聖書を理解する 63号 | イエス様と生きる

イエス様と生きる

神様を褒めたたえることは
人としてとても大事です
死んだ者はそれが出来ません
死んだ人は神様を崇拝出来ない
生きるならば
本当の神様を崇拝することです

●疑問点➡最初に神は天と地を創造された

●考察➡最初に神様が創造されたのは「世界」ではなく天と地となっています、天と地は別になっています、普通の人は天と地の違いは分かりません、イエス様は天から来たと申しています、地の人は地の人です、天では栄光である神様を褒めたたえているのですが神様が地に来ると苦しめて殺してしまうのです、地では預言者も受け入れられない、イエス様でも苦しみに遭うのです、地の人は神様を褒めたたえないのです、ですからいくら説明しても地の人には無理なのです、地では悪魔であるサタンも地をめぐっているので、神様を褒めたたえている人がいれば、邪魔をするのです、最後の審判までは悪が繁栄して行くのです、イエス様信者は迫害されるのです、地ではどんな苦労も実らないようになっています、地は汚れているので聖地にすることは出来ません、神様のご計画は新天新地です、汚れた地を聖地にするとはなっていません、汚れた地は燃やしてしまうとなっているのです、イエス様を敬うことをしない人の運命は永遠の火で焼かれるともなっています、地は神様を褒めたたえない人が住む場所なのです、天は夜が無く神様の栄光で輝いているとなっています、地の人が改心するのはほぼ無理なのですが、奇跡的にイエス様の言葉を良く聞いて悔い改める人もいる、ほぼ奇跡的な話です、天国の門は狭いとなっていますから、地の人が天国に昇るのはかなり難しいことなのです、聖書は地に住んでいる人がイエス様を信じれば天に昇るという契約の書です、地には悪魔も住んでいるので邪魔されて正しい信仰は出来ないとなっているのです、パウロの福音を信じて天国に行けると教えているキリスト教会の教えは毒麦だと書いても理解出来るものではありません、十字架は天から来たイエス様を呪って処刑した地の人の不信仰です、イエス様を信じていないのに救われることはありません、地の人は地のことしか知らないのです、地の人がイエス様の栄光を褒めたたえるのは奇跡的だと理解出来れば奇跡的に救われるのです、地の人には普通は正しい信仰は無理なのです、だから間違った信仰をしている人に対してもそのままにしておきなさいとなっています、普通は無理なのですが、奇跡的に目覚める人もいるという奇跡的な信仰です、聖書の奇跡はたくさんあります、イエス様が処女から産まれたとか、イエス様が水をワインに変えたとか、ラクダが針の穴を通るとかそんな奇跡より地の人がイエス様を信じる奇跡の方が奇跡なのです、地の人が天に行けるのは大きな奇跡です、イエス様を褒めたたえることが出来るのは奇跡なのです、水の上を歩けなくてもイエス様を褒めたたえることです。