土曜の朝日新聞のフロントランナー。あらためて良い記事だと思います。新聞記事の写真が素晴らしいのですが、見たい人はぜひに下記のリンクから。
僕のパソコンにも貼ってある虹色ダイバーシティのステッカー。
LGBTとまとめていいますが、それぞれが社会で生きる中で直面する困難や葛藤は、その当事者性によりさまざま事情も異なります。みな同じではないのは当たり前です。そりゃシスジェンダーでヘテロセクシュアルであっても男女で社会的な状況が違うように。
でも、問題の根っこは同じだとも僕は思うのです。社会の「当たり前」から「当たり前」のように排除されていること。特に社会の中で性についての「当たり前」から「当たり前」のように排除されていること。
それは生きる世界が家族という小さな枠組みから、幼稚園へ学校へ職場へと大きくなればなるほど強く実感されます。
村木さんの、ゲイの友人が自殺したときの気持ちの感触、職場の上司がゲイをからかう発言をしたときの気持ちの感触、イギリスでそれでも社会は明るいと感じた気持ち、僕も手に取るように自分の体験の中のあの日やこの日が思い出されます。
僕が村木さんと一緒にアメリカ横断LGBTスタディーツアー(IVLP)に参加してもうすぐ1年。こうして「フロントランナー」に取り上げられることは、村木さんにとってもきっと実は勇気がいることでもあったのではと思います。
「ええっ?!活動家なんだから目立てて嬉しいんじゃないの?!」というのは誤解かもしれません。もちろん活動家としては、新聞記事に出ることはとても素晴らしい嬉しいことです。
でも、そんな単純なものではなく。村木さんの仕事は、性によって働きにくくならない職場を目指すコンサル業、ちゃんとした中身がある仕事です。でもこうして有名になると、あたかも「レズビアンと公言することを仕事にしている」という誤解を持つ人もいるでしょう。
また真面目な村木さんだからこそ、自分でしっかり考えて活動をしてもしても「それは違う」「それだけじゃない」と様々な思いから言ってくる人の言葉もズキズキくることもあるでしょう。
僕は、このフロントランナーの記事について、村木さんは勇気を出したことと思いました。だからこそ今回の記事のひとつひとつの言葉が良くて、記事を書いた花房さんにも敬意を表します。
村木さんには天性のマーケティングセンス(?!)があると思うのは「レインボー」ではなく「虹色」という言葉を団体の名前に入れたことです。「レインボー」の音感に少し食傷気味な人にも、また「レインボー」と言われるとちょっとなぁと思う人にも、「虹色」だと語感が入りやすいように感じます。
フロリダでゲイの人たちがよく集っていたナイトクラブがテロに遭ったり、ロサンゼルスでプライドパレードへの襲撃が計画されていたことが判明されたりと、やっぱり怖いしツラい世の中です。
いつか老人になって、しわくちゃになったこのフロントランナーの記事を読み返して、「あー、世の中は変わったなぁ。幸せな老人生活を送れるなんて思ってなかったわ」と言えたらいいね。