お菓子の家(5) | 風の日は 風の中を

風の日は 風の中を

~職場や学校で不安感に悩んでいる方へ~
「不安とともに生きる」森田理論をお伝えしたいと思いブログを書きはじめました。
2011年9月からは、日々感じたこと、心身の健康などをテーマに日記を綴っています。

風の日は 風の中を


ピグの部屋を訪ねてくれた方、お菓子をおみやげに置いてくださった方、どうもありがとうございました。

ほとんど「放置部屋」で…お礼もいえてなくてごめんなさい。


ピグのペットもかわいがっていないので牧場にかえそうかと考えました。

かわいがっていないのに「さかだち」という芸ができるようになっていて、それをみてると手放せなくなりました。

でも、大事にしないんですよねσ(^_^;)

ごめんね、ネコさん。


リアルでもいろんな動物を飼ってきて、その動物たちがおしえてくれたことは、愛情は最初から存在するというよりは、かかわることで少しずつ湧き上がり育まれていくということです。


バーチャルのペットさえ大切にしてやれない人間が言うのもナンですが…

たぶん、人として「人の親」になる場合も、同じようなことがいえるのではないかと思っています。


親になったという事実だけでは愛せない。対象にふれ、かかわっているうちに、愛情が育まれ知らず知らずのうちに、かけがえのない存在になっていくんだと思います。

だから、最初の段階で「自分は愛情がうすい」と感じたとしても、それはまだ、かかわりが本格的にはじまっていないだけで、心がつめたい、ということとは違います。

そういうふうに考えていたので、自分が子どもをさずかった時、喜びよりも不安が圧倒的に大きかったのですが、そのこと自体を悪いとは思いませんでした。

「心は後からついてくる」それでいい、と思っていたのです。

ただ、ダンナは、子どもはいらないという考えの人だったので、いい顔をしないだろうと思いました。


予想に反して、子どもを生むことには肯定的だったのですが…私にとってはイヤなことを言われました。

おなかにむかって「男の子を頼むね」と言うようになったのです…

そのくらい聞き流してあげればよかったのでしょうが、すごーーーく 嫌でした。

ダンナさんには、子ども時代のこととか、親に対する気持ちとか、うちあけて私にとっていちばん重要なことを理解してくれる人だと思って結婚したのに!

私のこと、なんにもわかっていないヒトなんだなぁ・・・という事で気持ちがサーッとさめていくのを感じました。


男女うみわけという試みについて努力するのはアリだと思います。

でも、大事なことは、「人の操作は可能性を高めるだけで、100%には及ばない」と、その一点をわきまえることではないでしょうか。

願いを実現するために努力することは大事なことです。

でも、努力が結果に結びつかない領域も存在します。

私の父は、私が母のおなかにいる間に勝手に「架空の息子」の父親になりきってしまいました。

私の誕生は、「架空の息子」を消滅させてしまいました。

父の落胆…かわいそうだとは思いますが、そんなの知ったことかっ!!

メーワクでしたよ、私の方こそ。


私は、子どもがおなかにいる間は、性別やその他の情報を極力知りたくないです、と主治医に言いました。

また、かなりおなかが大きくなるまで、自分からは妊娠のことを周囲に話しませんでした。

そうやって「閉じる」ことで、子どもと一体化して過ごせるのではないかと思ったのです。


たくさんの人に理解されなくても、たったひとりでもわかってくれる人がいれば、人間は生きていけると私は思っています。

ダンナさんだけには、わかってほしかったけれど、ダンナは、実父と同じような態度をとり続け、心がはなれてしまいました


子どものとき、「お菓子の家のおばあちゃん」とよんでいた人は、近所では厳格な人だと思われていました。

小さいときかわいがってもらった記憶はあるものの、ダンナと結婚するとき、「あの厳しいおばあちゃんの家で、私はやっていけるんだろうか?」という不安がありました。

でも、実際には、おばあちゃんだけが、私に「こうあるべき」というものをおしつけることなく、そのままの心でいることをゆるしてくれたのです。

今は、天国へいってしまったおばあちゃん。

結婚してからの10年間、おばあちゃんが家族でいてくれたことに感謝しています。