「オレ辞める」

そう聞いたのは昨日のことだった。


「辞めようと思う」ではなく、「辞める」である。

よく三文週刊誌に「○○離婚!!」の後に”へ”とか”か?”とかが虫眼鏡サイズで付いてるが、今回は、ヘ、も、か、もない。

確定のようだ。

どうやら辞表提出済み。受理も時間の問題だという。


物流部門のボスは絵に描いたような、ボスキャラである。

といってもミナミの帝王にでてくる様な「かっこいいボス」とは一線を介している。

体格はよく、といってもお相撲さんの流れにある体だが、顔は日本人離れした大きな目。

唇は分厚く、脂ぎった鼻頭にはほくろがやたら多い。

そう、やたら。

なんといってもトレードマークはオールバック。

1世代前のやくざといった感じか、もしくは自己管理の下手なマフィアだろうか。


水無瀬はそのボスが嫌いではなかった。

仕事の出来る人間だったし、なによりも明るかった。

部署は違えど、会えば何かしら話をしていた。

そしてその言葉の端々に、伊海への期待がこめられていたのを、よく知っていた。


もちろん「なぜ」という質問がでる。

これから、伊海はこの「なぜ」という質問に何十回と答えなくてはいけない。

お世話になった上司、先輩、そして両親・・・。

あまり良いニュースではない。話をするのにも骨が折れるだろう。


そんなことをもわかりながらも、水無瀬は躊躇無く聞いていた。

「何故なんだ」と。


「バックパッカーがしたい!」

答えはシンプル。

同期たちは、さらに質問を深めていく。

いつ辞めるのか、旅はどこに行くのか、物流のボスは何て言ったのか・・・。


伊海は大きな決断をやりきったかのように、ハキハキと答えている。

水無瀬は上の空で聞いていた。

先ほど聞いた言葉が、幾度も幾度も頭の中を反芻していた。

「バックパッカーか・・・」


今朝掃除した社屋は元通り、落ち葉で黄色く染まっていた。

吐く息が白い。


「四季。各々が織り成す美しい表情。それを感じるだけで日本人でよかったと思います。」

朝、ニュースキャスターが嬉しそうに、そうコメントしていた。

それを思い出しながら、水無瀬はウンザリしていた。


この日、水無瀬は外掃除にあたっていた。

会社の周りには、数え切れないほどの落ち葉が舞い落ちている。

掃いても掃いても終わるわけがない。


社員は就業時間の20分前に来て、掃除をしている。

毎日のことなので、強制ではない。

・・・のだが誰一人遅刻しないし、サボらない。

むかっナンデダヨ・・・。


秋という季節はあまり好きではない。

理由は簡単。冬が嫌いだからだ。

「寒いのはイヤだ。」

水無瀬は狭い駐輪場に、駐車したバイクを見ながらそう思った。

単車は水無瀬のFTR、そしてTWがもう一台止まっているだけだった。


社員のほとんどが掃除をしている最中、もうすでに働いている男がいる。

彼の配属は物流部門。

昼の出荷に間に合わせる為、この時間からフル稼働しなくては間に合わないそうだ。


「リフト」と社員の間で呼ばれている、荷物を上げ下げするアームのついた不恰好な機械を操作しながら、倉庫を縦横無尽に走り回っている。


「伊海くん、朝から忙しそうだね」

同じ当番の先輩が声を掛けてくる。

あまりの葉っぱの多さに、早くもあきらめた様だ。

「そうですね」

水無瀬は曖昧に返事をして、掃除を続けた。


いつもなら、話しに花を咲かせる水無瀬だったがこの日は違った。

というより、話題が悪すぎる。適当なゴシップのほうがまだマシだ。

水無瀬は心の中で苦笑するしかなかった。






高学歴。

初めて出会ったときはそれしか印象がなかった。というよりも、これほどの学歴の人間に出会ったことがなかったから、それだけが鮮烈に残ったのである。


勉強ができる。しかし、頭のキレが悪い。トラブルに弱い。のろまだ。勉強しか知らない。

・・・なら水無瀬にも勝ちようがあったものの、高野は全て完璧であった。

唯一、玉に傷と言えるところがあるとするならば、この会社で一生やっていく、と決めていることか?

彼なら、巨万の富を築ける。会社を経営すればの話だが。


下らないことを考えながら、帰り支度をようやく始めた高野に声をかけた。

「大変だな」

「そっちこそ」


やわらかい笑顔をする。

これだけ働かされれば、誰だって笑顔なんぞ枯れそうなものだが・・・。

日付の変わってしまった掛時計は、何事もなかったように時を刻み続ける。


社会人にすっかり適応した高野が

「お先に失礼します!」と

水無瀬もそれに続く。


肩を並べて社屋を出る。夜の風が季節に反して、異様に冷たい。

高野はこんな生活を、後40年近く続けるつもりなのだろうか。

とそんな質問がよぎったが、すぐに打ち消した。

彼なら「もちろん」と答えるに決まっている。


そう、それが決めたれた事柄のように。


40年。彼なら間違いなく社運を握る重要人物になっているだろう。

水無瀬は疑いも無くそう思った。

その時、その事、は揺るぎもない事実のように思えたのだ。