一昨日から降り続いた嵐のせいで、ついに冷蔵庫の中身がからっぽになってしまった。普段食材を買い貯めすることもないし、何より一人暮らしにそこまで大量の食品を保存しておいても食べきれないので、一人家に増え、まる二日家にこもりっぱなしにしていただけで冷蔵庫が空になってしまったのだ。穏やかな日曜日。前日に夜更かしした私はいつもより遅く起床して冷蔵庫を開け、その事実に気がついた。
「どうしよう…」
困り果てながら冷蔵庫の前で腕を組む。本当に何もない。有り合わせで朝食兼昼食を作ろうとすることも出来ない。流石に漬物と白いご飯を出すだなんて、自分一人なら構わないが、今は客人がいるのだ。
まだ二階の、かつて両親が使っていた部屋で眠る彼のことを考える。優しい彼のことだ、そんなお粗末な昼食でもおいしいと言って文句も言わずに食べるのだろうが、そんなことは自分が許せない。
「スーパーは開いてるから、こっそり行ってすぐ帰ってくればバレないかな?」
いつも規則正しい生活をしている恋人だが、昨日の晩は無理を言ってDVD鑑賞に付き合わせてしまった。大分遅い時間まで起きていたのだが、最後の方は目を開けているのがやっとで恐らく映画など身に入っていなかっただろう。その後布団に移動させると、有名なアニメキャラよろしく落ちるように眠りについてしまった。あの様子じゃ、起きて来ることはないはずだ。
そう決めこむと、早速私は二階の自室に戻って財布を取り、そっと階段を下りる。玄関のドアに手をかけた時、後ろからトントン、と何かが肩を叩いた。思わずぎゃあっと酷い声で飛び上がる。
「し、しぃ…!」
振り返ると、真っ黒い服を着た男がぬらりと立っていた。おしゃれなメモ用紙に、『しぃちゃん、どこにいくの?』と達筆な文字で書かれている。
「須賀くんか…。驚かさないでよ」
「…それは、こっちの台詞。しぃちゃん、僕が呼び止めても、真っ直ぐ玄関に行っちゃうから」
どこに行くの、と須賀くんはもう一度尋ねた。それはさながらペットの犬が出かける主人に置いていかれる時の様そのものだ。
ああ、まさか起きてるなんてなあ。失敗しちゃったな。なんて心の中で小さく溜息を吐く。
一昨日から恋人である須賀くんが、阿座河村からわざわざこちらまで遊びに来てくれていた。大学やアルバイトで忙しい私はなかなか彼に時間を作ってあげられない。その話をしたら、僕が会いに行くよと言ってくれたのだ。
わざわざ金曜日を臨時休館にして遠いこちらの街まで足を運んでくれた須賀くんには、こちらの生活を少しでも楽しんでもらいたかった。それなのに彼がこちらについた時には嵐が街を襲い、昨日も引き続き暴風雨で私達は家に閉じ込められた。折角観光案内でもして楽しんでもらおうと思っていたのに。その上冷蔵庫の中身が無くなってご飯が出せません、だなんて格好悪すぎる。だから彼が寝ている間をついてそっと買い物に出たかったんだけど、もうそれも無理そうだ。
私は観念したと言わんばかりに眉を下げ、ごめんね、と彼に謝った。
「冷蔵庫の中身、空っぽなんだ。だから買出しに行こうと思ってて。須賀くんはお客様なんだし、ここで待っててくれる?」
「え、僕も行くよ?」
「ダメ。すぐ帰ってくるから」
「しぃちゃんが、何て言おうと、いやだ」
一人にしたくない。危なっかしいから。
須賀くんはそう言って引き下がらない。危なっかしいのはどっちよ。森での事件の時は、私を助けるためとは言え子どもの霊に飛び込んで戦っていたくせに。…いや、私も似たようなことをしているから、私達は似たもの同士なのかもしれない。――――そうは言っても私だって引き下がれない.
「本当にすぐだってば。テレビ見ててもいいし、私の本棚の本読んでてもいいから」
「いや。しぃちゃんと、一緒に行く」
「須賀くんも強情だなあ…」
このまま玄関を飛び出して強硬手段に出てしまおうか。そんな案を考えるも、あの俊足の彼が私に追いつけないはずがない。どうしようかと頭を捻らせていると、須賀くんが素早く私の財布を取り上げた。あっと声を上げると、須賀くんはオドオドした態度でこう言った。
「あの、しぃちゃん…。じゃあ、こうしよう?僕の行きたいところに、しぃちゃんが、連れてく。それなら、二人でお出かけってことになる、よね」
「…うん、まあ、そういうことならいいけど。でも、こんな時間から行けるところだと、遠くは無理だよ?」
「遠くじゃ、ない。すぐ傍」
すぐ傍?私が首を傾げると、須賀くんはふふっと笑って靴を履いた。寝癖がついた髪の毛が間抜けで可愛くて、私は彼をここに残らせたかったことも忘れてその寝癖を指先でなぞっていた。
須賀くんが来たかったところって、ここ?
隣の彼は黙ってコクンと頷いた。その目は頭上の看板に釘付けだ。緑色と赤色が印象深いその看板にはアラビア数字の七がでかでかと書かれている。
私は訝しげに思い訊いた。
「ここ、コンビニだよ?」
「…うん。コンビニ、来てみたかった」
阿座河村にはコンビニなんてなかったから。須賀くんはそう言って楽しそうにニコッと笑った。
ああ、田舎も田舎なあの村には、買い物できる場所なんて小さな商店くらいしかなかったものなあ。思い返して納得すると、私は彼の手を引いて店内へ入る。すると須賀くんは一目散にレジ傍に置いてあるコーヒーメーカーに目を奪われた。
「し、しぃちゃん!コーヒー屋さんがある」
「それはお金払うとコーヒー淹れてもらえるんだよ」
すごいすごい、と須賀くんは感動しながら、今度は背後にあるレーンへ足を向ける。身長一八〇強の男が小走りで店内をはしゃいで回る姿は少し滑稽だが、私には何だか愛おしいものに見えて胸がほっこりする。
「わあ…。しぃちゃん、お弁当だよ。こっちには、お菓子がたくさん…!」
「コンビニだからねぇ」
「レトルト食品も、売ってる…!缶詰まで!すごいねえ」
「コンビニだからねぇ」
「ボールペン?文具、雑誌まであるの?本当に、噂で聞いてたより、便利…!」
「コンビニだからねぇ」
「本当にすごい。ねえ、しぃちゃん。ここが所謂、しょっぴんぐもーるってやつ、かな」
「コンビニだよ」
色々なお菓子が並んでいる横に、レトルト食品や缶詰が並ぶ。その隣では文房具やちょっとした玩具が並んだりなどして、コンビニ初体験の須賀くんは目をキラキラさせて普段以上のはしゃぎようを見せている。店内にいる他のお客さんの、子どもを見るような温かい視線が少し気になるけれど、彼が楽しいならそれでいいかと自然に笑みが浮かんだ。
お弁当を選んでいると、須賀くんが一直線に端っこのおにぎりコーナーに手を伸ばす。鮭、梅、おかか、昆布。スタンダートな具材のおにぎりを全て籠に入れる。
「おにぎりだけでいいの?」
コクンと頷く。これが食べたかったんだ、と言ってほやっと嬉しそうに笑う。そんなに珍しいものでもないんだけどなあ、と苦笑しながらそのままレジに進んだ。
その後も須賀くんは、コンビニでメール便が送れたり、お中元やお歳暮が買えたりすることに驚いていた。レジの前でそわそわ身体を動かすものだから、店員さんに「大きなわんちゃんみたいですね!」なんて思い切りからかわれたりしたけれど、肝心の須賀くんは全く聞いておらず、ずっとレジ脇のおでんを眺めていた。
そんなこともあったけれど、どうにか無事に彼のコンビニ初体験は終わり、ゆっくりとした足取りで帰路につく。嵐は去り、すっかり青く晴れ渡った空を見上げながら、かさりかさりとビニール袋の音を立てながら二人並んで歩いていく。こんな外出で彼は満足なのだろうかと思いながら横を見やると、須賀くんもこちらを見下ろしていてバチリと視線がかち合った。
「どうしたの?」
「…なんでも、ない」
ぐうう。お腹の底から低く響く音。…私じゃない。容疑者の方を見れば、既に自白と同じ赤面がそこにあった。
「お腹すいたの?食べる?」
「いいの…?」
勿論。ガサガサと袋からおにぎりを取り出す。鮭おにぎりを手渡すと、須賀くんは申し訳なさそうに頭を下げて、恐る恐る包装を被った。はじめて開ける特殊な包装に手間取りながらも、どうにか海苔は破れることなく形を保った。また許しをもらうかのようにこちらに視線を寄越すので、少し母親みたいな気分になりながら、「どうぞおあがりなさい」なんて言ってみる。須賀くんはそれでぱあっと顔を明るくさせると、はむっとおにぎりをかじった。
「いかがかな?」
「…おいしい」
「それは良かった!」
昨日も、一昨日も。彼を楽しませられたか少し不安だった。少しでも彼の希望をきいてあげられたのなら嬉しい。
須賀くんは一気におにぎりを間食すると、指についた海苔をぺろりと舐め取った。そうして自分の手と、私を交互に見て、小さく口を開ける。まだ人通りの少ない昼間の住宅街に、その声はやたら鮮明に響いた。
「でも、しぃちゃんの作ったものの方が、おいしい」
「…!」
殆ど無駄のない、自然な流れで須賀くんが私から袋を持ち去る。そうして空いた私の手を須賀くんのもう片方の手が奪うときゅっと深く絡めた。
見上げてそこにある彼の表情は、青空を背景にやたらふんわりと柔らかくって、私の心まで雲みたいにふわふわになっていく。
(ああ、須賀くんはお客様なのになあ)
おとなしくお客様になってくれればいいのに。
そんな小さな私の願いも無視して、君は私ばっかり幸せにしてしまうんだ。
「…もう、須賀くんには敵わないなあ」
今日のお夕飯ははりきっちゃうぞ!そう宣言すると、須賀くんは待ってましたと言わんばかりの笑顔で、
「じゃあ、二人で買出し、行こうね」
そう言って絡めた手を大きく空に掲げた。
<ある昼下がり>