そういえばTシャツはたまたまヒューマンライツキャンペーン。お友だちからのお土産のTシャツで自分がワシントンDCのヒューマンライツキャンペーンの本部に訪問したときは売ってなかった。
ロサンゼルスのゲイタウンで会った人から「アンタ、そんなTシャツ着てたら、ゲイだってカミングアウトしてるようなもんよ!」と言われて、あーそうなのか。日本だと誰も知らないもんね。
昨日、弁護団会議のあとの飲み会でアメリカに詳しい先輩弁護士から、アメリカ憲法における「人権」の考え方と発想を教えてもらい、すごくわかりやすい話で、けっきょく憲法って私たちが仕切られた国家という枠で暮らすフィクションに過ぎないのかなとか。
進撃の巨人の壁の向こうには巨人がいるから、壁を作って人々は守られているということを信じるから、人々は壁の中で暮らすことができるみたいな。
しつこく憲法の話を書きます。
先週の9日のテレビ番組「池上彰のJAPANプロジェクト」で、「同性婚が禁止されるというのが憲法24条の一般的解釈」というコトが、まるで真実のように報道されて、僕がVTRで「同性婚は憲法24条に違反しません」と言ったことも全体の中で「彼らは独自にそんなこと言ってるだけ」みたく扱われたと言えなくもない演出がされて。
憲法の解釈について、通説でもなければ一般的でもないことを、まるで違うことをメディアが、しかも池上彰さんという影響力の大きい人の番組で放送したことは大きな問題だとほんとに思っていて、
自分ができることって何だろうと思ったら「同性婚は憲法24条に違反していません」のパンフレットでも作って配りまくろうかとか、そんなことも考えたのですが。
夜の国会の本会議。多数決で憲法違反の法律を成立させて、成立させたのだからと成立したと言うわけなのだなぁと。
これがされたということは、あらゆる問題において憲法違反かどうか議論することの意味がなくなったということなんです。
同性婚が憲法24条に違反しないと言うことをどんだけ人に伝えるかじゃなく「そもそも憲法なんて存在する意味ないんじゃね?」みたいなさ。
表現の自由を最大限保障するのが憲法の趣旨ですとか言ってみても「そもそも憲法なんて存在する意味ないんじゃね?」みたいなさ。
一昨日のブログにも書いたけど、この違憲な安保法制を最高裁は違憲だと言わないといけない。裁判所が裁判所として意味を持つのは憲法が裁判所が、ときには国会の立法すら覆すことができると規定しているから。
憲法が規定している国の機関は、国会、内閣、そして裁判所の三つで、それらが対等に均衡していることこそ裁判所の存立意義なんだから。
あー、でもほんと、同性婚と憲法24条のことを考えることすら暗い気分に。「憲法なんて意味ないんですよ」と言った安倍さんや与党の政治家が権力があるのも憲法があるからです。
彼らが憲法を否定したということは力づくで権力取ったと言うてるのと同じですよ。
そしてグリーン車にはイマイチ僕が好きではない記事かいつも多いウェッジ。だからってアエラが面白いわけじゃないしね。
ちなみに、最近、自分の写メをよく載せるのは、ブログを読んでくれた年下の若いイケメンくんが「南さんの写真がカワイイー」と言ってもらったから!ではなく、なんかあまりの顔を含むビジュアルの衰えに驚愕の僕は、自撮りしまくることで、少しは衰えを食い止める意識を持とうと。
何年後とかでなくもうすぐ、アメリカがどこかに軍隊を派兵するにあたり、日本は当然に自衛隊をご当地まで送って、ご当地の国からは日本も敵国だと言われて(そりゃそうだよ軍隊を送ってるんだから)、そんな日がくるのですね。
税金ドンドン使われるよー。そんな外国で戦争するのに税金を使うなら国内の紛争や犯罪の解決のための司法予算増やしてよ。裁判官を増やして裁判の迅速、検察官を倍増させて検察官の過重労動をやめにして検察官の仕事をもっとクオリティあげるようにして、法テラスの値段設定ももっと高くして給付型にしようよ。
外国で戦争するよりも国内の紛争と犯罪の解決にお金を使おうよ。
あかん。。。新幹線で眠すぎてイマイチ文章が散らばってる。。。おやすみなさい。新大阪まで寝る。