抗がん剤⑤(仕切り屋の生き方) | 風の日は 風の中を

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~職場や学校で不安感に悩んでいる方へ~
「不安とともに生きる」森田理論をお伝えしたいと思いブログを書きはじめました。
2011年9月からは、日々感じたこと、心身の健康などをテーマに日記を綴っています。

(前記事のつづき)

「手術は受けたいが、抗がん剤は断る。味方になってほしい」とNから、言われたとき、はじめて「がん」に関する本心について話し合うときがきたんだなーと思った。


最初に大腸がんと診断された時、N本人に、がん告知をしなかったこと、「よかったのかな?」と、ずっと考えていたのだ。だって「隠す方針」でいくと、がんについてどう思うか、話し合う機会は、まずこないから…。


Nは、いつも自分に自信があって、いばっているタイプ。年齢も私より、はるかに上で、それまで一度も「味方になって」などど言われたことはなかった。

私は、この機会をのがさず、Nにききたいと思っていたことをたずねることにした。

それは、「どうして、がんになったのか?」ということ。


患者本人に、「どうして、がんになったのですか」とたずねるなんて、西洋医学では、まずやらない。

これは東洋的な考え方。たとえば森田療法は、東洋的な考えでつくられているけど、まっさきに「なぜ神経症になったのか」という自己洞察をすることを、すすめられる。

がんにしろ、神経症にしろ、環境など自分以外の要素が発症要因だと考えていると、この質問にこたえられない。


しかし、Nは即答した。

(ノ゚ο゚)ノさすがだ
抗がん剤(西洋医学)を断るだけあって、東洋的思考なのか?


Nの返事は、次のようなものだった。

大腸がん発症前、仕事でかなり無理をする日々が年単位で続いた。会社経営優先のため、自分の「筋」を曲げることもやった。そのとき、たくさん怒りをのみこんだ。

会社は存続できたので、筋を曲げたことに後悔はない。でも、のみこんだ「怒り」が消化器をとおって大腸がんになったんだよ!!


なるほど(笑)

私は、Nの味方になることを決めた。

自分の筋を曲げた怒りが、がんになったのなら、今度は自分の筋をとおすことが、後悔のないがんとの付き合い方になるのかな、と思えたから。

その病院は、私が看護師・助産師の臨床実習をした病院だった。そしてNの主治医A先生の事も知っていた。


私の知る限り、Nのように手術はお願いしたいが、抗がん剤は嫌、などと選り好みするケースは、なかなかいない。治療拒否なら、すべてを拒否して病院に行かないし、治療をお願いするなら基本的に、病院側の提案に従う、というのが一般的な態度。

A先生は、その当時、いちばん手術のうまい方だといわれていた。せっかく名医が担当してくださるのだから、抗がん剤拒否の気持ちは黙ったまま手術を受け、その後、抗がん剤の話が出たら、退院覚悟で、先生に言うのがいいんじゃないか、ということになった。


それより前に、Nの妻はじめ親族全員が、Nの考え方に同意し、「この選択によって、たとえNの病状が不利になっても悔いはありません、本望です」と言えるようにしておかないと、なかなか治療を断るのはむずかしいよ、とNに言った。

Nは「まかせとけ、全員説得するから」と自信満々。目がかがやいていた。

ほんとに、このオッサン「仕切り屋」なんだ、どんな局面でも。

人生最期まで、自分で仕切りたいというエネルギーは、Nの財産かもしれない。

(つづく)