ブログにはあんまり真面目な話を書かないのだけど、Facebookに書いたことの転載です。
自民党の稲田朋美さんがアメリカで突然に「LGBTの偏見をなくす」という演説をしたらしい。
自民党は次の参院選、安保法制で離れた中間層を取り込むために、アメリカからも受けがいい、LGBT政策を何らか取って付けて掲げて、そしてLGBT活動家とされる人の中から比例区あるいは東京都選挙区に候補者を立てるだろう。(これは僕の完全に予想に過ぎませんよ。誰がどうしたとかもなく予想ですよ。)
アメリカ共和党にも党内にLGBT組織のログキャビンがあるように、政治的スタンスと個々人の「性」は何らの関係ないからそれはそんなもんだろう。
しかし、現在の自民党の政治的スタンスは、あらゆる人に等しく自由や権利があるという立場ではなく、また国家的集団的な権力的意思が個々人の意思に優先するという立場である。
ということで、現在の自民党がLGBT政策を打ち出しても、あらゆる人の多様な「性」の等しさが法律により確認し保障されるという政策は考え難く、発掘された新しい存在として差別はしないから限られた枠内で社会に貢献しろという政策になるのではないかという気がする。
男女婚姻制度に内在する男女不平等に向き合わざるを得ない同性婚の実現などはもとより想定されておらず、また職場や学校でのハラスメントやイジメという人権侵害から積極的に当事者を守るということも想定されてないだろう。
おそらく、カミングアウトした人を前提に、目に見える差別や偏見や不利益については、それがいけないということを示す政策になるのではないだろうか。
しかし、注意して欲しいのは、今、カミングアウトできる当事者というのは、社会生活上、カミングアウトするしないの選択においてそれが「プラス」になる強い当事者であるということだ。
むしろ本質は、カミングアウトできない、カミングアウトしたいとすら思えない、知られた途端に何されるかわからない「非当事者側の社会の問題」であることに、おそらく今の自民党では、全く想像もできなければ気づいてもいないのではないか。
そりゃそうであって、自民党、特に稲田朋美さんなんかのそもそもの政治姿勢は、「国が個人に何かするではなく、個人が国に何を貢献するか」だから、個人の心の奥の悩みにまでケアする義務は国にはない。
むしろ、カミングアウトできる強い人については、新たに発掘された人材として国に貢献する土壌は提供しましょうと。
同性カップルで不動産屋さんに二人で暮らす部屋を探しに行って、「私たちカップルだから二人暮らしと言ってもルームシェアじゃありません」ということすら言えるカップルと言えないカップルがある。
これは当事者の勇気とかそんなんじゃなくて、むしろ当事者がカミングアウトできる場所にいるか場所にいないかの格差の問題でもある。今、カミングアウトできている人は、実はそれだけでも「アッパー」なのかもしれない。
いずれにせよ自民党が今後、提示するLGBT政策が全てダメだとは思わない。どっちにしたって、非当事者の社会に対しては、世の中には異性愛者だけじゃないということ、世の中にはたくさんのトランスジェンダーやXジェンダーがいるというこが伝わるだろうから。
けっきょく社会に生きる一人一人が何を思い何を考えるかということだろうか。