(前回記事)

心の履歴(224) 
皆 「がんばる!がんばる!」
2021-11-15 (2010/01/18 著)

https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12710303796.html


心の履歴(225) 

新幹線で校歌を歌う社員旅行

2010/01/19 著

 

秋の社員旅行のお話。
1986年10月下旬。

前年は、ウズマサ広島小橋所長(H)の企画で日帰りの瀬戸の島行き。営業所の数字が悪いから日帰りにしたのだそうです。

 

でもウズマサグループの互助会から社員旅行助成金が出るが、余剰金はどこに消えたのでしょうか?

それにしても社員旅行でも小橋所長(H)は相も変わらず威張り通し。今年(1986年)もこれと一緒じゃ、堪らない!

今年の我社は我社で独自の社員旅行を。
当初案は、広島空港⇔鹿児島空港往復。

鹿児島空港からは、観光バス。


開聞岳、長崎鼻、フラワーパークを巡るコース。


宿は、指宿観光ホテル(2010年現在指宿いわさきホテル)

処が、若手の彼等は新幹線に乗りたいと言う。
高校の修学旅行に行けなかった彼等。
修学旅行期間中だけ停学にされていた彼等。

東京技術研修組は飛行機往復。
拠って新幹線に未だ乗った事が無い。

大阪技術研修組は新幹線に乗ったのだが、それは孤独な一人旅。皆と一緒に高校時代の修学旅行の気分に浸りたいようだ。

 

故に、帰路はわざわざ鹿児島から在来特急列車で小倉乗り換え新幹線乗車の計画。

 

さて、旅行出発は日曜日の朝。
広島空港(現在名 広島西飛行場 西区観音新町)で搭乗。

そして鹿児島空港に降りるも、あいにくの雨。
観光バスに乗るも、景色は霧、霧、霧。

桜島や開聞岳と言っても、裾野も見えず。
わざわざ鹿児島まで来て地面に降りた雲を観に来たようなもの。

観光バスには我等以外にも乗客がいました。
全員一致で観光を中止し、ホテルに入ることにしました。

指宿観光ホテルに入ったのは午後三時台。


ゆっくりと温泉三昧。
大きな建物ですから、迷ったり。

 

さて、いよいよメインの大夕食会。
懐中電灯で案内をされて、真っ暗な会場に入りました。


 

会場は温室。扇形。
柄に当る所が舞台。

扇を広げた所が四千数百人の座るテーブル。
日比谷音楽堂スタイルですね

そして、いよいよ大夕食会の開幕。
先ずは本日の旅行客の順次紹介です。

その時は、紹介の対象者だけにスポットライト。
無論、新婚旅行のお二人さんだけにも独自のスポットライト。

いよいよ我等の番。
我等は全員総立ち。

暗闇の中、我等だけ青いスポットライトを浴びる。
闇の彼方の皆さんに向かって、四方八方、両手を振りかざす。

「イエ~! イエ~!」

いよいよ食事。
これだけの人数ですから、メニューは推して知るべし。

食事中、舞台での演劇や客参加の踊りやゲーム。
早く手を挙げた者勝ちで舞台に。

我等の社員、誰も行こうとはしない。
「行け!たかがこれ位で怖気づいていたら何も出来ないよ!」

それでも中腰。
何しろ4千数百人を前にしての壇上ですから、そりゃビビる。

そうか、そうか。ここは率先垂範!
先ずは私が浴衣のすそをつまんで小走りで舞台に上る。

そして素敵な女性たちとフラダンス。(私は後列右端)



私が一度上ったら、皆が手を上げ次々と舞台に。

何度かの舞台でのゲームの後、ようやく腰が動いた村主君。
舞台に行こうと歩み出したら、ここで舞台はお仕舞。

まあ、人生、こんなもの。
チャンスは待ってくれませんからね。

然し、舞台に上った社員の彼等。
人生、二度と味わえない体験。

舞台から降りてきてからは、興奮!興奮!でした。

翌日、帰路、鹿児島から在来特急乗車。
この時は皆、何故かひっそりで精気ゼロ。

小倉から新幹線。
月曜ですから、車中はサラリーマンの皆さん。

ここで彼等は、急に缶ビールにワンカップを一気飲み。在来特急では借りてきた猫だったのに、突如、陰から陽に変身。

周囲に気兼ねする事無く。
私、ハラハラ。
連中、二日酔いが回復した?

この新幹線では僅か小倉→広島1時間の乗車時間。
彼等は楽しみ、そして惜しむように。

彼等の高校時代、同級生と一緒に、どんなに修学旅行に行きたかったのか。どんなに皆と新幹線に乗り、騒ぎたかったのか!

 

一人が自分の卒業した高校の校歌を歌い始めたのです。歌の一番目は小声で。二番目は普通に。何と、三番目も歌えるのです。それも結構な大きさで。

 

私は立ってドア付近の座席から車両中央に向かって言いました。

「すみません。騒ぎまして。実は彼らは高校時代、修学旅行期間中、停学させられ、皆と新幹線に乗って修学旅行に行けなかったのです。ですか新幹線に初めて乗ったのが嬉しくてたまらないのです。広島で下車しますからそれまでご容赦願います。」

 

私が話している時でも二人目がやはり自分の卒業した高校の校歌を歌い出しました。同じく三番目まで。

 

それが終わると、三人目も三番まで。然も真剣に。

 

私なんかは、そもそも高校時代の校歌を覚えたことがない。歌うときは、口のパクパクだけである。

 

記憶にあるのは、国体などに出場する選手の壮行会で、或いは野球などの試合中に歌う短い短い必勝歌のみである。

 

   ☆

≪秋田県立本荘高校必勝歌≫
いざ鶴舞(かくぶ)の健児
いざ丈夫(ますらお)よ
起て起て本高
行け行け健児
がい冠かついで行け

   ☆

 

然し彼らは何故か夫々校歌を三番まで歌える。

 

成程、彼らは何れも停学期間中、学校からの宿題の一つとして校歌を三番までそらんじて歌うことだったのか。

 

新幹線車中で校歌を歌うということは、イコール、修学旅行に行けなかった無念さの吐出か。

 

腹がよじれるばかりに笑いましたが、他方、ポロリでした。

 

そうこうしているうちに広島駅着。

新幹線のあっという間の1時間の旅は、彼らにとって恐らく一生忘れられないものとなったでしょう。

 

つづく

 

心の履歴(226) 
広島の街の香り
2021-11-16 (2010/01/24 著)

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『心の履歴』40代広島常務編 目次
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