ナチスがユダヤ人たちを何故に強制収容所に収容したかを、以前述べましたね。

 

国を持たないシオニスト・ユダヤ人が、ユダヤの新しい国家イスラエル(戦後の1948年独立宣言)を創るためには国民が必要故、国民とすべきユダヤ人(羊)をナチスが訓練したドイツ人(牧羊犬)がかき集めて収容したんです。

 

(注)第二次世界大戦を演じた人たちは全てユダヤ人。

ヒトラー(独)、チャーチル(英)、ルーズベルト(米)、スターリン(露)

そういう訳ですから、ナチスは、収容した人々を殺すどころか、逆に健康な毎日を収容所で過ごさせようと手を尽くしていたのです。

 

無論、ナチス・ヒトラーにこのシナリオを実行させるために、シオニストの国際金融資本の連中が資金や物資を援助をしていたのです。

 

ナチスの収容所で死んだユダヤ人は600万人ではなく、僅か3万人であり、然も、その死因は毒ガスではなく、ユダヤ人の不潔さから蔓延した発疹チフスによるものです。


[ナチスの収容所での各月別死亡者数グラフ]


※ 赤色がユダヤ人。青色がユダヤ人も含めた全死亡者数

(画像URL)https://holocaustdeprogrammingcourse.files.wordpress.com/2014/01/imh_auschwitz_deaths_religion_month_bar.jpg?w=960&h=413

アウシュヴィッツ等(Auschwitz, Treblinka, Belzec, Sobibor, Chelmno, Majdanek.) 各収容所での人種構成は、ユダヤ人の割合が10%~40%。これら収容所で死亡した人数は600万人ではなく、合計で6万5千人。

 

内、キリスト教徒が3万5千人、ユダヤ人は3万人。

つまり、ホロコースト(大量虐殺)は無かったのです。

上記グラフでの死亡主原因はシラミの媒体による発疹チフスの蔓延によるもので、1942
年の夏、発疹チフスが初めてアウシュヴィッツ収容所で勃発しました。

下記はナチスが収容所のユダヤ人たちを殺すどころか、発疹チフスから命を守ろうと奮闘したにも拘わらず、ユダヤ人の不潔さで防ぎきれなかったことの記録から一部抜粋したものです。

 

Jews of the Polish ghettos and Russian Jews had low personal hygiene standards.Many carried lice and did not wash.This is the reason their hair was shaved and they were forced to shower and their clothes fumigated with the insecticide Zyklon-B – to prevent the spread of typhus by lice.
They decline, where practicable, to use latrines, preferring to relieve themselves on the floor …
… further difficulties were in the form of considerable resistance among the population to bathe.
An attachment to a traditional lifestyle going back centuries, if not millenia, may have been regarded as vital to their religious and ethnic identity.
An attachment to a traditional lifestyle going back centuries, if not millenia, may have been regarded as vital to their religious and ethnic identity.


ナチスは殺虫剤を使って必死に蔓延を防ごうとしましたが、問題は、ポーランドとロシア系のユダヤ人の不潔さです。

彼らは排尿するのにトイレに行かず床にする。

入浴も拒否し抵抗する。

髪や衣服を定期的に洗う習慣がないから、

頭や衣服はシラミだらけ。

 

故に、発疹チフスの蔓延を防ぐために彼らは頭髪を老若男女を問わず剃られたのです。

これらの不衛生な行動形態は、何世紀にもわたり、彼らの宗教上や民族としての主体性に基づく生活様式です。

 

それに、ユダヤ教に入り込んだ悪魔の法典タルムードの「偶像礼拝者や異教徒からの医療的な助けは避けなければならない」(Pesachim 25a) という邪義が、タルムードを信ずるユダヤ人達に、非ユダヤ人の治療を受けることを拒絶したのです。

 

They can hardly be blamed for applying severe measures to the Jews in order to control the epidemic.The severe measures included restrictions on the movements of Jews and eventually to the construction of a wall around the entire Warsaw ghetto.These measures during wartime were entirely reasonable to control the spread of typhus, and to prevent catastrophes like those which had already occurred in Poland and Russia during and after World War.
The real breakthrough came only near the end of the war with the availability of enormous quantities of DDT from the Americans for delousing.


発疹チフスを防ぐ為の彼らナチスが行ったユダヤ人に対する厳しい処置を非難することは出来ません。

その一例として、戦時中、ワルシャワのユダヤ人住居エリアに壁を建設したのは、ポーランドとロシアで大発生した発疹チフスの拡大を防ぐものであり、完全に合理的なものでした。

この発疹チフスの流行がおさまったのは、終戦間際に米国から大量に送られてきた害虫駆除用のDDTによるものです。

 

HOLOCAUST DEPROGRAMMING COURSE
https://holocaustdeprogrammingcourse.com/

ナチ収容所で600万人が殺されたという虚偽数字はどこからきたのでしょうか。


第二次世界大戦で何百万人も虐殺されたのは実はユダヤ人ではなくドイツ人です。

 

ドイツ市民は空爆で、他方、連合軍の捕虜となったドイツ兵の場合は獄中餓死で四百万人も殺されたのですから、これを隠蔽するためにも600万人という数字が必要だったのです。

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それでは以下にナチス・ドイツによるホロコースト(大量大虐殺)などはでっち上げで、無かったことを示す戦後隠されてきた映像の一部を掲載します。

 

※ 大半の欧州の国内でナチスのホロコーストは無かったと言うと法律に基づいて逮捕されます。この意味は、これらの国々の政府はシオニストに支配されていることの証でもあります。

※収容所内を撮影したユーチューブがありましたが、今は削除されています。

Actual Footage From Nazi Death Camps

以下の画像は、私がこのユーチューブの一部画像を保存しておいたものです。

 

これを視ると、大日本帝国が日露戦争でロシアの捕虜を収容した愛媛県松山市の収容所と似ています。

(参考)日本の心(12)

『誓いのコイン』で知る日本の心
2020-05-28

https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12600008034.html

 

収容された人々は、交響楽団を編成し演奏していました。

無論、全ての楽器類は、ナチスによって与えられていました。

 

ブラスバンド隊も編成しました。

制服もありました。



アウシュヴィッツ収容所の劇場では、多種多様な演目が収容されたユダヤ人達によって繰り広げられました。



ミニオーケストラ

 

合唱隊

 

アクロバット

 

これはライブの案内ポスターです。

 

アーティストたちはスタジオも持っていました。



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収容所内スポーツ施設には体育館やサッカー場、ハンドボールエリア、フェンシングのクラスと他の運動施設があり、幾つかのチームを編成し試合を行いました。

 

 

木陰の休憩所や3レーンですがプールも設備されていました。



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収容所内で出会った男女の結婚は自由で、アウシュヴィッツ収容所の結婚証明書が発行されていました。



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当然、子供が生れ、分娩室や乳児室がありました。



育児所もあります。



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収容所の子供も大人も、腸チフス罹患者を除けば健康そのものでした。

 

戦後、ロシアがアウシュヴィッツ収容所の管理を引き継ぐことになりました。

 

On 27 January 1945, Soviet troops cautiously entered Auschwitz.

1945年1月27日、ソビエト軍は慎重にアウシュビッツに入りました。

 

その時、ソビエト軍が撮った写真です。

子供も大人もふくよかで健康に見えますね。

 


ブッヘンヴァルト(Buchenwald)収容所でも同じく子供も大人も健康そのものです。




 

そして、共通しているのは、建物内は物凄い臭気だったそうです。

当然です。トイレに行かず、室内で排尿ですから。


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アウシュヴィッツ収容所への観光客が、何の疑問も抱かず、深い感銘を受けるユダヤ人を大量虐殺(ホロコースト)したという毒ガスルームとその扉の画像です。

 



扉は木造性で、毒ガスで悶え苦しむ男なら二人で充分に蹴破られる代物。


それに、こんな木造では毒ガスが漏れて施設内道路の向かい側の病院の患者や職員まで殺してしまいます。

 

次は、毒ガスでユダヤ人を一気に大量に殺した建物と称していますが、処が、この赤いレンガの煙突は、傍の建物とつながっていない単独物。毒ガスの排気はどこに消えたのでしょう。

 



この毒ガスルームと称する建物には、そもそも、煙突などはなかったのです。


下記のモノクロ画像が戦時中撮影されたもの。

煙突はありません。

 

このカラーが戦後のもの。

処が、赤レンガの煙突が建っています。

 

煙突は、小説アンネの日記の内容に沿って、戦後、建てられたものです。

 

   △     △     △

 

このように歴史は捏造されています。

嘘がばれても、尚且つ嘘をつき通す。

古来の日本人にとって恥ずべき文化です。

 

処が、このような虚偽歴史を私達は米国の日本人弱体化戦略により創設された日教組の教師経由の小中義務教育で、更に高校で学び、更に更に、テレビなどのプロパガンダにより洗脳されています。

 

   △     △     △

 

原題『ユダヤ国家創建目的のナチス』
2016/07/29 拙稿

 

これまでの私の記事

アンネ(1) 捏造の歴史を叫び続ける醜態
2020-05-13 (元文2012/1/18(水) 著)

https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12596774291.html

何百万人も大量に虐殺されたはずのユダヤ人の世界人口は戦前と戦後と変化はない。

アンネ(2) 「アンネの日記」は単なる小説
2020-05-14 (元文 2012/1/20(金)著)

https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12596869279.html

● ホロコースト(ナチスのユダヤ人大量虐殺)はなかった。
● ナチの収容所のガス室で殺されたユダヤ人の数は600万人ではなく、0人。
● ガス室自体が無かった。

ガス室と称する部屋はシラミ駆除用のもの。
● ガス室は戦後に新築されたものであるとポーランド政府が認めている。

「アンネの日記」は少女アンネ・フランクが書いたものではなく、ユダヤ系アメリカ人作家メイヤー・レビン(男性)がアンネ、又はポーランド等の少女の誰かの日記を参考にし、創作した小説。
 
依頼者は、アンネの父、ユダヤ系ドイツ人、オットー・ハインリヒ・フランク。

このアンネの父親のオットー・フランクは5万ドルという大金(現在の貨幣価値で約2億円)を払ってまで、ゴーストライターに娘の名前で小説を書かせた。

 

(参考)

アウシュビッツ収容所のことではないですが、1959年、映画『アンネの日記』が作られた時、アンネが住んでいたというアムステルダムのオリジナルの建物を、日記に書いてあるように改装したとのことです。(スウェーデンのジャーナリスト、ディトリィェブ・フェルデュラーの証言)

http://blog.livedoor.jp/ijn9266/archives/2011-06.html