この画像は1年以上前、アメーバピグを、はじめて動かしてみた頃、広場みたいなところで偶然出会った方のおうちにあがりこんだときのもの。
このとき、このおうちの水槽にカメが泳いでいたことに感動して写真を撮ったはずが…カメの姿は写真上部できれてしまい、床におかれた乗り物を写したようになってしまった(:_;)
この頃は、ピグをつかってチャットができるということを新鮮に感じ、お出かけ先で偶然、顔をあわせた人とお話ししたこともあった。しかし…「空気がよめない」ことで笑い者になるという結末にガッカリして自分の部屋に戻った。
このとき、私の事、笑った人はリアルでも仲よしという男女のカップルで、女の子のほうは、セリフとして「おかしいわ、うふふふふ」と言うだけだったが、男の人のほうは、アクションをもっていて、地面にたおれて、ころげまわって笑い続けた。
どこかで、笑いやめて、お話のつづきをしてくれるかも、とそばに立って、ずーっと待っていたのだが、その待っている姿もおかしい!と笑われたので、「さようなら」と言って去った。
(お二人はピグデートしていたのだろうから、私がいつまでも、はりついているのは悪いし、潮時かなと空気をよんだつもり)
いまは、ピグを動かすことじたいが少なくなり、言葉をかわすのは、ブログで知っている人だけである。
ブログのほうでも、いまだ、自分は空気がよめない人間なんだなーと感じることが多い。
どういうときかというと、コメントやメッセをおくったあとの、相手の人の反応とかで、あぁ~空気よみちがえて、場違いなコト言ってしまったんだ…ということがわかる。
好意をもった人にしかコメントしないので、もちろん悪気はなかったのですが、空気がよめない私の一方的発言にメーワクされた方々、ごめんなさい
この場をかりておわび申し上げます。
このように、自分が空気がよめない件について、反省していたところ、すばらしい提言をしてくださるかたがいました。
キタダハルキ@抑うつ症攻略ブロガー さんの記事です。
この記事にかかれていた「一番楽しい人間関係は、お互いを思いやれる、空気を読み過ぎない関係」という言葉に感銘をうけた。
わたしのような人間が、空気をよめるようになりたいと思って、よんだつもりになっていても、それが事実とズレていたら、結局おんなじことなのである。
相手の立場になってみようという姿勢は、大切。
だが、察するということには限界があるので、相手の反応から、自分の読み違いを修正していくしかないんだね。