(前回記事)

心の履歴(124)
部下は捨て石
2009/02/24 著

https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12741233961.html

 

(今回記事)
心の履歴(125)

ランチェスター戦略の実践
2009/02/25 


私の上司山村部長のことでちょっと一言。
彼の奥方は、洛中生まれの洛中育ちの有名な家の出。

プライドが違うんです。
彼女の三人の子供達や私達のいる前で、この奥方のいつもぼやく台詞(せりふ)。

「うちの亭主はねェ、出世がねェ。うちは同窓会に行って恥ずかしゅうて!恥ずかしゅうて!」

 

奥方の同窓会とは、洛中にある女子短大卒業生の懇親会パーテーのことで、奥方の女子短大は人数が少ないものの、良家のお嬢さんばかりでした。

 

そして彼女らの嫁ぎ先は、やがては京都の名の知れた企業の社長や役員、大学教授などであったのです。

 

処が彼女の亭主山村氏の勤務先は、京都でも無名に近い企業太秦㈱で、然も、単なる部長職であったから、奥方にしてみれば、同窓会で引け目を感じるのは寧ろ当然でした。

 

そもそも亭主の山村部長は京都の有名な織物会社に勤務していた時、あるマネキン会社の社長の仲立ちで奥方と結婚。

 

処が彼は京都人の嫌う四国出身故、その織物会社で冷遇され、奥方に何の相談もなく退職。以来奥方の怒りは始まったのでした。

 

だから京都人は京都が好きなの


https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12586775899.html?frm=theme
【京都の人の言う「京都」の場所とは】
【京都の人の嫌いな県民】
【京都の人の嫌いな方角】

 

亭主山村部長が、人前で吐く奥方のなじりを何とかして止めたいとの思いでなりふり構わずだったのです。

 

   ☆.

 

話はそれましたが、さて、本題に戻って、さて、今回の記事は、私にとりまして、その後の行動を180度変える体験でした。
 

1977年頃のことです。
法律が変わり、商店では旧型の機器を使えなくなるのです。

私の仕事は大口顧客と卸先開発なのですが、支店長からBB課を応援するように要請があり、BB課担当の小売店への訪問販売をすることになりました。

そのエリアは、支店長の金魚のフンBB課中江君(仮称)担当の三多摩エリアです。

 



ここは、都内23区の平均シェア(市場占有率)30%弱に対し、1%にも満たない惨憺(さんたん)たるエリアでした。金魚のフンが、いかにさぼっていたかです。

でも、ライバルメーカーが圧倒的シュアを持っているエリアなので、売れないのは当然と本部や支店長は思っていました。

私はこのエリアで本能的に弱者戦略を実行していたのです。

三国志でも、それまで戦に負け続けてきた劉備玄徳が、徐庶(じょしょ 単福)を戦略家として迎える事により、勝つ様になったのですから、三国志の面白さを知っている人なら、戦略の威力を理解できると思います。

最初は、武蔵野管内の三鷹市からでした。

この地域はメーカーSB社(資本金67億円)の牙城です。
我社は5年前から現地の商業組合会長から出入り禁止を申し渡されている程の地域で、無論、我が社の顧客はゼロ。

 

但し、たった1台、あるのですが、それは他の地域の廃業する商店からもらったもの。
 
その日、出勤せず朝寝をし、昼過ぎ、のんびりと車で出かけて三鷹市へ。久し振りにいゝお天気の日でした。

三鷹は路上駐車が難しく、最初に偶々車を停められる路地の商店を訪問。店主の30歳前後の息子さんが、隣のパーマ屋の母親に話してくれというのです。

そのパーマ屋のお母さんと、お客さんが来ないので、二時間ほど四方山話をしました。

帰ろうとしますと「ちょっと待って!契約書に判子を押すから」。
在店二時間の中で商売の話は最初のたった3分だけでした。

帰社してびっくりしたのは金魚のフンの中江君。
「エッエ~~? あの地域で??飛び込みで??即決??」

    ☆  ☆  ☆

三鷹市はもういいからと、次が国分寺市へ。処が、商店訪問を始めたとたん、国分寺市はもういいからと言うのです。どうやら彼はここで自ら実績を上げられると踏んだのでしょう。

そして小金井市を頼むと言うのです。
ここは家電最大手のM社(資本金2,587億円)のシュアー70%エリアでM社の牙城なのです。

我社ユーザーは、たった三店(三台)のみ。

早速、小金井商業組合の会長宅に金魚のフンと担当引継ぎ挨拶の為同行訪問しました。

会長宅のはす向いのマンションにはM社の社員が住んでいる程、密着していたエリアです。

このエリアでの旧機から新台買い替え分は27台で、全部M社の製品を納入済みでした。

他方、現在使用中の機器の改造希望が40台(40店)。
これじゃ、もう戦いは終わっている。
流石、金魚のフン君、エライ市場を私に任せるもの。

酒販店の会長に提案しました。
「改造費七万円にプラス六万円の13万円の格安で、新小型機種を提供しますから、改造予定の40店に新品を納入しましょう。」

更に、「私が単独で一軒一軒の商店を訪問するのではコストが合いません。会長!あなたが私の助手席に乗って、一緒に各お店を訪問しましょう」

渋る会長。
それもそうです。
M社と組合とは永年の腐れ縁。

 

「会長! あなたは組合員を代表し、そして組合員の為の会長なのですね。組合員の為に、一肌脱ぎましょう!」

見本機5台を積んだトラックの助手席に会長を乗せ、三日間で40軒訪問。その後のホローも含め36台を受注。
悔しがったのは金魚の糞。
この事をM社が知った時は後の祭り。

次に任されたのが国立市。
自社機器ユーザーは町外れに二軒のみでした。
駅の北側に一軒、南側に一軒。

但し、自社が販売したものではありませんでした。当時NECグループのAN社(資本金112億円)の代理店が販売したもの。

この町の特徴はJR国立駅(地図上端)を起点とし、垂直に南(下)に走る大学通りに、末広がりで旭通りと富士見通りがあります。

 



この大学通りを挟んで、東(右・緑の○)がG社。
西(左・ピンクの○)が商業組合会長の薦めるK社に二分。
南の甲州街道沿い(下・青の○)はまちまち混沌。

商業組合主催の展示会があり、偶々、東地域の内海商店(A)と懇意になりました。

翌日、彼の店を訪問。
受注と今後の協力を得ます。
彼は商業組合員から信頼を得ている温和な人でした。
さて、どうこの町を攻略するか。

無意識にランチェスター戦略の三点攻略法のプロセス・二点攻略を採ります。


簡単に言えば、「挟み撃ち」です。
オセロゲームの変形版です。
舞台はJR国立駅から東南に走る旭通り。

一点目(A点)は、内海商店。
二つ目のB点にしたのが駅前で旭通りの最初の店。

無論B点はG社ユーザーで、A点からB点の間の五店のユーザーも全部G社ユーザーです。
この端のB点を落とせるかどうかが勝負となりました。

G社は都内23区でもシュアー・ナンバーワン。
無論、全国でもシュアー・ナンバーワン。
G社営業マンの特徴は、ジェントルマン。

このB店、難攻不落と言われていたのですが受注に成功します。これで二点攻略法の二点目が出来ました。

次は、この二点A⇔B間の残る対象の五店を、BからAに向かって順次訪問していきます。点から線への戦略です。

五店共に短期で受注しました。
ランチェスター戦略「挟み撃ち」の威力発揮です。

つまり国立駅から旭通りの左右七店は、全部我社ユーザーに変わったのです。

ランチェスター戦略での次は三点攻略法なのですが、それほど広いエリアではありません。

以後、私は、三多摩方面に出かけた際、都度、この7店を含め、それまで販売した小金井市の顧客の店にも立ち寄りました。

私のスタイルは、御用聞きです。
「奥さん、機械の調子はいかがですか?」
それと、「何かお困りのことがありませんか?」の二言のみ。
つまり、一軒の滞在時間は、僅か10秒そこそこ。

間もなく色々な相談を受けるようになりました。
中でも、法律がからむことは、その場で即答しました。

こうなりますと、雪崩(なだれ)現象が起きました。
顧客が知人の店を、更にその知人が知人の店をと連鎖的に紹介してくれていったのです。

連鎖は国立市の東地域から甲州街道地域へ。
最後は駅裏へと展開しました。

受注台数50台弱。
新台納入シュアーは一気に60%台となりました。
この事で、改めて戦略の威力、戦略の重要性を実感しました。

後、支店長は、水無瀬が都下で簡単に販売しているから、青梅市でもBB課のベテラン営業員に販売させたら売れるだろうと思ったのか、都内担当の営業員5名を二日間、青梅市で販売訪問活動をさせました。処が受注ゼロ。

青梅市は、G社のほぼ100%シェアーなのです。
商業組合がG社推薦なのです。

この頃は、私は本来の業務に戻っていましたが、支店長の要請で私も二度目の青梅市での訪販活動に加わりました。

但し、午前中に用事があったので午後の半日のみです。
私に割り当てられたエリアは、青梅の駅前。
そこは、G社ガチガチの会長の店があるところです。
助っ人の私に実績を上げさせない魂胆がミエミエでした。

どうせ売るなら、会長を驚かせてやろうと思い、会長の隣200mの店を最初に訪問。無論、G社ユーザーです。

よもやま話を4時間し受注しました。話のきっかけは、女店主の亡き義父とは苗字は違えど名前が同じということからです。

彼等は翌日も営業するも、この二日間の実績は私の1台のみ。

翌週も彼らは二日間営業しましたが、実績ゼロ。
ようやく彼らが販売できましたのが翌々週に然も1台のみ。

ゲーム感覚の戦略思考を持って営業訪問する者と、単なる徘徊との差なのです。

この期間中、度々、G社営業員とはG社顧客の店頭で鉢合わせとなったり、展示会場で会ったりし、すっかり懇意となりました。

次の変化は、私がマーク車で三多摩の国道を走っている時、G社のある営業課長は私に手を振り私の車を側道に導きました。

三度もです。その都度、彼が幾度となく訪問したにも拘わらず、彼の落とせない顧客を私に紹介したのです。

無論、私は、その紹介先の訪問での第一声は、
「G社の営業課長の紹介できましたG社ライバルの太秦の水無瀬と申します。どうしてもあなたの操(みさお)が固く、落とせないから、私に落として下さいと言われて」

ここで店主共々、大笑い。
三軒いずれも初回訪問で即受注しました。
処がその中の一軒の顧客から思わぬ展開が待っていたのです。

つづく

心の履歴30代①入社編:目次
2022-04-08

https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12736672224.html