嘘は巨大な程、然も大々的に宣伝する程、人々は騙される。

 

(これまでの記事の一部)

アンネ(2) 「アンネの日記」は単なる小説
2020-05-14

https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12596869279.html

 

アンネ(4) 喜怒哀楽のアウシュビッツ収容所
2020-05-18 

https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12597834225.html

強制収容所にかき集められたユダヤ人は寧ろ大切に扱われた。

 

アンネ(12)ホロコースト否認を規制する法律
2021-01-09 

https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12648808195.html
欧州の多くの国ではホロコースト(大虐殺、イコール、アンネの日記)を否認、もしくは疑いを抱かせる記事や論文著者は刑務所にぶちこまれる。無論、裁判での新たな反論も許されない。

 

以下は、2012/01/18、2014/03/11 の拙稿より。

 

《アンネの日記の内容とは全く異なる概要》

 

● ホロコースト(ナチスのユダヤ人大量虐殺)はなかった。
● ナチの収容所のガス室で殺されたユダヤ人の数は600万人ではなく、0人。
● ガス室自体が無かった。

ガス室と称する部屋はシラミ駆除用のもの。
● ガス室は戦後に新築されたものであるとポーランド政府が認めている。

「アンネの日記」は少女アンネ・フランクが書いたものではなく、ユダヤ系アメリカ人作家メイヤー・レビン(男性)がアンネ、又はポーランド等の少女の日記を参考にし、捏造して創作した小説。

 

依頼者は、アンネの父、ユダヤ系ドイツ人、オットー・ハインリヒ・フランク。

このアンネの父親のオットー・フランクは5万ドルという大金(現在の貨幣価値で約2億円)を払ってまで、ゴーストライターに娘の名前で小説を書かせた。

 

アンネの日記が世界的に売れるようになると、この版権をめぐって依頼者であるアンネの父親オットー・フランクとゴーストライターのユダヤ系アメリカ人作家メイヤー・レビン(男性)が裁判で争う。

この最高裁の判決の書類2241-1956は、ニューヨークの地方事務所にあるはずなのだが、このファイルは消えてしまっている。都合の悪い輩が抜き取った。

 

他方、

1980年ドイツでひとつの裁判が行われた。ドイツの雑誌、デア・シュピーゲルによると、「アンネの日記は偽書である」と主張するエルンスト・ロエマーをアンネの父、オットーが訴えた。

ドイツの捜査当局、BKA(FBIに相当)は訴えを受けて、アンネの日記の科学的分析を行った。その結果、日記4冊目(15歳の時)がボールペンで書かれていると判明した。

ボールペンは、1951年に発明されたものであり、アンネの生きている間には存在しない。

 

※私の誤記の指摘、有難う。(2021/01/04 追記)

この件は German news weekly Der Spiegelの記事を元にNew York PostWestが書いたもので、『1951年に発明』というのは確かに私の誤記です。

 

但し、以下の様に書かれています。

The results of tests performed at the BKA laboratories show that portions of the work, specially of the fourth volume, were written with a ballpoint pen.


BKA(ドイツ連邦刑事捜査局)研究所で実施されたテストの結果は、作品の一部、特に第4巻が、ボールペンで書かれたことを示しています。

 

Since ballpoint pens were not available before 1951, the BKA concluded, those sections must have been added subsequently.
 

ボールペンは1951年以前には入手できなかったためBKA(ドイツ連邦刑事捜査局)は、これらのセクションは後で追加されたに違いないと結論付けました

 

この件は、後日別途記事にします。

尚、私のアンネの日記に関する他の記事も読んで下さい。

 

この最後の部分が偽書であるのなら、アンネの日記全体の真贋が問題となる。

 

なぜならば、日記4冊目(15歳の時)の筆跡が、1冊目(13歳の時)から3冊目(14歳の時)までと同じだったからである。

 

更に、1980年10月9日付の「ニューヨーク・ポスト」には、エルンスト・ロエマーが、この『アンネの日記』は真実ではなく、小説である事を追及し続けて裁判に持込んだ事が書かれている。

 

二度目の裁判でこのロエマーの申出は正当と認められた。 

つまり、『アンネの日記』は、真実ではなく単なる小説であるということである。

 

以下は、

《アンネの13歳の時の手紙画像》

 

字体は幼稚で、然も、左に傾いている。

 

《アンネの日記画像》

13歳になった誕生日から亡くなる15歳までの日記の一部。

Facsimile of Anne Frank's First Diary
Anne received her first diary on her 13th birthday, June 12, 1942. The original is on display at the Anne Frank House in Amsterdam.
Origin        ANNE FRANK-Fonds, Basel


アンネ・フランクの最初の日記の複製
アンは、1942年6月12日、13歳の誕生日プレゼントに最初の日記帳を受け取った。原本はアムステルダムのアンネフランクの家に展示されている。

 

1冊目

この13歳の日記では日記をペンで書いたから字の太さや色が日によって違ったりするが、4冊目の15歳の日記ではボールペンで書いているから常に一定の太さ。お確かめ下さい。
 

 

他方、同じ13歳の時でも、手紙では左に傾く彼女の幼稚な字体は、この日記では、右に傾く普通レベルの字体に変化している。

 

 

 

Anne Frank's <em>Stories and Events from the Annex</em>
In hiding, Anne wrote short stories, fairy tales, and essays. On September 2, 1943, she began to meticulously copy them into a notebook and added a table of contents so that it would resemble a published book. She gave it the title Stories and Events from the Annex.
Launch the animated version (1.8mb download) of the Give! essay as seen in the exhibition space at the United States Holocaust Memorial Museum, developed by Method, Inc.
Origin        Netherlands Institute for War Documentation, Amsterdam

 

アンネフランクの<em>ストーリーと別館からのイベント</ em>
アンは隠れて、短編小説、おとぎ話、エッセイを書いた。 

 

1943年9月2日、彼女は細心の注意を払ってそれらをノートにコピーし始め、出版された本に似せるために目次を追加した。彼女はそれに別館からの物語と出来事というタイトルを付けた。
 

14歳

 

 

Anne Frank's <em>Book of Nice Sentences</em>
In hiding, books became increasingly important for Anne, a fervent reader. She impatiently awaited new books that the helpers were able to bring her, and she commented on her reading experiences in her diary.
Encouraged by her father, Anne began to record favorite quotations from other writers in this notebook on August 14, 1943. She copied sentences from writers such as William Shakespeare, John Galsworthy, and Johann Wolfgang Goethe as well as from biographies of nurse Florence Nightingale, painter Peter Paul Rubens, and composer Franz Liszt.
Anne read Dutch, German, and some English. On these pages she has copied sections from Oscar Wilde's An Ideal Husband in English.
Origin   Netherlands Institute for War Documentation, Amsterdam

 

アンネフランクの<em> Book of Nice Sentences </ em>
隠れることで、本は熱烈な読者であるアンにとってますます重要になった。彼女は、ヘルパーが持ってくる新しい本を待ちかね、彼女は日記に彼女の読書経験についてコメントした。

アンは父親に励まされ、1943年8月14日にこのノートブックに他の作家からのお気に入りの引用を記録し始めた。

 

彼女は、ウィリアムシェイクスピア、ジョンガルスワージー、ヨハンヴォルフガングゲーテなどの作家や、看護師フローレンスナイチンゲール、画家ピーターポールルーベンス、作曲家フランツリストの伝記から文章をコピーした。

アンはオランダ語、ドイツ語、そしていくつかの英語を読む。これらのページで、彼女はオスカーワイルドの「理想の夫」のセクションを英語でコピーした。

 

14歳 3冊目

 

 

Anne Frank's Third Diary Notebook
On April 17, 1944, Anne began writing in what turned out to be her final diary notebook. Her last entry was written on August 1, 1944.
Origin   Netherlands Institute for War Documentation, Amsterdam

 

アンネ・フランクの第3日記ノート
1944年4月17日、最後の一冊となる日記を書き始める。

最後の日記の日付は1944年8月1日。

 

15歳 4冊目

 

 

 

 

Loose Pages
From May 20 until her arrest on August 4, 1944, Anne transferred nearly two-thirds of her diary from her original notebooks to loose pages, making various revisions in the process.

 

ルーズページ
5月20日から1944年8月4日の逮捕まで、アンは日記のほぼ3分の2を元のノートからルーズページに転記し、その過程で様々な修正を加えた。

 

Entrance to the Secrete Annex

秘密別館への入り口
 

1954 photograph of the bookcase covering the entrance to the hiding place that Anne shared with her family and four others for just over two years. 


1954年の写真。アンが2年間、家族や他の4人と共有した隠れ場所の入り口をカバーする本棚。

 

但し、これらの階段や本棚は、戦後、アンネの日記の記述内容に沿って改造したものであることをポーランド政府が認めている。

 

(アンネ関連記事)

 

アンネ(1) 捏造の歴史を叫び続ける醜態
2020-05-13 

https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12596774291.html

この記事の様に第二次世界大戦前のユダヤ人人口数と戦後のユダヤ人人口数は大した変化が無いので、後に戦後のユダヤ人人口数は書き換えられ、大幅に減少したことになっている。


アンネ(11) ニューヨークポスト紙記事保存
2021-01-07 

https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12648518365.html

アンネ(10) ナチス発見:フッ素の効用=不妊
2020-06-21

https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12605853917.html

 

(画像)

全米ホロコースト記念博物館の展示

Learn about the Holocaust

https://www.ushmm.org/

https://www.ushmm.org/learn/holocaust

https://www.ushmm.org/exhibition/anne-frank/htmlsite/artifact_1_0.html