友人とわたしは、今日にいたるまで、互いの信仰・無信仰について、ずっと平行線だった。
私を宗教勧誘してきた友人。
彼女の信仰に反対し続けた私。
反対したのは私だけじゃない。
彼女のダンナさん。
ダンナさんの両親。
彼女の両親。
子どもの学校関係者。
みんな反対していた。
周囲の反対により、かえって彼女は教団との結びつきを強めていった。
宗教勧誘して、勧誘された側から否定的な反応があったら、「このやり方は、まずいのではないか」と気づいていくはず!!私は、そこに期待していた。
しかし、否定的な反応を多数うけても、信仰心をつよめていくようだった。
それは、あらかじめ「正しい道を進むとき、法難を受けるもの」という答えがしめされてるから!?
それにしても…信仰のために、周囲との人間関係が悪くなっていくなんて、おかしいと思わないのだろうか。
別の友人から、「普通の感覚が洗脳されてる人に通用するわけないよ」と言われ、ショックを受けた私は、友人のダンナさんに意見をもとめた。
そのとき、彼女と私の共通の友達は、すっかり彼女のことを見限ってしまい、彼女が引っ越すことで、縁がきれていくと思うけどべつに残念じゃないわ、と言っていた。
彼女を見捨てていない人間はダンナさんだけ。
本当は宗教に反対している立場なのに、彼女のために「うわべだけ」入信して一緒に教団施設に行ったりしていた。
ダンナさんに「彼女は、洗脳されてると思う?」と問うと、「どうなんだろう?」と結論を出さなかった。
「僕自身、教団の中に入って、お題目を唱えたりしたけど…べつになーんにもおこりませんでしたよ」と言われた。
それは。。。ダンナさんの心に「疑い」があるからじゃないだろうか?
教団内に入る目的が、本物の信者と全然ちがうのだから。
(ダンナさんは、どんな宗教なのか知るために、表面上、信者のフリをして同行していた)
このときダンナさんも私も、この宗教を信仰することが、彼女に不利益をもたらすんじゃないか?というイメージをもっていた。そして、これまで社会問題になった宗教団体のことを思い浮かべ、「洗脳」とか「カルト」という用語を口に出したが、洗脳やカルトの実態を知っていたとは言えない。経験がなかったし…。
次に記事をかくときは、そのことを書きます。