(前回記事)

心の履歴(82-2) 
京都のもう一つの裏状況
2023-07-08 

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(今回記事)
2008/06/24 著

1972年(昭和42年)春のことです。
バイトの古手に浜中(仮称)さんがいました。
当時としては、中肉中背。30歳弱。

我らとは組せず、常に孤高なのです。
そして、何等かのオーラがあり、皆から訳も無く尊敬されていました。

彼は地元の熊大を卒業後、再度ここ京都のD大学に入学。

そして当時は6回生。
父親が小学校校長、母親がお花の先生でした。

彼は我等とのマージャン等は一切しません。
琵琶湖や尼崎・住之江競艇の無い夕方は、いつの間にか消えています。

行き先は、茨木市の竹下テレビ(仮称)工場の女子寮で、それは郊外の田んぼの中にポツンと建っているのです。

 

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無論、正面玄関からは入れませんから、女子達に手招きされ裏口から入室なのです。

 


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彼の夕食は、女子寮の部屋で彼女らの手料理です。寮は一つの建物で百人弱。二人~四人一部屋で地方出身の十代の女子工員が居住しています。当にハーレム・竜宮城なのです。


ご帰還は午前4時。

茨木から下京のウナギの寝床までタクシーで。


他方、琵琶湖や尼崎・住之江競艇開催日は、昼前に消えます。競艇は強いのです。

処が、遂に、彼は胸を病むのです。夜の女子寮で極端な体力消耗と睡眠不足だからと我らは冷やかしました。

熊本から両親が来て話し合った結果、熊本の田舎で療養する事になりました。

でも、直ぐに帰郷しなかったのには訳があるのです。
競艇で最後の勝負をするからです。

新車を買って車で熊本まで帰るつもりなのです。

最初の四日間は若干の勝ち。

次の四日間では45万円プラス。

日産サニーだったら買えるがブルバードが欲しいとか。

さあ、更に次の四日間でブルの新車を買える!!!


最後の四日間が、当に最後の四日間となりました。

結果は、ドボン!のスッテンカラリン!
熊本に帰る旅費をも使ってしまいました。


「金送れ!」と彼は熊本に電報を打ちました。
二日後、母親が着物姿で迎えに来ました。

流石お花の先生。

品のある、きれいな人でした。

彼は我らの仕事で出払った後、ひっそりと帰っていったそうです。

 

昭和版 竜宮城と浦島太郎物語でした。

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心の履歴(84) 

元芸妓とチントンシャン
!2023-07-09

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心の履歴:20代編 目次
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