お菓子の家のおばあちゃんは、認知症と診断されてから、口数がとても少なくなった。
食事をはこんでいくと、お礼をいったりごあいさつはするが、日常的な会話が減り、話しかけても返事がかえってこないこともよくあった。
ダンナさんがあるとき外国へ出張することになった。
おばあちゃんに挨拶してから行くように言ったが、どうせ、わからないんだからと、ただ『行ってきます』としか言わずに出かけてしまった。
なんにも報告しないのは不自然だと思い、『たけさん(ダンナの名前)は今日から中国へ行きました』と私から話したが、おばあちゃんは返事をしなかった。
返事がなくても、むなしいとは思わなかった。
むしろ、おばあちゃんにはなんでも本当のことを言おうと思っていた。返事があってもなくても。
おばあちゃんは、かんじんなところで、きちんと返事をしてくれるときもあったから。
ダンナさんは、中国から帰ってきたとき、おばあちゃんにもおみやげを買ってきてくれたが、何も説明もしてあげずに、それをおばあちゃんがいつも使っていたテーブルの上に置いた。(扇子だった)
「おばあちゃん、これ、たけさんからの中国のおみやげだって。」
声をかけると、突然おばちゃんは「(出張が)長かったから、あなたも心配だったでしょ」と今までのいきさつをすべて理解していたようなまともな返事をする。
ダンナは、まぐれだよ、と言い、義母は「ときどきボケてる芝居をするお年寄りがいるというけど、うちのおばあちゃんも芝居してるんだろうかね?」と言ったりした。
おなかに子どもがいて、ダンナさんが男の子を期待しているけど私にはその考え方が負担、ということもおばあちゃんには話せた。おばあちゃんは何も答えず、返事がないことが気楽でもあり、私はいつもおばあちゃんの前では正直な気持ちが言えた。
気持ちが言える場所があることは、あの時期の私には救いだった。
ダンナさんと喧嘩したとき、おばあちゃんに訴えている途中で泣いてしまったこともある。
そのとき、おばあちゃんは突然「(性別は)どっちでもいいのにねえ」と言ってくれた!かなりの大声で…
この頃、おばあちゃんが声を出さなくなった、と家族は思っていたので、突然の大声に驚いてダンナがおばあちゃんの部屋にきた。
おばあちゃんは、再度ダンナに「どっちでもいいじゃないの」と大声できっぱり言ってくれたのだった。
このときの光景を私はわすれない。
ひいおばあちゃんが認めてくれているのだから、この子はちゃんと生まれてくるんだろうなーと確信をもつことができた。
私はちょっとアタマがおかしいのかもしれないけど、その頃「この子を守れるのは自分だけ」という感覚がすごく強くなっていて、このままずーっと一生妊娠状態を続ける?みたいな感覚があったのだ。ありえないことだけど、おなかに抱いている間は守りとおせるような感じがして、生まれる日のことを考えることができなくなっていた。
おばあちゃんに心をすくわれて、私は無事、出産の日を迎えることができた。
男の子が生まれた。
「やっぱり男の子だったよ!」と報告するダンナにおばあちゃんは、また、はっきりと「どっちでもよかったんだよ」と言ってくれた。
お菓子の家という記事タイトルにちなんでチョコレートを届けてくださった寿さん、どうもありがとうございました。
大切においておきたかったのですが、とうとう食べてしまいました。
おばあちゃんについてかいていると、どこまでも思い出がよみがえってくるのですが、今日でこの話をおきたいと思います。
男の子が生まれてよかった、というふうに私は思ったことはありません。「男の子を生まなければ」という価値観の中で生きていくのはイヤでした。
しょっちゅうダンナさんと喧嘩してしまい、心を閉ざすようにして過ごしてきた日々のことを思い返すと息苦しいです。おばあちゃんが、たすけてくれたことが今でも心をあたためてくれます。
おばあちゃん、本当にありがとう。