(前回記事)

心の履歴(63) 

二十歳過ぎの日々;競艇・麻雀・祇園
2023-06-17

https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12807896033.html
 

(今回記事)

2008/03/11 著

店主が、私と27歳の仲根(仮称)さんに家を建てなさいというのです。

場所は、徒歩5分弱の元うなぎの寝床をつぶしてガレージとしている場所です。

私も仲根さん共に大工仕事は全くのアマチュア。

と言っても、それまで仲根さんは、このガレージに鶏小屋のような三畳の平屋を建てていました。

 

そこで改めて街中で新築中の現場を何か所か見つけて二人でじっと大工の作業を見て学びました。


この時、二人で建てた家は土台は駐車場のコンクリート。それに工事用の高さ2m直径15cm程の鉄柱四本を立て、その上に六畳間と半畳の押入れ式ベット上下の一部屋です。

インドネシアの木の上の山小屋みたいなものです。
横に取り付けた鉄製階段を人が歩く都度、部屋全体がゆらゆら揺れる代物でした。

その後、その隣に、各階が四畳半に半畳の炊事場と押し入れ付きの二階建ても建てたし、木の上の山小屋の下に もう一部屋作り鉄柱を外しました。無論、違法建築です。

元々がうなぎの寝床の地形の利点は、奥で何をしていようが入り口は狭いですから表からは見えないことです。

 

と言っても、隣家からは丸見えで、何度か役所にタレコミがあり、都度、違法建築調査に来、警告となりましたが、店主には馬耳東風でした。

《800km遠方の親父の事故を夢で知る》
 さて、いよいよ入居です。当初、この山小屋には、私と一つ年上のR大三回生の二人だけの予定でした。


処が、店主はガレージに部屋をどんどん作れると分かると、次から次へと人を募集しました。

 結局、この部屋には四人が住居したのです。新しい二人と言うと、東京芸大中退の真っ黒い髭もじゃもじゃの藤村君とR大ニ回生の越生君。越生君の夜のアルバイトは木屋町の高級ナイトクラブ・メトロでのトランペット奏者。
 
 ある日の深夜、私は夢を見ました。
親父が自転車に乗っているのですが、砂利道に前輪をとられ転ぶ瞬間でした。

「危ない!」と私は夢の中で大声をあげて- - - 
目が覚めたら、暗闇の中、私の顔の直ぐ前に越生君の顔。

彼は「ウ~~ン、重たい! どいて」と寝ぼけたまま。私は1mほど高い押入れ式寝台から彼の上に落ちたのでした。
親父の身に何か起きたな!と直ぐに思いました。

その年の12月、皆で、大阪・日本橋の電気街に行った時、電気毛布を買って親父に送りました。
縁を切らせていただいたまゝの親父に。

その時、実際、親父が自転車で転んで肋骨を六本折ったという話を聞いたのは一年半後です。
やはり、親子なのですね。

(追記) 2011.12.21

《生きていた遊郭 初島》
昭和42年だったと思いますが、髭もじゃもじゃの藤村君(仮称)が面白いところに連れていってあげるというので夕方から出かけました。

彼は私より4歳年上の25歳だったと思います。
彼の自慢は、NHKの脚本募集に友人二人で応募し、賞金10万円を貰ったとのこと。

電車で行った先は、尼崎市・初島というところで、着いた時にはもう夕闇。

どのくらい歩いたか記憶にないですが、奥が明るい街の一角の路地に入って行きました。

びっくりしました。
その光景は、小学校や中学校の時 観た東映のチャンバラ映画に出てくるシーンと瓜二つの遊郭でした。

https://mag.japaaan.com/archives/105013/3

この時観た格子の柱は太く、まるで牢屋のようでした。
その格子の隙間から長襦袢を着た女性達が指名を待っているのでした。

道には所謂やりて婆という老いた女性が袖を引っ張ります。私はおっかなびっくり、彼の後を追って歩きます。

藤村君は都度やりて婆に「もう済みました」と言ってその一角を歩き回りました。
こういう状況を見たのはこれが最初で最後でした。

日本で売春禁止法が制定されたのが確か昭和33年4月で私が中学1年になったときです。
もう、こういう遊郭は無くなっているものと思っていましたが、残っていたのです。

 

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心の履歴(65) 
微かな梵鐘;私は京都にいる
2023-06-19 

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