序章

私がひょんなことで妻と出合ったのが、彼女が大学3回生になる寸前の春休みでした。

 

その時の私は、二つ目の大学の4回生で、あと4年は学生の身分でいるつもりでした。

 

それは、私の持っているある資格で、23歳年上の岡本(仮称)さんと二人で4年前から自営業を始め、それで結構いゝ収入を得ることができたからです。取引先は、京都・大津の企業です。

 

父には京都に来た都度、私と岡本さんと一緒にしている仕事の現場に連れて行きました。「成る程!これで食える!」と言うのが父の私の仕事への評価でした。

 

彼女が卒業したら彼女と結婚しようと思い、翌年の1972年(昭和47年)、北陸に高速道路が無い時代、片道800km遠方の秋田の田舎に数度車に乗せて16時間かけて連れて行きました。

父母は気に入ってくれました。でも、先方の両親を口説くには相当難儀だろうと言うのが父の意見でした。

 

「先ずは、大学を卒業すること。それで相手の親が納得するか?」と父。


そこで、当初、8年在籍するつもりで卒業必要単位も半分しかとっていなかったのですが、1978年(昭和48年)、未修の体育や第二外国語のドイツ語も含め、不足単位を満たし、大学を急遽6年(6回生)で卒業しました。


そして同年彼女も大学を卒業し、彼女は私と婚約していることを彼女の父親に報告すると、案の定、彼女の父親は、当初は猛反対でしたが、娘と私が離れられない状況にあることを知り、「自営では嫁にやれん。定職に就くこと」 が、結婚条件でした。

 

恐らく私はその時の仕事を辞めないだろうから、結婚を諦めると思ったのかもしれません。


その時は定職に就くと言う事が、どんなに低収入が続く事とは考えてもいませんでした。

巷でマイホームは夢と騒いでいる事が不思議でした。
その時の収入では、その気になれば、二年半で、結構いい家を京都市内に建てられました。

会社勤務をしたとしても仕事では問題なくこなせるだろうし、大卒の同じ年の連中とは、5年のハンデイがあるも、年功序列でなく実力評価の会社なら追いつくのに2年も要さないはず。

全く知らない会社を面接しました。

それを聞いた妻の父親は驚いたでしょう。


但し、こちらの条件として、入社を11月にしてもらいました。
それまで二人でやってきた仕事を一人に任すのですから、人間関係の引継ぎ期間が必要と言い訳して。


もう一つの条件は、既存の事業部では面白くない故、新規事業部への配属希望です。

全く知らない会社に入った理由は、万が一、私が期待に副えない働きの場合、紹介者に迷惑をかけることゝ、そう思う反面、自分の実力だけでやっていきたいという若気の至りでもありました。

それまでの仕事は、岡本さんの顔で、京都の多くの地場大手企業に出入りしていましたし、社長宅にも出入りしていました。

 

それは、岡本さんは、元京都の有名な京呉服問屋でかって20代後半で異例の抜擢をされた超やり手の営業管理職でしたので、多くの社長ご夫人とは入魂だったのです。

 

無論、私の身分がD大の学生であることは皆さんご存じで、大学生を重んじるのが京都の風習でもあり、私に好意的でした。


恐らくあの社長と私をよく知っている奥方に頼んだら入社させてくれるだろうとの思いが数社あったのですが、敢えて全く知らない会社に面接し、入社したのです。

 

つづく

心の履歴(103) 間違っていた会社選び
2022-04-09 

https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12736345085.html

 

 

心の履歴30代①入社編目次
2022-04-08

https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12736672224.html