「今日、高野は?なにか連絡ない?」

人の気配がまばらな事務所で、物流のベテラン社員に声をかけられた。


水無瀬はココの所、普段よりも早く出社していた。

仕事が山のようにあるからである。

朝仕事の段取りをして、始業までに動けるようにしておく。

事務所には人も少ないし、余計な電話は皆無だ。仕事に集中できる。

それが水無瀬の早朝出社の理由であった。


基本的に朝の弱い水無瀬。

できることならば、布団に一秒でも長く包まっていたいのだが。


「いえ、知りません。まだこの時間だし、もう少しで来るんじゃないですか?」

「そうか。ならいいんだが・・。アイツにしては遅いな、っと思って。もう少し待ってみるよ。ありがとう。」

急ぐベテラン社員を、水無瀬は思わず引き止めていた。


「・・・!ちょっと待ってください。高野はいつも、一体何時に出社しているんですか?」

「いや。いつもって言われてもな。昨日洗濯もかねて久しぶりに家に帰らしたから・・・。」

何日髪を洗っていないのか。

フケだらけの頭をかきながら、力のない笑顔で彼は答えてくれた。


物流課の忙しさは、水無瀬の想像をはるかに超えていた。

そこには「出社」という言葉はもうすでに存在していなかった。

働けるだけ働く。

最低限の睡眠を休憩室でとれば、すぐに働く。

家に帰る移動時間すら勿体ないそうなのだ。


夜。業務終了後。

幾度と無く水無瀬も物流の作業に加わり、夜が明けると同時にそのまま仕事に戻ったものだった。


仕事は至って単純。

次の朝、配送される品物のチェックをするだけ。

コンテナとよばれる四方20cm程度の「箱」の中に商品が所狭しとならんでいる。


配送リストとコンテナの商品を照らし合わせて、一致すればOK。

抜けがあれば倉庫から取ってくる。

それを一晩かけて行うのだ。

責任は重大ではあるが、作業内容としては比較的簡単なものである。

しかし物流経験のない人間にできるのは、その程度のものだった。

「もっと手伝えれば・・・」

そんな不甲斐なさを、水無瀬は感じていたのであった。




1本の電話が不自然になった。


普段、電話はひっきりなしに鳴っている。

取引先、下請け、クレーム、直接の売買・・・。

そんな中その電話がひときわ皆の注目を浴びたのは、時間帯に起因していた。

12時30分。

お昼時ど真ん中。この時間にかけてくる者といえば、緊急を要する電話が多い。

お昼を早く終えた皆が、少し緊張した面持ちで、電話番の話し声に集中する。


「・・・はい。少々お待ちください。中田さんお電話です。」

「中田――」

水無瀬はある予感を感じていた。そう、中田は高野の直属の上司である。


小さく返事したその顔は、ババ抜きの最後の最後にババを引いてしまった様な顔になっている。

この時間帯の電話にはロクな事がない、というのは中田も承知しているようだ。

しかし、次の一言で顔の色が引いて行った。


「高野君のお母さんからですが・・・。」






忙しい。

「心」を「亡」くすで忙しい。

缶コーヒーのCMでサラリーマンに扮した芸人がこういっていた。


しかし彼は続けて、暇よりは忙しい方がいい、と言うのだ。

確かにそうだ。

暇はいけない。そんなもの老後の自分にくれてやるべきだ。

しかし、忙しいのはもっといけないのではないか。

本当に心を亡くす程、イソガシイ場合であるが。


新本社設立は甘くなかった。

営業機能を移転させるだけなら、問題は無かったのだが、如何せん新本社は巨大物流センター併設というプロジェクトのもと立ち上がっていた。

いや、立ち上がってしまっていたのだ。

物流センター稼動を見越して立てられた計画は全てにおいてツメが甘く、実際の作業者の事を全く配慮していないものとなっていた。


計画とのギャップに戸惑う現場。時間が命の物流。

なんとかして、配送を間に合わさなければいけない。

解決策は?

・・・マンパワーしかなかった。

全国各地の拠点から物流課の人間が集められ、24時間体制で昼も夜も無く働いた。


高野は物流の人間ではなかった。

しかし、その部署で特別決定権をもっている訳でもない彼は「少々業務を抜けても問題なし」と判断された。

そしてマンパワーの足りていない倉庫へ。

この騒動が終わるまで、一時的物流社員として急遽配属となった。


しかし、そこで高野は驚くべき活躍を見せる。

初物づくしの物流課のなかで、毎日のようにトラブルに接する。

見事な発想力と、柔軟な対応でそれをすり抜けていく。

そういったイレギュラーに強い男とは知っていたが・・・。


物流の社員も、倉庫内のパートさんも彼に信頼を寄せていく。

「賢い。出来る。まじめだ。」

そういった評判が水無瀬の部署にも届いていた頃だった。


朝、水無瀬は物流課の人間から声を掛けられ、悪い予感が広がっていくのを感じた。





予想がむずかしい馬券は倍率が上がる。

時には100円を賭けて、1,000万円になったりする時もある。

この一連の事件が終わって、気づいたこと。

これは競馬で言うところの万馬券だったな・・・と。


「我が社は新本社という新しい船を得て~~」

社長は演壇が似合う。

というよりも、演壇にいる社長が水無瀬にとって一番なじみが深いだけの話だ。

神々しい社長ではない。水無瀬のような末端とも呼べる社員に、気さくに声をかける、そんなTOPである。

だが実際、そんなことは滅多にない。

TOPというのは忙しいのだ。それも半端なく。


”そう我が社は新本社という新しい船を得たのです。”

ノートにそう書き込んだ水無瀬は、感想文をすでに考え始めていた。

社長のスピーチ=感想文

この方程式が確立されるのにそう時間はかからなかった。


「10年後のビジョンは~~」

10年後彼は60歳を超えているはずである。

現役宣言をこんなところでされても・・・経営陣の苦笑いが見える。


会社方針説明会。

役員、幹部、拠点のヒラまで全員参加のこの行事。

もちろん、得意の日曜日だ。

慣れてきたのか、諦めたのか、水無瀬は当たり前のように日曜日をこの下らない儀式に費やしていた。


高野の姿がない。

そう気づいたのは各課の点呼の時だった。

風邪を引いて休んでいるならともかく、不在の理由は「作業中」であった。

そう、高野は今まさに働いているのである。


実際何人かの社員は作業中であった。

しかし、本当に忙しく責任のあるポジションならともかく、なぜ1年目の彼が・・・。