中村久子さんの生涯について知った20歳の頃、私は看護師見習いとして某病院で、臨床実習をしていた。
あるとき入院患者のIさんという方(男性・70歳)を担当させていただくことになった。
Iさんは、胃がんの手術を予定している患者さんだった。
担当になったものの、私はIさんとコミュニケーションをとることができなかった。
何を話しかけても、口答はなく、首をふるか、うなずくかで意思表示する人だった。
Iさんが手術前に、体力をおとさないように、という目的でIⅤHという管が心臓に近い血管に留置してあった。(高カロリー輸液をおこなうため)
Iさんは、ある日、それを自己抜去してしまい騒ぎになった。
「治療をうけたくない」という気持ちをそういった問題行動で表明しているようにみえた。
その頃、Iさんと同じような精神状態の患者さんが、家族に励まされて、治療に前向きになった例があった。
Iさんも、ご家族に励ましてもらえたら…と思ったのだが、奥さまは亡くなられており、息子さん夫婦はIさんと仲が悪く、お見舞いにきてくれたのに、Iさんが追い返してしまった。
息子さんは「父は親しい友達がいません」と言っていた。
孤独だから、誰かのために生きたい、と思わないのだろうか?
はじめてIさんが、口をきいてくれた時、「べつに、いつ死んでもおしくない」という言葉があった…
そのとき「死ぬ前に会いたいと思う人はいませんか」ときいてみた。
「Kちゃん」という名前をIさんは口にした。
Kちゃんとは何者か?
私は、それを聞き出すために毎日、Iさんに話しかけた。
それ以外、会話の入口になるものはみつからなかった。病棟婦長からは、患者さんの関心のあることを話しなさいといわれていた。
やがてKちゃんの正体があきらかになった。
踊り子だった。それも裸の。
Iさんは、病に倒れる前から、ストリッパー嬢Kちゃんのファンだったのである…
私は、この話に食いついた。
「自分は女なのでストリッパーさんに出会う機会はずっとないかもしれません。Kちゃんのお話をきかせてください」とお願いしたら、いっぱい話してくださった。
ストリッパーさんは裸になればいいというものでもないらしい。
Kちゃんは衣装をつけている時間のほうが長く、それは何パターンもの服に着替えるからだそう。
歌いながらステージ上をかけまわり、ミュージカルのステージのように思わせておいて、脱ぐ。
その意外性がすばらしい、とかなんとか言ってたなぁ
Kちゃんが天才エンターテイナーであることが、ステージの最後ではっきりするという。
会場の全客が恋人であるかのように錯覚させて去っていくそうだ。
Iさんも、その錯覚を楽しんでいるのだった。病床においても。
Iさんに、「また、この子に会いにいかなくては」と思わせるKちゃん。
すごい。中村久子さんと同じく一流の芸人だ!
見世物小屋や、裸の職業を見下す人もいるだろうが、またこの人に会いたいと思わせるなんて、芸の力の圧勝ではないか。
見てはならないものを見てしまった…などと客に思わせたら二度と来ないわけだから。
Kちゃんのお話は他言しませんと約束したので、看護記録にも書かなかった。
ついに、ここに書いちゃったけど、ずいぶん年数たってるので、ゆるしてね、Iさん。
Iさんが、無事、手術を受け回復して、退院されたあと、よく「Kちゃんに会いに行けたかな~」と思い出していた。
ご家族にも、医療現場の者にも、Iさんの「投げやり」はどうしようもないのか?と一時思われていた。
投げやりの人から、生きる意欲を掘り起こしたKちゃん=エロスの女神。