これまでの記事にかいたJとFは、もう亡くなってしまったが、私は、このふたりの人間性を心から好きだった。旅立っていったJとF、今でもなつかしく思う。どうかやすらかでいてほしい。
JとFは、思いやりがあって協調性のあるタイプだった。
周囲の人から愛されていたと思う。
「思いやり」「強調性」、どちらもすばらしいものであるが、それがあまりに強すぎて自分の中のバランスが極端に崩れると、「がんを育てる」方向に作用するかもしれない…という考えが浮かんだことがある。
いえ、JとFの性格や生き方を批判してるんじゃないんです!
ふたりはいい人だった。これから書こうとしているNのことを、あわせて思い浮かべた時、上記のような考察になったのかな。
Σ(゚д゚;)…この書き方だとNの性格がわるい!といってるみたい?
そうですね…Nは、あきらかにJ、Fとは、性格のタイプがちがう。
ワンマンな性格。
大腸がんから肝臓に転移。肝転移は1ヶ所だったので「手術で取り除きましょう」と言われ手術。
最初の手術から10年経過して、主治医から「完治」と言っていただいたツワモノ。
現在も心身ともに絶好調で、「がんを克服した自慢話」をよくしている。
今日も言っていた。
「大腸がんも、肝臓がんも、バッサリ切って治したんだ」「抗がん剤はキッパリ断って、自分の力で治した」と大声で自慢していて、あつくるしい。
Nには言っていないけど「抗がん剤を受けていない」というのは、事実とちがう。
Nは、自分でも知らないうちに、抗がん剤投与を受けたことがある。
じつは、10年前「大腸がん」発覚のとき、Nは、がん告知を受けなかった。
その当時、Nは自分が経営している会社で、いろいろと苦労を重ねており、心身とも極限状態だと思われた。
主治医とNの妻が話し合って、がん告知をしないまま治療することになった。
「このままだと、がん化する恐れがあるので、悪性になる前に手術するのが無難です」というような説明でNは手術を受けた。
そして術後に抗がん剤が投与されたのだが、がん告知していないものだから、「抗がん剤です」という説明は本人にされなかった。
実は、Nの友人で抗がん剤の副作用に苦しみながら亡くなったかたがいて、Nはそれをまのあたりにした経験から、抗がん剤をものすごく嫌っていた。
抗がん剤だとわかったら拒否するに違いないから、告知しないで治療しよう、という判断が、主治医と妻の間でおこなわれた。
わたしは内心、Nがすべてを知ったら怒るだろうな、と思ったが、このまま治ってくれるなら、これでよかったんだという事になるんだ、と考え、黙って見守った。
2年8か月たって、Nが体調不良(消化器症状)を訴えたとき、Nの妻は「がんの再発だったらどうしよう」と泣きじゃくっていた。その不安どおり、肝臓に転移という診断がおりた。
この直後、親族間の話し合いで「今度こそ、がん告知すべき」という意見が出て、私もそれに賛成した。
事実を知らないほうが、がんの恐怖と向き合わなくて済む、という考え方もあるだろうが、Nのそれまでの生き方をみるかぎり、「自分の事なのに事実をかくされる」ということは、Nにとってマイナスだろうと思えた。Nは自分の生き方を自分で決めたい人なのだ。
Nの妻は、泣きじゃくって「自分はとても言えない」と言った。
告知すべき、という意見のNの長男から伝え、そのあと主治医から説明してもらうことになった。
Nは、短く「わかった」と言って黙り込んだ。
翌日の朝、鉢植えの蘭「ホワイトクリスタル・ブリジッドバルドー」という花が咲いたので、それを切り花にしてNのところに届けた。
Nは、いつもどおりの態度だった。
「肝臓のがん(転移巣)について、医師は手術で取り除くことができると言ってくれたので、手術を受けようと思う。そして抗がん剤はお断りしようと思う」ときっぱり言った。
そういうんじゃないかと思ったよ。がんになる前から、抗がん剤を嫌っていたもんね…
「死んでも抗がん剤はいやだ」「死ぬんだったら、俺がんで死ぬから!」
そこまで言われて、どう返事したものか考えていると「味方になっておくれ」と言われた。(つづく)