ガンジス川のほとりで考えた
「人間の人生はあらかじめ決められているのか」
ニューデリーに着きました♪( ´▽`)
明後日夜の便で日本に帰国します。
コメントメッセージ他返せなくてごめんなさい。
帰国したら返事します。
川の流れを見ながら、何時間も
「人間の人生はあらかじめ決められているのか?」
という事を考えていました。
結果、2つの仮説にたどり着きました。
その1。神様だけが全てを知っていて、
人間にはどうなるのかわからない。
その2。未来はある程度決められているが、
分岐点はいくつかあり、いかようにでもなる。
未来を見ている時の自分と照らし合わせながら
何時間も考えてみました。
その1はインドに来てからの考えで、
その2はそもそも僕の考え方です。
どうしてその1が出てきたかというと、
「偶然という言葉がインドにはない」
という話を聞いたからです。
全てが必然である以上、
未来は決まっている。
つまりは、未来はあらかじめ
決められているという事になります。
ただ、そうなってしまうと
「なるようにしかならないんだなー」という楽観と
「やっぱり決まっちゃってるのか~」という悲観しか
生まれて来ない様な気がして、
なんとも前向きな感情が生まれず
その2は僕の中で外せませんでした。
まだまだ思考が浅いのだとは思うのですが、
以前、「未来とは過去からの延長です」
と書いたように、現在をどう生きるかで
未来は変えられると思います。
ただ、そのチョイス可能な未来も含めて、
神様の手のひらにいるのではないか?
とも思います。
インドで数時間考えたからって
答えが出る話ではないとは思いますが、
必然という概念を
「神様が作るもの」と考えるのか、
「自分自身が作りだすもの」と考えるかで
違ってくると思います。
これを読んでいるみなさん。
ついていない事が起きた時、
確かにそれは必然なのかも知れませんが、
「自分が作り出す必然」だと思ってみてはどうでしょう?
きっと前向きになれると思います。
ちょっと複雑な話になっちゃいましたが、
今日はこの辺で・・・
次回未来の事を書く時は、
もっとわかりやすく書けるよう
考えをまとめるのに努力します。
ではでは、インドより愛を込めて
minaraisi
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