今回記事は、「日韓併合時代の証言」(2017/03/05 著)2023-04-23 の続編です。
https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12799776715.html

 

 

『僕が親日になった理由』
金智羽 


1967年韓国釜山生まれ。韓国東国大学(ソウル)卒業。卒業後、オーストラリアにて2年間留学.。その後、日本(東京)での2年間の留学生活を終え、一時帰国、再度約7年間日本在住。年数回韓国と日本を行き来し、現在韓国釜山在住。

●日本統治時代を体験している父親から、「生徒に体罰を与えるのは朝鮮人の先生であり、日本人の先生は体罰をしないどころか、むしろ止める側だった」と聞かされた。

(その他の著書)
『韓国男性に恋してはいけない36の理由』 2005年
成甲書房。
『なぜ日本人は韓国人にこんなになめられ続けるのか?』 2015年、夏目書房新社。

醜い韓国人 歴史検証編―これは本当のことではないのか
朴 泰赫《パク/テヒョク》/加瀬 英明【著】

「日帝が両班階級による横暴を取り締まったので、民衆の生活は楽になりました。

民衆の側から見れば、李朝時代よりも日本統治時代のほうが、生活があらゆる面でよくなったから、対日感情は決して悪いものではなかったんです。

だから、独立運動が広範な支持を受けることがなかった」とは、ある韓国人の証言。

正論2002/2月号
呉 善花(お・そんふぁ)拓殖大学教授

1956年、韓国・済州島生まれ。83年来日

●特に教養もなく素朴な田舎人として生きてきた私の母たちが、なんのてらいもなく感じたままの「日本および日本人へのよき印象」を語るのはなぜか。

 

そこにはなんら植民地コンプレックスはなく、ただ自分たちの体験を通しての率直な日本人観・日本観があるだけだからなのである。

●統治し善政をしく外国人支配下の生活よりも、たとえ悪政の限りをつくされたとしても同国人支配下の生活の方がいい、などという考え方は庶民のものではあり得ない。

諸君!2003/7月号(呉善花)
●日本は統治後しばらくして、初期の武断統治的な姿勢を根本的に改めた。そして事実、生活の蹂躙に至るような統治をしないことを一貫させ、法治主義に徹していった。

過酷な統治を布いたのは日本ではなく、日本統治以前の李朝政権であり、戦後の金日成政権や李承晩政権だった。

 

日本統治はそれらとはおよそ比較にならない善政だったし、人々はそれらの時代とは比較にならない平和で豊かな一時代を過ごした。

『ある韓国人の日本に帰化する心とは』 2013/11/12(火) 
http://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/62255644.html

『捏造された日本史』
黄文雄


●朝鮮総督府の武断政治は、大韓帝国の皇帝や両班(官吏)による政治ほど『武断』ではなく、憲兵警察との二本立ての制度がフランスと同じで、主な目的は朝鮮人警察に対する汚職防止と治安維持だった。

併合初期の治安維持には大きな貢献をしている。たとえば1908年10月から翌年の初年度に発生した傷害事件は780回、延べ34,400人にのぼったが、5年後には5回、延べ45人にまで減少したのである。
         
『親日派のための弁明』 単行本 – 2002/7
金 完燮  (著, 原著), 荒木 和博 (翻訳), 荒木 信子 (翻訳)

この本は、反日の著者がオーストラリア滞在中、軽い気持ちで日韓の歴史を書こうと調べたら、歴史が逆さまになっていることに気付き、資料に基づいて書いたもの。

韓国で出版されるやい否や「青少年有害図書指定」され、次々と名誉棄損などで裁判を起こされ、公判中二度も暴行され、今は軟禁中。

●日本時代、朝鮮では3・1独立運動(1919年)と光州学生運動(1929年)以外には、これといった反日騒擾がおきたことはない。

 

3・1運動をみても、今日教科書では当時の日本軍の鎮圧ぶりを誇張している面がある。全国規模のデモは発生したが、日本の警察は運動に加わったという理由では1人も逮捕しなかったし、暴動を主導した人々に対しても、大半は訓戒と軽い罰金刑ですませた。 

日本は、朝鮮を植民地ではなく、拡大された日本の一部と考えていたから、莫大な投資を惜しまなかった。

今日の日韓関係は、戦後、日本と韓国を支配してきた米国によって作らtれた。

日韓併合時代の朝鮮人は、日本人としてのプライドを持ちながら、かなり満足して暮らしてた。

 

処が戦後、単なる犯罪者だった者が独立運動家と名乗り、他方、日本人と親しくしていた人々が日本に敵対的な態度をとるようになる。

 

(朝鮮人の体質・文化)Divide and conquerの最適民族
『子供から育てた狼でも、やがて飼い主を咬み殺す』 2012/10/17(水) 

例えば

 終戦直後、恩を仇で返した
 『和夫一家殺人事件』

 

韓国(8)

ユキヒョウ(雪豹)にみる日本人の過ち
2020-05-15 

https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12597236523.html


 

日本の天皇が降伏宣言をした一九四五年八月十五日その日、和夫がわが子のように育て、東京帝国大学に留学までさせた朝鮮人Aの主導下に、彼の家で教育を受け、育ち、成人した朝鮮人青年たちが、斧と鍬、スコップを手に、和夫のもとに押しかけ和夫を惨殺。妻をば強姦し、妻はその行為の途中で死亡。


更に朝鮮人Dは、普段お母さんと呼んでいた息絶えた彼女の全身を滅多刺しにするだけでは足りず、内臓をひきずり出して撒き散らした。そして和夫の全財産を奪った。

(註)米国は、植民地とした日本と韓国を意図的にお互い反感を抱かせる戦略「Divide and conquer」(ディヴァイド アンド カンカァ)(分裂と征服)をとっている。その代表例が経済面であり、韓国の歴史の捏造である。故に、根源は米国にある。

(次回記事)
韓国人が知らなければならない歴史
『日韓併合前の李氏朝鮮時代の政治と風習』 2012/10/7(日) 著

 

(引用ソース)
http://kenjya.org/nippontouchi.html




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