国会前のデモではなくて弁護団会議でした。いつもスカイプ会議なんだけど、やっぱり弁護団の仲間と顔を合わせて話して、気持ちも一体になるし、先輩弁護士の話を聞くと、「おおっ。なるほど」と。
その後の飲み会も楽しくて、偶然集まった弁護団なのに、不思議なこの仲の良さ。バンドメンバーのようだ。
LGBTがとうのこうのとかの話はいつもそんなエラそうな話はできないという気持ちにいつもなるのだけど、自分のこと家族とのことなんかになると、あー僕って話を聞いてもらいたいと思ってるのだなぁとか。
そして、講演の後半でアメリカの研修のことや法律のことを話をするのはやっぱり楽しい。自分が面白いと思っている法律の話を、ねぇねぇって人に伝えるのは楽しい。
そして、今日は、いろいろなことがある日だから、最後に少しだけ憲法のことを話ししました。それを最後に書きます。
僕は「同性愛者ってこんなに大変なんですよ、しんどいんですよ、だから配慮してください!」っていう言い方はしたくないです。たしかにそのような伝え方はとてもわかりやすいけれど。
だって「性」というのは誰にもあることで、だからこそどんな「性」でも他人から否定されないとか、廃除されないとか。そういうのがなければ、誰もがそもそも安心して生きられる。
安心して生きる自由は誰にでもあるんです。自由で安全で安心で。そういうのを人権というと思うのですが、人権そのものは、憲法があってもなくても、憲法がある前から誰にもあるんです。
でも国が、それを認めないとか、お前の人権はないとか言ってきたら、そのとき何があるかというと、憲法があるんです。憲法が国は個人の自由を安心を大切にしなあかんと。
だから巻き込まれたくない戦争に巻き込んでいいはずがない。憲法があるから、戦争に巻き込まれず、そして安心できる社会だった。憲法が戦争に巻き込まさないようにしていたから。
誰もが尊重される、みんな安心して暮らせる、その社会が維持できるのは、憲法があるからだと思ってきていたのですが、その秩序も、憲法で選んだ政治家で壊されてしまう。
自分たちで自分たちの憲法を壊してしまう。とても残念でつらいですね。安心して生きられる自由、自分らしく生きられる自由がどんどん緊張ししまうんじゃないかなぁって。
お昼ご飯で食べた天下茶屋駅のカレースタンドのカレーです。