2011年2月19日に日本経済新聞に画像のような記事が掲載された。
小さすぎて、見出しくらいしか見えないと思いますが…
内容は現代の妖精について!!
(以下 記事の内容)
妖精は昔から身長数センチの人型で、羽の生えた定番タイプや、童話に出てくるような、三角帽子の子どもタイプが主流。
ところが最近、圧倒的に「小さいおじさん」の目撃情報が多い。
数年前、タレントがテレビで目撃談を披露したことから有名になり、今や妖精と言えばおじさんタイプ。
スーツを着込んでいたり、メガネをかけていたり、ジャージー姿の場合もあるらしい。
「なんでおじさんなの」とか「どこの社員よ」とか、突っ込むのはヤボというもの。
小さいおじさんは「心の美しい人しか見えない」そうである。
*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚
この記事を見た頃、私は実父を亡くしたばかりだった。
父のもとで過ごした子ども時代をしきりに思い出していたとき、この文章を読んで、妖精にまつわる思い出がよみがえった。
いや、よみがえった…といっても、私は一度も妖精を目撃したことはない。
それでも小学生の頃は「いてほしい」と思っていたし、自分に見えないだけで、どこかにいると信じていた。
私はおとなしい子どもだったので、「もし姿をみせてくれても、誰にもしゃべらない」という自信があった。
そういう人間にこそ姿を見せるのではないか、と勝手に期待していた。
その当時、読んだ本にも、たしか「美しい心の人でないと見えない」とかいてあった。
それで自分なりに努力した。
たとえば給食当番が片づけをわすれていたら、当番でなくても、そっと片づけにいくとか…。
このときめだたないように静かに善行を完遂することが大切。
そういうやり方で、妖精にアピールしていたつもりだった。
しかし、担任の先生が気づいて「えらいねー」と言ってくださったこともあった。人間に気づかれて、ほめられるのは失敗。ほめられようとしてやった行いは、妖精から「美しい心」とみとめてもらえないのである。
…というような事を大まじめに、やっていたのだけれど、むくわれず妖精に会うことはなかった。
現実では見ることがかなわず、童話の世界で、たくさんの『小さき人』に出会った。
この小さき人の物語を入り口に、森田療法「あるがまま理論」について考えてみたいと思います。
と言いつつ、この続きはまた次の機会にかきます。