自虐史観に洗脳された人達にとって、嫌悪する言葉『武士道精神』とは?


下記は世界が絶賛する『武士道精神』の実例の一つです。

この話は、テレビでご覧になった方が多いと思いますが、改めて記事にしました。

 

   ☆


元イギリス外交官サムエル・フォール卿は語ります。

彼は死ぬ前にどうしても日本を訪れたい理由がありました。

 

世界が絶賛する『武士道精神』とは?


『敵兵を救助せよ!

―英国兵422名を救助した駆逐艦「雷」工藤艦長』

 

 

『My Lucky Life: In War, Revolution, Peace and Diplomacy 』
Sir Roger Carrick and Sam Falle (1996)



『私の幸運な人生:
戦争、革命、平和および外交で』

 

『敵兵を救助せよ!―英国兵422名を救助した駆逐艦「雷」工藤艦長』 [単行本]惠 隆之介 (著)

 

Save enemies! Bushido over the sea   
Japanese BUSIDO saved lives

敵兵を救助せよ!海の武士道

 

https://youtu.be/hvruC3CltH4
   ☆

 

 

第二世界大戦中、インドネシア沖(1942年スラバヤ沖海戦)で撃沈されて漂流中に日本軍の駆逐艦「雷(いかづち)」に救われた元英国海軍乗組員422人の内の一人、

 

サムエル・フォール卿(Sir. Sam Falle 1919年生れ)が、長年、恩人である「雷」の艦長工藤俊作氏を探し続け、89歳にして、ようやくその墓前で手を合わせたという話です。

 

 

1942年、日本軍の駆逐艦「雷(いかづち)」は、英重巡洋艦「エクセター」(13000トン)、英駆逐艦「エンカウンター」(1350トン)、米駆逐艦「ポープ」を撃沈しました。

 

フォール氏が乗った撃沈され英軍艦エンカウンターの乗組員は約21時間漂流し、重油の海に浸(つ)かって多くの者が一次的に眼が見えなくなりました。

 

兵の中には耐え切れなくなり、自殺のための劇薬を軍医に要求し始める者もいました。

 

英海軍中尉フォール卿の話(平成15年に来日)
「救命浮舟に5,6人で掴まり、首から上を出していました。

見渡す限り海また海で、救命艇も見えず、陸岸から150海里も離れ、食糧も飲料水もない有様でした。

 

この時、ジャワ海には既に一隻の連合軍艦船も存在せず、しかも日本側は我々を放置してしまうという絶望的な状況に置かれていました」


生存の限界に達していたとき、ようやく現れた船の影。一時は歓喜したものゝ、船が近づくにつれ、それが日本軍のものと分かり、機銃掃射され最後を迎えると一旦は覚悟を決めます。

日本人は冷酷無比と思われていたからです。

 

ところが、雷の艦長工藤俊作中佐は、船に救助活動中の国際信号旗が掲げます。「救助!」「取り舵いっぱい」と下令しました。

 

連合軍艦隊を破ったとはいえ、敵潜水艦がいるかもしれず、まだ危険な海域でした。

 

「当初私は、幻ではないかと思い、わが目を疑いました。そして銃撃を受けるのではないかという恐怖を覚えたのです」
 

工藤俊作駆逐艦長(海軍中佐)の号令のもと、戦闘海域で機関停止の上で、総員により英駆逐艦エンカウンターと米駆逐艦ポープの乗組員422名の救助を行いました。

 

 

船に泳ぎ着いたものの力尽きて沈む者も続出。

雷の乗組員は自ら海に飛び込み、救助にあたり、全員を救助。

重油でまみれた英兵達の体をふき、衣服や暖かい食事を与えました。

フォール氏は、この幸運を信じられず何度も自分の手をつねってみたそうです。

また、救助地帯は激戦区であったにも関わらず、終日、漂流している人を探しまわり最後の一人まで救いました。

 

そして、

《工藤艦長が救助した英国海軍上官達への艦上での言葉》

"You had fought bravely. 
Now you are the honoured guests of the Imperial Japanese Navy."

「あなた方は勇敢に戦った。
今あなた方は日本帝國海軍の名誉あるゲストである」

 

   ☆

翌日、英兵全員はオランダの救助船に引き渡されたました。

   ☆

 

 

フォール卿は、後にスェーデン大使などとして活躍し、その間も、工藤氏への恩を決して忘れることなく探し続けます。

 



 

A documentary about Major Shunsaku Kudo, the captain of Imperial Japanese Navy destroyer, 'Ikazuchi(Lightning)' during the campaign near Surabya in Java Sea in 1942 during the Greater East Asian War (WW2). He saved the life of 422 British sailors.

 

フォール卿
「日本の武士道とは、勝者は奢ることなく敗者を労わり、その健闘を称えることだと思います」

 

   ☆

 

2003年、84歳の時に心臓病を患いながらも自ら日本を訪れますが、工藤艦長の消息は知れず。

ところが、その後、救助の秘話を知った作家惠隆之介氏たちの尽力によって、ようやく消息がわかり、89歳という高齢にもかかわらず再度日本の土を踏み、1979年77歳で亡くなっていた工藤氏のお墓参りを果たしたということです。




工藤氏の消息が、なかなか掴めなかったのは、工藤氏が生前、奥さんを含め周囲の誰にも一言も戦争中の体験を語らず、ひっそりと余生を過ごしたためだったそうです。

 

   ☆
 

(参考)大東亜戦争での残虐非道な米軍の場合
昭和18年11月に日本の病院船「ぶえのすあいれす丸」がアメリカの爆撃機B24に爆撃され沈没し、救命ボートと発動機16隻に患者、看護婦、乗組員が漂流していたところをまたB24が容赦なく機銃掃射したことや、戦艦大和が沖縄へ向かう途中に撃沈され、乗組員は漂流しているところをアメリカ軍機の機銃掃射を受けた。

 

尚、日本兵が漂流している時、米軍が船上から機銃を撃ちまくって殺害している実録がユーチューブにありましたが、今は削除されています。

 

(拙稿原文)

世界から絶賛された武士道を再認識
2012/09/13
イギリス人が感銘した武士道
2013/11/16 

 

(前回記事)

日本の心(13) 

板東ドイツ兵俘虜収容所の奇跡
2020-05-29 

https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12600237713.html

 

日本の心(15) 

大和心とポーランド魂(その1)
2020-06-01 

https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12601113614.html

日本の心(16) 

大和心とポーランド魂(その2)
2020-06-02 

https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12601287951.html

 

(本記事引用・参考URL)

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20081207-OYT1T00499.htm

http://jjtaro.cocolog-nifty.com/nippon/2011/03/post-7d70.html
http://minkara.carview.co.jp/userid/1564656/blog/27446535/