石ころ帽子とマフラー | 風の日は 風の中を

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~職場や学校で不安感に悩んでいる方へ~
「不安とともに生きる」森田理論をお伝えしたいと思いブログを書きはじめました。
2011年9月からは、日々感じたこと、心身の健康などをテーマに日記を綴っています。

Iさんへ

あたたかい心をありがとう。

居場所をなくしかけていた私に「みすてない」という言葉。

首にはマフラーをまいてくださいました。

Iさんのあたたかさが伝わってきて、もう少しここにいようと思いました。


先日、外国で覚せい剤運搬役を、知らないうちにおしつけられた日本人女性に死刑判決がくだされたというニュースが流れました。

異国の地で、犯罪者として扱われ、その国の法律で裁かれ祖国にもどれない…前記事にかいたゴビンダさんのことが、また心に浮かんできました。


1997年は重大事件が次々と発生した年です。

東電OL殺人事件は、世間の耳目を集めました。多くの人が事件のなりゆきに注目していました。

しかしゴビンダさんが逮捕された数日後、神戸市須磨区において、のちに「少年法を一撃で変えた」といわれた重大事件が発生、日本中の視線はそちらに集中し、ゴビンダさんが一貫して無実を訴えていたことは、あまり世間に浸透しませんでした。一審で無罪判決がでたものの8か月後に覆され、以来ずっと事件の犯人として扱われてきたのです。


ゴビンダさんが逮捕されてから2週間後、先にかいた神戸連続児童殺傷事件の少年は、神戸新聞社宛てに声明文を送っています。

その中にあった「透明の存在」という言葉だけは強く記憶に残りました。

少年より、ずっと年上の私も、かつて少年の年頃、透明の存在ということについて考えていたからです。

「透明の存在」というワードではなく、「石ころぼうし」という言葉でした。

「石ころぼうし」はドラえもんのポケットから出てくるアイテムです。

これをかぶると、透明にはなりませんが、それに近い存在になります。

人々の目にはうつるけれど、道端の石と同じで関心をもたれなくなるのです。

「だれも私にかまわないで」という精神状態のとき、このぼうしをかぶることができたら、どんなに心が解放されることだろう、と漫画をよんだとき思いました。ドラえもんのたくさんの道具の中から、なにかひとつ選べるのなら、これかな…と大人になってからも、よく「石ころぼうし」を思い出しました。

しかし、物事にはかならず両面があり、都合のいい部分だけ受けとる、というわけにはいきません。

ドラえもんから、石ころぼうしをあたえられたのび太くんも、注意を払われなくなったがゆえに、危険な目にあい、最終的に帽子をぬぎます。

石ころ帽子は、自らの意志で着脱できる点がいいのです。

この帽子をかぶっていないのに、誰からも関心をもたれず、目の前にいても「いないも同然」と無視される…そんなしうちを受けたら、やはり生きていく希望がなくなっていくと思います。それでいて、だれにも関心をもたれたくないと自ら心を閉ざしてみたり…ほんとうに勝手なものです。

いろいろな出来事の中で自分のありように自信を失い、石ころぼうしをかぶりたくなります。

それで自分の心を守ろうとしているのか、現実逃避なのか…わからないまま。

石ころぼうしのかわりに、Iさんのマフラーを首にまいて、もう少し、ここにいたい。

さがしていこうと思います。人とのつながりを。