友人の信仰(22) | 風の日は 風の中を

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~職場や学校で不安感に悩んでいる方へ~
「不安とともに生きる」森田理論をお伝えしたいと思いブログを書きはじめました。
2011年9月からは、日々感じたこと、心身の健康などをテーマに日記を綴っています。

友人とわたしは、今日にいたるまで、互いの信仰・無信仰について、ずっと平行線だった。

私を宗教勧誘してきた友人。
彼女の信仰に反対し続けた私。

反対したのは私だけじゃない。
彼女のダンナさん。
ダンナさんの両親。
彼女の両親。
子どもの学校関係者。

みんな反対していた。
周囲の反対により、かえって彼女は教団との結びつきを強めていった。

宗教勧誘して、勧誘された側から否定的な反応があったら、「このやり方は、まずいのではないか」と気づいていくはず!!私は、そこに期待していた。


しかし、否定的な反応を多数うけても、信仰心をつよめていくようだった。

それは、あらかじめ「正しい道を進むとき、法難を受けるもの」という答えがしめされてるから!?


それにしても…信仰のために、周囲との人間関係が悪くなっていくなんて、おかしいと思わないのだろうか。

別の友人から、「普通の感覚が洗脳されてる人に通用するわけないよ」と言われ、ショックを受けた私は、友人のダンナさんに意見をもとめた。

そのとき、彼女と私の共通の友達は、すっかり彼女のことを見限ってしまい、彼女が引っ越すことで、縁がきれていくと思うけどべつに残念じゃないわ、と言っていた。


彼女を見捨てていない人間はダンナさんだけ。

本当は宗教に反対している立場なのに、彼女のために「うわべだけ」入信して一緒に教団施設に行ったりしていた。


ダンナさんに「彼女は、洗脳されてると思う?」と問うと、「どうなんだろう?」と結論を出さなかった。

「僕自身、教団の中に入って、お題目を唱えたりしたけど…べつになーんにもおこりませんでしたよ」と言われた。

それは。。。ダンナさんの心に「疑い」があるからじゃないだろうか?

教団内に入る目的が、本物の信者と全然ちがうのだから。

(ダンナさんは、どんな宗教なのか知るために、表面上、信者のフリをして同行していた)


このときダンナさんも私も、この宗教を信仰することが、彼女に不利益をもたらすんじゃないか?というイメージをもっていた。そして、これまで社会問題になった宗教団体のことを思い浮かべ、「洗脳」とか「カルト」という用語を口に出したが、洗脳やカルトの実態を知っていたとは言えない。経験がなかったし…。

次に記事をかくときは、そのことを書きます。