は人生の土台になるところがあります。

第5部の登場人物たちはギャング組織の構成員ですが、作者は物語のなかに、彼らの子ども時代のエピソードを挿入することで、各人物の行動や考え方に、子ども時代の体験が大きく影響していることを示唆しています。


主人公ジョルノが所属するチームのリーダー・ブチャラティは、ジョルノの「組織乗っ取り」という野望を知ったうえで、彼を組織に迎え入れました。

ジョルノとブチャラティの正義には共通するものがありました。

邪悪に対する考え方です。

彼らにとって、吐き気をもよおす邪悪とは
何も知らぬ無知なる者を利用する事だ…!自分の利益だけの為に利用する事だ

ということです。


この正義を貫くため、ブチャラティも組織のボスを裏切る決断をする局面が訪れます。

チームメイトは、その決断をきいて凍りつきました。

ギャングである彼らにとって、ボスを裏切ることは「確実な死」を意味するからです。


フーゴという論理的な少年は「この組織なくして僕らは生きられない」「ボスを裏切ったら…世界中どこに逃げようとも安息の場所はない」と言いました。

それでもブチャラティを慕う者たちは、フーゴひとり残して、これまでどおりブチャラティをリーダーとして行動をともにすることを決断しました。


そして。。。

最終的に、ジョルノがボスを倒し、組織のトップへ昇りつめていくまでに、仲間たちは、ひとり、またひとりと若い命を散らしていきます。


↓このように「道を切り開く覚悟」を口にするジョルノ。
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死線をくぐりぬけ、生き残るジョルノの強さの源は、自我尊厳が保たれているところにあります。


命を散らしていった仲間たちは、フーゴが口にしたように、組織の頂点にたつ絶対者に、自我を預けているところがあるのです。「任務を遂行することが最重要」と言い切り、そのためには命をおとすこともやむをえないと覚悟しています。。。特攻隊のようです


目指した夢をつかむためには、自分の命を守りぬかねばなりません。

ジョルノの自我尊厳の精神が、外にむけられたとき、彼の正義とつながることがわかります。

上に紫色の字でかいたように、「自分の利益のためだけに、無知なる者を利用するのは邪悪なふるまい」として許さない精神。

つまり自分であれ、他者であれ人間の尊厳を踏みにじってはいけないという事です。

自分を大切にする事と、他者を尊重する事はつながっています。


さて、森田療法ですが、森田正馬氏がこの療法によって回復させようとしていたものの柱が、「自我尊厳」だといわれます。

神経症に悩む人は、本来、ジョルノのように生きるエネルギーが高い人たちなのですが、神経症の苦しみの中で自我尊厳がそこなわれている場合があります。これについて次回かかせていただきます。