話せば分かると考える日本人。だが、韓国人(韓国社会)と日本人(日本社会)との違いは、どんなに努力しても越えに越えられぬ壁があると指摘している。2012/10/04 著「日本人の心の甘さ」
(呉 善花の前回記事)
韓国(14) ある韓国人の日本に帰化する心とは
2020-07-19
https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12610292315.html
呉 善花(オ・ソンファ、女性、1956年 - )
韓国生まれの日本評論家、教員、言論家。出生名は呉勝一。済州島出身。大東文化大学(英語学)卒業後、東京外国語大学地域研究科修士課程(北米地域研究)修了。拓殖大学国際学部教授。元韓国籍で日本に帰化。
< 呉善花著「続・スカートの風」1991年三交社刊から >
「韓国人の情緒と反日感情の実際」
(注)【恨】ハン 〔朝鮮語〕700年にも及ぶ中国属国時代の抑圧の中で、朝鮮の民衆の中に蓄積されてきた痛恨・悲哀・怒り・恨み・妬み・嫉み。
日本人が到底理解不能な朝鮮民族の心。
日本で体験した青春の挫折
私が日本へ旅立ったのは二十代の半ば。思春期の感受性の強さはまだまだ健在で、世間知らずゆえの怖いもの知らずで社会を走り抜けていた。その勢いのままに、打てば響くだろう、また打たれれば響こうと、アンテナを高くしての渡日だった。
青春の挫折というけれども、私はそのやや遅い、しかし、とても大きな挫折を日本で体験することになった。それまでは、情緒的な感じ方や表わし方が、これほど自分と他人とで違うものだとは、思ってもみなかったのである。
しかもそれは、個人的なことであると同時に、韓国人と日本人の、きわめて激しい情緒的な衝突の体験でもあった。
結局、私の青春の挫折は日本人との感情的な交流でのつまずきにあったが、そのことによって私は、韓日の関係では、感情をめぐる問題、とくに習慣のなかで身についている情緒の問題が大きな位置を占めていると思うようになった。
この章の前半では、韓国人の情緒や感性のあり方をご紹介し、後半では、韓国人の反日感情のたて前的なものではない実際的な面を見ながら、決して居心地がよいとは言えない、現在の日本と韓国の関係について考えていきたい。
韓国人は自分がいかに不幸かを話したがる
韓国では「恨」をハンと読むが、これは「うらみ」の感情とは少々異なっている。
最近では、日本人の情緒的な特性を「もののあわれ」に代表させ、それと「恨」を比較する試みなどもあるようだが、恨は韓国人特有の情緒をみるためには、ピッタリのものと言えるように思う。
恨は哲学的にまた美学的に語られることが多いけれども、私は生活の各場面でごく普通に見られる恨についてお話ししてみたい。
恨をひとことで言うのは難しいけれども、結論から言えば、韓国人にとっては生きていることそのものが恨なのである。
自分のいまある生活を不幸と感じているとき、自分の運命が恨になることもある。自分の願いが達成できないとき、自分の無能力が恨になることもある。そこでは、恨の対象が具体的に何かということは、はっきりしていないのが特徴だ。
韓国人は、自分のおかれた環境がいかに不幸なものかということを、他者を相手に嘆くことがとても好きである。
韓国の言い方では「恨嘆」(うらみなげく)となる。
「私はこんなふうに生きてきた。ああ、私の運命はなんて不幸なものなんだろう」という具合に。
これは、日本人がよくやるような、相手に対して自分を卑下する言い方でもなく、また単に自分に悲観しているのでもない。
私の日本語教室に通う韓国の女たちは、何人か集まると、好んで身の上話に花を咲かせる。そんなとき、あたかも「みじめ競争」のようなことが起こるのである。
ある者が、「私はこんなに不幸な家庭に育った」と話す。すると、それを聞いている他の者が、「私なんかもっと不幸だった」と語りはじめる。また、もう万人が「そんなの不幸のうちに入らない」と話す・・・・。
そんな具合に、話はどんどんより不幸な話へと発展する。みんながみんな、自分こそ、誰よりも不幸でみじぬな人生を背負っているのだということを、盛んに主張し合うのである。
未来への希望としての恨
恨(ハン)が強く自分のなかにあることを、しばしば「恨が固まる」と表現する。
たとえば、韓国では再婚したくとも社会通念の上で難しいため、早く夫に死に別れた女などは、もはや結婚はできないという思いをずっと抱え込んで生きてゆくことになる。そんな場合にも、「恨が固まる」と言う。
また、自分がよい学校へ行けなかった場合、その行けなかったことの「恨が固まる」のである。この場合、その原因を、父母のせいにすることは儒教倫理の上で出来ない。だからそこでは、よい父母に出会えなかった自分自身の運命に対して恨を持つのである。
恨はどちらかというと未来への希望のために持ち出されるものであるため、「~すれば恨がなくなるだろう」という未来形を使った言い方をよくする。ただ、目先の小さな問題については、まずこういう言い方はしない。「自分が強く願っていることを達成できるならば、死んだ後には恨がなくなる」という、将来の人生へ向けての願望の意味で使うのである。
たとえば、「息子が勉強をよくしてくれれば恨がなくなるだろう」「立派な家で生活してみれば恨がなくなるだろう」「食べたいものをいっぱい食べてみれば恨がなくなるだろう」「持ちたいものを持てば恨がなくなるだろう」など、具体的にそのときそのとき必要なものに対しての恨として使う。
ここでは、自分の無能力に対する悲嘆が恨なのである。
現在に恨がないことを言う場合には、「あの人は恨がなく生きていた人だ」という言い方がよくされる。
これは、普通の人より経済的に余裕があって、自分のやりたいことをやって死んでいった人のことである。同じように、「自分は人生でやりたいことをやったから恨がない」とも使う。
恨があること、恨を持っていることは、悪いことなのではない。あるからこそ未来への希望がもてる?そういうものとしてあるのが恨である。
日本人が未来への希望を語るとき、「こんな兆しがある」とか、「こんな曙光がある」とか、現在へと射してくる明るさをもって言うことが多い。また、自分のみじめさに対する「がんばり」を主張する。そこでは、じぶんの不幸とかみじめさの感嘆は、堕落、あるいは甘えのように感じられていると思う。
恨が対象を持ったとき
女が結婚して苦労すれば、それはいい夫に出会えなかった自分(の運命)に対する恨となり、経済力も権力もないのは、能力を持てない自分(の運命)への恨となる。
このように、恨はもともとは、何か具体的な対象があって感じるものではなく、生きることそのものに感じる、欠如の感覚だと言ってよいと思う。
したがって、その原因を運命とみなして、ただただ自分自身を嘆くのである。そこでは恨は、自分自身に対する深いコンプレックスに変わってゆく。
このように、恨はその対象があいまいなのだが、それだけ、対象を求めて常に彷徨う(ほうこう)(註)ものだとも言える。
そして、具体的な対象との出会いを持つことがなければ、恨はそのまま自らの運命に対する嘆きとして、自分の内面に向けて表現されるのである。
(註)彷徨う(ほうこう)
目あてもなく歩きまわること。さまようこと。
一方、恨が具体的な対象を獲得することがある
たとえば、個人生活が苦しいのは税金が高いためだと感じるとする。それは、政治家の無能力のためであるし、それが個人生活にまで及んでいると考えられれば、自分を不幸にした対象がはっきりする。
そこでは、恨は「政治家」という具体的な対象を獲得することになる。自分の恨が何によって固まるかが見えていることが、自分の運命を嘆く恨とは異なっている。
もちろん、ほんとうに政治家が悪いのかどうかは別の話である。したがって、次のようなプロセスで、恨の対象が日本になってもくる。
自分が貧乏なのは韓国の経済発展がうまくいかないせいだ。それは、朝鮮戦争が起きて多くの被害を受けたからで、そのため今日でも国防に多くの費用が費やされているからだ。その根本の原因は南北分断をもたらした日本にある・・・・。
このように、それが正しいか正しくないかは別にして、今日の不幸の原因をあてはめられるはっきりした対象がある場合には、その対象に対して攻撃できるので、ストレスを解消することができ、それが自分自身のコンプレックスヘと変化してゆくことはない。
そこでは、攻撃を続けている限り、恨が外に向けて表現されるからである。
自分をみじめにしたい韓国人
韓国人の恨を嘆く情緒は、音楽や文学にも特徴的だが、一般の人びとの間では、もっぱら歌謡曲に目立っている。
日本の演歌が韓国人に人気があり、また韓国の歌謡曲が日本の演歌の影響を大きく受けているのも、演歌のリズムが恨をのせるのにはビックリだからである。
韓国の民謡や雑歌のリズムにタリョン(打令)というのがある。一定の節回しを少しずつ変化させながら、何度も繰り返して歌うものだ。そのなかに身世タリョンというのがある。
これは、自分の身の上や不幸な運命の歌物語のようなもので、半分節をつけて歌い半分物語るようにして演ずるのである。まさしく恨の表現だと言えるだろう。
自分が現在置かれている運命だとか自分の過去の不幸を物語にして、「ああ~、私の人生は~」と節をつけては、友だちの前で、また一人で、恨のタリョンを楽しむのである。
ある程度気持ちが通じると思える相手とは、お互いの不幸を話し合い、そこから仲良くなってゆくのが韓国人である。そのため、日本の男性が、韓国の女の不幸話に感じて取り込まれていくことが珍しくない。
韓国人ホステスは相手の男をある程度気に入れば、自分が陥っている現在の不幸をしきりに話そうとする。日本の男は、日本の女からそんな話を聞くことがほとんどないようだ。
そこで男たちは、「この女は自分にだけほんとうのことを素直に語ってくれた」と感動し、その心持ちにほだされてゆくのである。
「こんな仕事は自分は嫌なのだけれども、家のために仕方なくしているのよ」
家計を支えるために、弟を大学にやるために、離婚してしまい子どもを育てるために・・・・。
こうして彼女たちは、いかに自分が不幸であるか、誰か助けてくれる人がいるならば、すぐにでも仕事をやめたいということを、涙を流して話すのである。これが、感情的に日本の男の気持ちをつかまえる、大きな武器となっている。
こんな話をある韓国クラブのママから聞いた。
場違いだとは思いながらも、話のタネにと韓国クラブに顔を出してみた安サラリーマンが、一人のホステスの不幸話にいっぺんで感動し、次から次へと預金を下ろしては彼女にみつぎ、ついに自分の結婚資金から住宅資金まで、全財産を使ってしまったという。
また若い男性からこんな手紙をいただいたこともある。
韓国旅行で入った酒場で、一人のホステスから、それは不幸な身の上話を聞かされた。いつか必ずまた来るからと別れたが、彼女は日本ではまずいないような純真な心を持っている。そんな彼女にまた会いたくなって、再び韓国へ行った。
でも、その店に彼女はいなかった。どんな所を探せば会える可能性があるか教えて欲しい。自分はなんとかして彼女を助けてあげたいと思っている。そういう内容だった。
しかし、彼女たちは決して、男を口説くための手段だからということだけで話そうとするわけではない。そのときそのとき、自分の心をあげたいと思う相手に対して、そうした話をするのである。
外部から常に侵略を受けてきた民族だからそうなのか、韓国では、社会が安定することはかえって不安な情緒を醸成させることになってしまう。何かが、自分自身をみじめな状態に置きたがっているのだ。
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韓国(3) 日本ヘイト国家戦略
2019-10-18
https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12536890502.html
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