「ゲイのための代理出産ビジネス」についての僕の感想。 | 弁護士みなみかずゆきのブログ - ON AND ON -

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今日の午前中は溜まったデスクワークをする予定だったけれど,このことを考えていたら頭がやたら冴えてしまったので,仕事をそっちのけで今のうちに書いておこうと思う。


東小雪さん(元タカラジェンヌでLGBTアクティビスト・作家)の「ゲイのための代理出産と卵子提供セミナー」のブログ記事について,そして「ゲイのための代理出産と卵子提供というビジネスモデル」についての僕の感想だ。




要するに,代理出産と卵子提供という生殖補助医療を活用した「出産ビジネス」で,ターゲットとなる顧客はゲイ,男性同性愛者だということである。


ゲイであるということは恋愛や性的欲求は男性に向いている。女性とセックスしたいとは思わないとか,女性とのセックスが苦手とうことになる。だから女性との間でセックスして遺伝的な意味での自分の子どもを持つことが難しい。もちろん,ゲイでも,女性との間でセックスにより,あるいは女性に自分の精子を提供して,生殖補助医療により遺伝的な意味での自分の子どもを持っている人もいる。


しかし,それでも,多くのゲイにとって,遺伝的な意味での自分の子どもを持つ機会は少ないし,女性との間のセックスや精子提供で遺伝的な意味での自分の子どもがいても,その子を現実に「ゲイである親」として育てるというパターンはなかなか少ないのではないかと思う。


僕もゲイだから,子どもの頃から「あぁ,将来,女の人と結婚しなきゃいけないのかな」「無理にセックスして子どもを作らなきゃいけないのかな」というのはなかなか重たい課題だった。こうしてカミングアウトして本まで出していても「セックスして遺伝的な子どもを持つことができない」ことで,社会との距離を感じることも多い。


現にとある市民講座で会場から「同性婚だなんだと好き勝手なことを言って。子どもを産んで子孫を残すという人類最大の義務を果たさない社会的責任について説明しろ!」と言われたときは,「何をバカなこと言ってんだ」というより前に,グサッと大きく傷ついたものだ。


そんな風なゲイ男性が心に抱きがちな「子どもを持てない葛藤」「子どもを持てないことからくる社会に対する自己否定感」にうまくくいこむのが,まさに「ゲイのための」「代理出産と卵子提供」というビジネスモデルなのだろう。このことは東小雪さんのブログに書かれてある「ゲイが子どもを持つことができるなんて、映画の世界のようで夢みたいだ」という参加者の言葉からも読み取れよう。


が,しかし,よく考えてみよう。「代理出産」において,お金を出す顧客が異性愛者であるか,同性愛者であるか,カップルであるか,シングルであるかは,あまり重要な問題ではないはずだ。


セックスやカップル間での生殖補助医療だけでは子どもを持てない男女のカップル,結婚やカップル生活とは切り離して自分の子どもを持ちたいと思う男性,身体的な事情や生活上の理由から自分自身が「妊娠」「出産」というライフイベントをすることができない女性・・・「子ども」を求めているが「出産」ができないあらゆる人が「代理出産」の潜在的顧客である。


その上で女性にしかできない「出産」というライフイベントと,それにより生まれた「子ども」を商品として取引の対象とするのが「代理出産」ビジネスだ。


そのような「出産」の本質的特徴と,子どもの存在そのものを金銭の対価にしてしまうからこそ,「代理出産は,経済的優位性による女性の身体機能搾取ではないのか?」「子どもという人格を取引する人身売買ではないのか?」「そもそも生命倫理や宗教観に基づいてやってはいけないことなのではないか?」という様々な抵抗感や疑問を多くの人が抱く。


「代理出産」をビジネスモデルとして進めるのであれば,このような多くの人が抱く疑問や抵抗感に対して,ちゃんとクリアに説明してほしい,納得させてほしいと願うところである。「私は良いと思っているからやっている」だけでは,なかなか説得も納得も難しい。


ゲイは男性である。遺伝的な子どもを持つことは男性と女性とで全く意味が異なる。男性は,セックスにせよ精子提供にせよ,遺伝的な子どもを持つにおいて果たすべき役割は,局限すればピンポイントだ。


しかし女性にとって,子どもを持つことの現実味は,男性のそれと大きく異なるのではないか。全ての女性ではないが,女性にとっては,自分で「出産」することが子どもを持つための取り得る大きな選択肢だ。そして女性は必ずしも特定の男性と結婚そのほか家族という関係にならなくとも,セックスや精子提供で「妊娠」して「出産」し,子どもにとっての産みの母親となり,そのまま育ての母親になることもできる。


要するに「出産」というのは,どうしたって女性の問題からスタートすることなのである。男性の「子どもを持ちたい」気持ちは,どこまで高まっても「出産」にはならず,女性による「出産」がなければ,どうやったって男性は自分の遺伝的な子どもを持つことはできない。


だから「出産」を取引の対象とする「代理出産」ビジネスは,何よりもまず女性の生命身体の保護や自己決定の問題をクリアしなければならないと思う。「ほんとに大丈夫なのか?」という疑問が解消されない。


しかし,この「ゲイのための代理出産と卵子提供のセミナー」はそういう様々な疑問点をすっかりスッ飛ばしている。「ゲイでも親になれるのですよ」というと言葉で,子どもを持てないことで自己否定感を抱いているゲイの痛いところに刺し込んで,自分たちのビジネスに巻き込もうとしているのではないかという印象を受ける。


「代理出産」によらずとも「ゲイ」でも子どもは持てる。僕だってレズビアンの友人から「子どもを持ちたいのだけれど,精子提供をしてくれないか」と言われたことは何回かある。もし僕がそれに応じて,そのレズビアンの友人が妊娠していれば,僕は「ゲイだけれど子どもを持った」ことになる。


「ゲイのための代理出産と卵子提供」セミナーでいうところの「ゲイでも子どもを持つ」ことの趣旨が,法律上の父親になること,そして子どもをゲイである親として育てることというのであれば,やはり「代理出産」とのみ直結させることは,潜在的顧客の誤解に乗じて巻き込んでいくビジネスモデルと言わざるを得ないのではないだろうか。


ゲイが子どもを養育することについて「遺伝的に自分の子ども」であることにこだわらなければ,養子により法律上の親になることはできる。「家族として子どもを養育したい」のであれば,里親という社会的養護の枠組みの中でも子どものための家族となる機会も持てる。いずれも制度や運用のハードルは高い。しかし「代理出産」と同じような人権や倫理の問題があると直ちには言えない。


世の中には,女性とセックスして,その女性に自分の遺伝的な子どもを妊娠出産させながらも,法律上の父親として戸籍に記載されてもおらず,現実に子どもに父親として何らの関わりもない(経済的にも情緒的にも)という異性愛者の人もいっぱいいる。


実は「ゲイのための代理出産」というのは,「自分で妊娠出産をしない男性が子どもを手元で自分の子どもとして育てるための生殖補助医療」という大きな問題の一部に過ぎないのである。


そういった様々な疑問点に全く答えることなく,インターネットなどでの批判や問題提起に対して,「妄想だけでネガティブ」「バッシング」として,真正面から向き合わない東小雪さんの姿勢には,ますますもって不安と心配が募る。


東小雪さんは,増原裕子さんと共に,この「ゲイのための代理出産と卵子提供」のビジネスモデルを牽引し主導しているのであるから,将来,このビジネスが実現していく中で,生じる現実の問題について,どこかで責任を負わなければならない可能性だってある。それについて彼女らは準備をじゅうぶんにしているのだろうか。


単純なところでいえば,同性カップルが二人で子育てをしていても,カップルの一方は法律上「アカの他人」であるが,そのことは将来カップルが破綻したとき,極めて深刻な「解決できない子どもの奪い合い」になるのではないかと懸念される。


また,「代理出産」をした母親を匿名として外国で生まれた子どもを,「父親」たる男性が日本に連れてくることにも法律上の問題が生じる懸念だってある。


そういった問題が生じたときに,あるいは「代理出産」に伴うこれまでも議論されてきた様々な問題が生じたときに,「二人で親になれると聞いた!」「代理出産でゲイでも幸せに親になれると聞いた!」と,顧客に詰め寄られたときに,自分たちはビジネスの牽引者として責任を取れるのだろうか。


東小雪さんと増原裕子さんは,自分たち自身ももしかすると「不確かさ」を察知しながらも,エイヤッで表看板として前に出て「ゲイのための代理出産と卵子提供」のビジネスモデルの牽引者となったのだろうか。そうであれば,それこそ自分自身の「不確かさ」を晴らすためにも,多くの人から向けられる疑問や問題提起に向き合ってほしい。


以前,増原裕子さんから「南さんの本が素晴らしかったので,今度,私たちが出す新書でカップル対談しませんか」という提案をいただいた。あまり面識はなかったけれど,有名なお二人から声をかけていただけた嬉しさから快諾した。


しかし,その直後,僕の連れ合いの吉田さんが,ツイッターで東小雪さんと増原裕子さんたちの活動に疑問を呈する人のツイートをリツイートしたことを理由に「前々から批判的なのは知っていた」「本が良かったから声をかけてあげたのに」「こんなリツイートされたら信頼関係が築けない」という理由で,急転直下で増原裕子さんからこれまた一方的にお断りが言い渡された。


そのときは出版社の方も,少しビックリしていた様子だった。しかし僕の日々はそのまま過ぎていき,接点も特にないまま今日に至る。せっかく世の中の注目を浴びているお二人なんだからこそ,自分たちを全肯定しない人たちを,次々と敵視するのではなく,世の中の人,いろんな人が胸にある悩みや葛藤について,大切に関わってもらえたらと思う。


いずれにせよ,「ゲイのための代理出産と卵子提供のセミナー」というのは,あまりにも問題が多く,このような説明であれば,どの切り口からどのようにでも批判がされうるシロモノである。


そうこうしていたら祖母が亡くなったとの連絡が叔母からあった。何年も会えていなかった祖母だったけど,お正月にいろいろな思いから入院中の病院に立ち寄った。誰もいない個室の病室。人口呼吸器で話もできなかったけど「おばあちゃん,ずっと会えなくてごめんね」「死んだお父さんと同じで僕も弁護士になったよ」と声をかけて,同じ言葉を紙に書いて見せたらすごくにっこり笑ってくれた。


お正月に会いに行けて本当に良かった。