(前回記事)
心の履歴(112-2)
ゼロックス社員教育セミナー

https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12738128665.html
 

(今回記事)

心の履歴(112-3) 

三洋電機の工場コンセプト

2010/10/06 著

 

入社して初めて知ったのが、この会社は三洋電機と取引があり、年間取引高は、社長推進の機器と、弟の芳樹本部長が推進する店装(コールドチェーン)と合算し、十数億円あることを。


私、入社前の20代半ば、岡さんと二人での自営業(仮称、美園社)時代、三洋電機守口本社と大津市瀬田・琵琶湖東岸の滋賀洗濯機工場を琵琶湖の水質保全の件で訪問するも、滋賀洗濯機工場排水設備調査は拒否されていました。。

 

琵琶湖の水質に関しての管轄は滋賀県保健所のみでしたが、1960年代初めに滋賀県庁に環境課が新設されました。
 
1970年前後に始まったのが、琵琶湖の水質保全と工場の緑化です。琵琶湖の生態に関しては、この当時から岸辺の浮き草にプカリプカリしていた外来魚のバスが問題化し始める前でしょうか。

役所の人と何度か少しでもブラックバスを減らそうとしました。数個の釣り針を船の碇(いかり)の形に結わえ、それをブラックバスのいる近くに投げてグイと竿を引いてブラックバスを引っ掛ける方法です。然し大自然の摂理には我等だけでは到底敵わない!

 

水質保全と工場の緑化に関しては、当時、琵琶湖の南岸には幾つかの工場がありました。

 

私たちは工場廃水の監視も行いました。
琵琶湖の南岸沿いで水質を悪化させるだろう企業は、東レ瀬田工場、三洋電機滋賀工場、紅葉パラダイス、琵琶湖ホテル、社名は忘れましたが琵琶湖西岸に大きな染色工場がありました。

 

これらの企業では、排水を琵琶湖に流す前に沈殿槽を設け、そこに汚水汚泥や染色汚泥、金属・プラスチック粉塵汚泥などを沈殿させ、その汚泥をスコップやバキュームカーで除去するのです。

 

処が、コスト削減の為、沈殿した汚泥丸ごと琵琶湖に放流するのです。この放流は、大雨の日や休日(日祝祭日)で監視体制に無い時を狙います。

 

再々の県の指導にも拘らず、一部企業では止める気配は無いのです。 ですから私が出動するのは休日です。
 

例えば、染色会社の琵琶湖に流れる排水溝の排水の量と色は驚くべきものでした。

(画像)2010/10/04ハンガリー工場の廃棄物貯水池が決壊

 

一つ目の沈殿槽を全開すると、川幅4m程の排水溝は真っ赤な水があふれんばかりに琵琶湖に流れて行きます。
 
次に二つ目の沈殿槽を全開すると、今度は真っ青な排水でした。それが数十メートル先では、泥水と混じって色が消えるのです。

雨が降らない時の放流でしたら、排水口からは赤色とか青色の帯が琵琶湖の下流に向かって延々とつながるのです。

 

その工場側からは、私を正社員として雇用したい旨の要請がありました。排水設備室で本を読んでいてくれたらよいという条件でした。

県庁関係への私の顔を利用して排水を咎(とが)められないようにしようとする魂胆なのです。


この当時でも、工場の排水処理には相当なコストがかかりましたから、私の人件費程度は軽く浮くわけです。無論、断りました。

 

大半の企業からは、排水の検査と、例えば工場外壁一帯に公害に強い何種類かの樹を植える園芸の仕事をしました。

 

処が、三洋電機滋賀工場のみが門前払いなのです。

ここでは、「琵琶湖」という製品名で洗濯機を作っていたのです。

 

https://www.its-mo.com/maps/poi/LOC_AED-10105/

 

特にこの場所は琵琶湖の最南端・瀬田にあり、湖幅が狭まり、湖水が下流の南郷に向かって川の流れとなるのです。

 

その排水とは、塗装液と研磨した金属粉です。

金属粉は沈殿槽を通さずに直接琵琶湖に放流しており、それを告発した記事ではその排水の様子が画像で掲載されていました。

 

にも拘わらず、或はそれ故か、三洋守口本社と滋賀工場は我らとの接触をかたくなに拒否し続けたのでした。

 

こういう前提があるので、私は三洋電機を好ましからざる企業と看做(みな)していました。

 

つづく

心の履歴(112-4) 
三洋倉庫定期的炎上
2007/03/30 著
https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12738299322.html

 

 

心の履歴(30代①入社編:目次
https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12736672224.html