【写真解説】お土産でいただいた「酒ケーキ」。とてもおいしくて。「お酒呑に好かれる」とのことですが、お酒を一滴も飲めない僕もかなり好きになりました。今回のブログは何かとヤヤこしいこと書いてるので写真は内容と関係ないのを適宜挟んでます。
アメリカのフロリダ州オーランドのゲイの人がよく集うナイトクラブでの銃乱射事件はとても悲しいそして身につまされる様々な思いです。
反同性愛(ホモフォビア)のテロだという報道が最初されたときも落ち込みました。「やっぱりゲイは殺されるかもしれない存在なんだ」と。それはアフリカの国でゲイだとバレた人が公開処刑されたとかそういうニュースを聞いても同じで「ああ、僕は今、たまたまころされてないだけなんだ」ということを実感するものでした。
今回の事件で亡くなった49人のひとたちひとりひとりのことに思いを馳せるというよりは、ゲイである自分自身の身の危険も意外とすぐそこにという、遠いんだか近いんだかわからない怖い気持ちでした。
ヘイトスピーチデモの様子を目の当たりにする在日韓国朝鮮人の人、イスラエルの無差別殺戮されるニュースに接するパレスチナの人はもっともっとこんな気持ちなのかなとか、そんな感じでした。
そして昨日今日と、実は今回の事件の実行者自身がゲイだったのではないかとか、実行者の父親がホモフォビアを強くいう人だが、ところが実行者自身が事件のあったクラブに出入りしていたとか、だけど友人は少なかったとか、いやでも女性と結婚していたとか、正直、もはや日本語になってるニュースがニュースと呼べるシロモノかもよくわかんないのですが、いろいろ目に入るのです。
そうかー、そうなのかーと。そういう事情がコロコロと聞こえるほど、なんでこんな事件が起こったのか、急に身近にリアリティを持って感じられてしまいました。
遠い外国のテロとかでなく、ゲイだということを自分で自覚した瞬間から始まる家族やこれまでの人との関わりへの緊張感、でもその緊張感から解放されて生きられる場所かと思いきやそこでもなかなか上手くいかない孤独感、焦り、自己否定、でも、なんで、なんで自分だけこんなにイライラして、寂しくて、あ、だから友だちいないんだ、てか友だちどころか親しく挨拶できる人もいないし、いや挨拶なんてこっちこそいらんわ、でも、セックスはしたいけど、あーようわからんから殴る、優しい顔して話してくれる「フレンドリーセンター」の専従職員は「同じゲイ同士だから仲良くなれる」かと思いきや、センター以外では会ってくれない、あれ?これって市役所の公務員の相談員さんと同じ?
このへんは勝手な想像ですが。
この事件の背景への僕の勝手な想像は決して、事件の実行者を庇うとか、この人もかわいそうではないです。事件を起こしたこの実行者の存在が背景事情がリアリティを持って想像させられました。
だって、ゲイの人がよく集まるクラブに積極的に行く人は、心を閉ざした人の心のケアのためにそこに行くのではなく、自分自身の解放感や、あるいは自分自身の自尊心や、自分自身の新しい活動の仲間づくりや、自分自身の恋愛や友だち作りのために行くのだから。
孤独は自分で解決するしかない。
だけど、孤独になったのは自分が悪いんじゃなくて、ゲイだということを自分にすら許さない家庭環境や、あるいは容姿や経済力なんかもあるのかもしれない。
どうしようもなくなった果てかと思うと、どうしようもなくツラい話だと。
そんなことで死ななきゃいけない49人の気持ちや家族や友人はどうなるんだと。明るくなればなるほど、明るさに乗り遅れた、乗り込むこともできない人もいるという現実の気がして、ただただ悲しい。
そんな僕はこのあたりのニュースを見ない感じで、facebookなんかでも「忙しいアピール」「ゲイである前に普通の弁護士ですアピール」に余念なく、自分自身の見たくない気持ちも透けて見えるわ。
ホモと呼ばれていたのがゲイとなり、今やLGBTとかなって、僕は明日、新潟弁護士会で開催されるLGBT研修の講師などさせてもらうワケです。弁護士になる前の就職活動で、関西の大手の特許系法律事務所の面接で稼ぎ頭みたいな弁護士から「南くんはもっと男らしくしなきゃね」と言われたコトがウソみたいな世の中ですが、それは社会が変わったのか、「僕だけがイチ抜けた」なのか。
しかし、僕も自分のために、それはお金とかそういう意味ではなく、自分の人生を自分で「良かったね」と言えるためにしていることだから「責められたくない」と思いつつ、やっぱり「悪いことしてる」気持ちはついて回る。
LGBTコミュニティという呼び方がある。意味はわかる。社会を牽引する活動をしている人や団体がなんとなく連絡を取り合って、活動をしていない人にも参加を呼びかけて、何かムーブメントの原動力になるような緩やかな具体的な人の繋がりなのだろう。
でも大阪に暮らす私は、「コミュニティって何県何市の何丁目何番地にあるの?」なんてイジワルを言いそうにもなる。んなもん「弁護士夫夫です」「ゲイです」と言うて本まで書いて、さらには地方をめぐって「LGBTとは」って講演までしてるオノレが言うなの話なんだけど。
さてもさても、複雑である。けっきょくこういうことをグダグダ書いても、フムフムとなるのは当事者あるいはコミュニティに関わる人だろうと思うと、そう、「なんか南くんはまたヤヤこしいこと言い出したよ」という人に、想像してもらえたら。
今回の事件、実行者自身の背景事情が報道されているようなことであれば、それは本当に悲しい。悲しすぎる結末だ。本来であれば、飛びついて抱きついて、抱きしめあって、それまでの「しがらみ」に「クソクラエ」と言ってお互いを愛し合うべき存在のはずが、49もの命を奪うという悲劇となったのだから。
こんなことの犠牲になった49の命のことがたまらなく愛しくてしょうがない。どうすればこの命は報われようか。
と書いてごめんなさい、本の宣伝のリンクも貼ってしまう私です。「僕たちのカラフルな毎日 弁護士夫夫の波瀾万丈奮闘記」です。大阪でありきたりな毎日を送るゲイカップルの弁護士のありきたりな日常を、けっこう読みやすい日本語でホイホイと読み進められるエッセイ本です。