どうして、最近「がん」のことばかり書くようになったのですか、と人から、たずねられました。がん医療問題は、以前からいつも、私のそばにありました。
自分の職業をとおして、考えさせられてきた、というだけでなく、個人的にもそうです。
私の家系、夫の家系、両方にがん患者が多発しています。
「わぁ、たいへんですね」と言われるかもしれませんが…昔から、がんは、ある程度、年齢をかさねた人の体内には「ある」ものなんじゃないでしょうか。「ない」人もいますけどね。
成人のがんの本質は加齢現象ですから、年齢があがるほど、罹患率は上昇します。
私の家系、夫の家系とも、がんの診断を受けた人の年齢は、全員60歳以上でした。
そして検査技術が発達した現在では、小さめのがんも発見されやすくなっているので、がんの診断を受けた人が身近にいるのは、そうめずらしいことではなくなっています。
さて、今日は、抗がん剤について書こうと思います。
前記事で「毒性」という言葉を何度もかいてしまいましたが、抗がん剤というものは「毒をもって毒(がん)を制す」考えでつくられているものだと思います。
薬と毒は表裏一体。これは抗がん剤以外にもいえることです。
がん細胞は、正常細胞が変化してできたものですが、両者の性質はかなり共通しています。
抗がん剤はがん細胞にダメージをあたえますが、がん細胞とよく似た性質をもつ正常細胞もまた、同じようにダメージを受けます。
ただ正常細胞は一定周期を経て復活するので、それを待って再びがんを叩く、つまり、次の治療まで、間隔をおいて再開というかたちをとることが多いです。
その毒性によって苦しい副作用がもたらされたとしても、がんを克服できるなら、プラスがマイナスを上回るわけで、自分のがんに効果のある抗がん剤を求めて、遠い地区でも治療に行く患者さんもいらっしゃいます。
これまで、見聞きしたなかで、いちばん印象に残っている話ですが、抗がん剤を使用した治療が、患者さんの人生を良い方へ変えたと感謝されていた例を以下にかきます。
そのかたは、20代前半の女性で生まれたばかりの赤ちゃんを抱いて、かつての主治医に会いに行く場面で、テレビ局の取材を受け、過去の治療経過を公開されていました。
その女性は10代のはじめ、小学校高学年のときに子宮内に腫瘍ができ、検査結果は悪性でした。
腫瘍がたいへん大きくなっていたことから、このままでは生命が危険と判断され、子宮全摘出が治療方針として、ほぼ決定だったのですが、主治医は、なんとか臓器を残す道をさがしたいと考え、全摘出に反対されました。
抗がん剤投与によって、腫瘍のサイズを縮小させることができ、それによって腫瘍のみを切除する手術となり、臓器をのこすことができたそうです。
10年後、子どもを授かった、その女性は「先生が臓器をのこしてくれたので、子どもをもつことができた」という喜びを語っていました。
主治医は、抗がん剤について、「がん縮小という結果を出せたのは小児がんだったからではないか」
「抗がん剤だけでは、がんを縮小させることはできても、完治はむずかしい。臓器をのこす手術の前段階の治療として、抗がん剤を限定的につかった」と話されていました。
次回の記事では、自分の身内が体験した抗がん剤治療について書きます。