日月神示を繰り返し読む 2024年06月20日 | イエス様と生きる

イエス様と生きる

神様を褒めたたえることは
人としてとても大事です
死んだ者はそれが出来ません
死んだ人は神様を崇拝出来ない
生きるならば
本当の神様を崇拝することです

④日月神示 天つ巻 

二二は晴れたり日本晴れ、二二に御社(みやしろ)してこの世を治めるのです、五大州がひっくり返っていることが神には何より気に入らないのです、一の大神様、二の大神様を祀ってください、三の大神様も祀ってください、天の御三体の大神様、地の御三体の大神様も祀ってください、天から神々様が降臨されるのです、地から御神々様が昇天されるのです、天の御神と地の御神が手をとってうれしうれしの御歌を歌われるのです、日本の国は神の国、神の肉体です、汚してはならないところなのです、これまでの改造は膏薬(こうやく)張りですからすぐ元に返るのです、今度は今までにない、文(ふみ)にも口にも伝えていない改造ですから、臣民界だけではなく神界も引っくるめて改造するのですから、元からの神でないと、そこらにいる守護神様には分からないのです、九分九厘までは出来てもここというところでオジャンになるのです、富や金(きん)を返したばかりでは今度は役に立たないのです、戦(いくさ)ばかりでないのです、天災ばかりでないのです、上も潰れるのです、下も潰れるのです、潰す役は誰にでも出来るのですが、つくり固め(修理固成)のいよいよのことは神々様にも分かってはいないのです、星の国、星の臣民は今は偉く気を張って、世界を構うように申していますが、星ではダメなのです、神の御力でないと何も出来はしないのです、一日の日の間にも天地が引っ繰り返ると申しているのです、ビックリ箱が近づいたのです、九、十に気をつけなさいとくどく申しているのです、神の申すことは一分一厘違わないのです、違っていることならこんなにくどくは申さないのです、同じことばかり繰り返していると臣民は申していますが、この方の申すことは皆違っていることばかりなのです、同じことを申していると思うのは身魂(みたま)が曇っている証拠なのです、改心が第一です、この方は元の肉体のままに生き通しですから、岡本天明にも姿を見せなかったのです、あちこちに臣民の肉体を借りて予言する神が沢山出ているのですが、九分九厘は分かっていても、とどめの最後は分からないですから、この方に従って御用しなさいと申しているのです、砂糖にたかる蟻(あり)にならないでください、百人千人の改心ならばどの様にでも出来るのですが、今度は世界中、神神様も畜生も悪魔も餓鬼も外道も含めた三千世界の大洗濯ですから、そんなチョロコイ洗濯ではないのです、ぶち壊しは出来ても建て直しは分からないのです、火と水で岩戸が開くのです、知恵や学でやると途中でグレンと引っ繰り返ると申していましたが、そのように言えば知恵や学は要らないと臣民は早合点しますが、知恵や学も要るのです、悪も御役であるのです、この道理を良く腹に入れてください、天の神様が地に御降りなされて今度の大層な岩戸開きの指図をなされるのです、国々の神々様、うぶすな様、力ある神々様にも御苦労になっているのです、天照皇太神宮様をはじめ神々様をあつく祀ってくださいと申して聞かせてあるでしょう、神も仏もキリストも元は一つなのです、牛の食べ物を食べると牛の様になるのです、猿は猿、虎は虎となるのです、臣民の食べ物は定まっているのです、いよいよとなってから何でも食べなければばならないようになったなら虎は虎となるのです、獣と神とが分かれるのです、縁ある臣民に知らせておいてください、日本中に知らせておいてください、世界の臣民に知らせてやってください、獣の食べ物を食べる時には、一度神に献げてから食べてください、神から頂いてください、そうすれば神の食べ物となって、何を食べても大丈夫になるのです、何もかも神に献げてからと申してあることの道理は良く分かったでしょう、神に献げきらないと獣になるのです、神がするのではなく、自分がケモノになるのだと申してあることも良く分かったでしょう、くどく申しているのです、八から九から十から百から千から万から何が出るか分からないのです、神に献げなければ生きて行けない様になるのです、悪魔に魅入られている人間はいよいよ気の毒なことが起きるのです、天(あめ)は天の神、国は国の神が治めるのです、お手伝いはあるのですが、秋の空のすがすがしさがグレンと変るのです、地獄に住む者は地獄が良いのです、天国なのです、逆様はもう長くは続かないのです、無理が通用しない時世(ときよ)が来たのです、いざとなったら残らずの活神(いきがみ)様が御総出なのです、二二(ふじ)は晴れたり日本晴れ、二本のお足で歩いてください、二本のお手手で働いてください、日本の神の御仕組みはいつも二本となっているのです、一本足の案山子(かかし)さん、今更どうにもならないのです、一本の手の臣民では生きては行けないのです、一本足では立てないと言うことが最早分かったならば神が与えた二本足で日本のお土に立ってください、二本のお手手を打ち打ちて神を拝んでください、天地(あめつち)に響く誠の拍手に、日本の国は晴れるのです、二二(ふじ)は晴れたり日本晴れ、二二(ふじ)は晴れたり、岩戸開けたり、嵐の中の捨て小舟と申してありますが、今はその通りとなっているでしょう、何うすることも出来ないでしょう、船頭さん、苦しい時の神頼みでも良いのです、神まつりをしてください、神に従ってください、神はそれを待っているのです、苦しい時の神頼みでもしないよりはましなのです、そこに光が現われるのです、光が現われると道がハッキリと分かって来るのです、この方にだまされたと思って言う通りにして見てください、自分でもビックリする様に結構が出来て来るのにビックリするのです、富士の御山に腰かけてこの方が世界中を守るのです、かのととり(辛酉)は結構な日と申してありますが、結構な日は恐い日でもあるのです、天から人が降りたり、人が天に昇ったり、昇り降りで忙しくなるのです、てんし様が御遷(うつ)り願う時が近づいて来たのです、奥山に紅葉(もみじ)ある内にと思っても、いつまでも紅葉はないのです、「ひふみの秘密出でひらき鳴る、早く道展き成る、世ことごとにひらき、世、なる大道で、神ひらき、世に神々満ちひらく、この鳴り成る神、ひふみ出づ大道、人神出づはじめ」一二三の裏に〇一二、三四五の裏に二三四、五六七の裏に四五六の御用があるのです、五六七が済んだら七八九です、七八九の裏には六七八あるのです、八九十の御用もあるのです、だんだんに知らせますから、これまでの神示を良く心に入れてジッとして置いてください、この神示を言波として読んでください、神神様にも聞かせてください、守護神殿にも聞かせてください、守護神殿の改心はまだまだなのです、一日が一年になり百年になると目が廻って真底からの改心でないとお役に立たないことになって来るのです、遠くて近いのは男女だけではないのです、神と人、天と地、親と子、食べる物も遠くて近いのが良いのです、カミを粗末にすればカミに泣くのです、土を尊べば土が救ってくれるのです、尊ぶことを今の臣民は忘れているのです、神ばかり尊んでも何にもならないのです、何もかも尊べば何もかも味方なのです、敵を尊べば敵が敵でなくなるのです、この道理分かりましたか、臣民には神と同じ分霊(わけみたま)を授けてあるのですから磨けば神になるのです、神示は謄写(とうしゃ)しても良いのです、初めは五十八(言葉)で次は三百四十三(文字)です、よいですか、空に変ったことが現われたならば地にも変ったことが起きると心得えてください、いよいよとなって来ているのです、神は元の大神様に延ばせるだけ延ばして頂き、一人でも臣民を助けたいのでお願いしているのですが、もう願い出る方法が無くなったのです、玉串を神に供えるのは衣(ころも)供えることです、衣とは神の衣のことです、神の衣とは人の肉体のことです、臣民を捧げることです、自分を捧げることです、この道理が分かりましたか、人に仕える時も同じことです、人を神として仕えなければならないのです、神として仕えると神となるのです、もてなしの物を出す時には祓い清めて神に仕えると同様にしてください、食べ物は今の半分で足りると申していますが、神に捧げたものか、祓い清めて神に捧げるのと同様にすれば半分で足りるのです、神の世が近づいたのです、海を一つ越えて寒い国に誠の宝を隠してあるのです、これから先いよいよとなったら、神が許して誠の臣民に手柄を立てさせるのです、外国人がいくら逆立ちしても神が隠しているのですから手は着けられないのです、世の元からのことであるので、いよいよが近くなったら、この方の力で出して見せるのです、びっくり箱が開けて来るのです、神の国には神の国のやり方があるのです、支那には支那、オロシヤにはオロシヤ、それぞれにやり方が違うのです、教えもそれぞれに違っているのです、元は一つでありますが、神の教えが一番良いと申しても、そのままでは外国には通じないのです、このことよく心に納めておいて、上に立つ役員殿は気をつけてください、猫に小判では何にもならないのです、神の一度申したことは一分も違わないのです、今度の戦争が終わったらてんし様が世界中を治めて、外国には王は無くなるのです、一旦戦がおさまっても、あとのゴタゴタはなかなか静まらないのです、神の臣民はふんどしを締めて神の申すことをよく腹に入れて置いてください、ゴタゴタが起きた時は何うしたら良いかということも、この神示を良く読んでおけば分かるようにしてあるのです、神は天からと宙からと地からと力を合わせて、神の臣民に手柄を立てさせる様にしてあるのですが、今では手柄を立てさせて、神の御用に使う臣民は一分(いちぶ)もいないのです、神の国が勝つばかりではないのです、世界中の人も草も動物も助けてみな喜ぶようにしなければならないのですから、臣民では見当取れない永遠(とことわ)に続く神世に致すのですから、素直に神の申すことを聞くのが一番です、人間の知恵でやれるならばやって見てください、あちらへ外れ、こちらへ外れて、ぬらりくらりと鰻つかみなのです、思う様にはならないのです、日本の国が本の国ですから日本の国から改めるのですから、日本が一番つらいことになるのです、覚悟はよいですか、自分の腹さえ切れない様なフナフナ腰で大番頭だと言うのは何と恥ずかしいことです、てんし様には申すまでもなく、人民様や犬猫にも申し訳ないのです、人の力ばかりで戦しているのでないこと位分かっているでしょう、目に見せてあるでしょう、これでも分からないから、昔からの生き通しの活神様のすることですから、泥の海にする位朝飯前のことですが、それでは臣民が可哀そうだから天の大神様にこの方が詑びして一日(ひとひ)一日と延ばしているのです、その苦労も分からずに臣民が勝手なことばかりしているなら、神の堪忍袋が切れたら何んなことあるか分からないのです、米があると申して油断しないでください、一旦は天地へ引き上げるのです、何時も気をつけていることですが、神が人を使っているのです、今度の戦争で外国人にも良く分かって神様にはかないません、どうか言うことを聞きますから、夜も昼もなく神に仕えますから許してくださいと申す様になるのです、それには神の臣民の身魂を掃除しなければならないのです、くどい様ですが一時(いちじ)も早く一人でも多く改心してください、神は急いでいるのです、神の力が何んなにあるか、今度は一度は世界の臣民に見せてやらなければ収まらないのです、世界を揺すって知らせなければならない様になるのですが、少しでも弱く揺すって終わる様にしたいのでくどく気をつけているのです、ここまで世が迫って来ているのです、まだ目が覚めないのですか、神は何うなっても知りませんよ、早く気づかないと気の毒になるのです、その時になってからでは間に合わないのです、神の世と申すのは今の臣民の思っている様な世ではないのです、金(きん)は要らないのです、お土からあがったものが光って来るのです、衣類食べ物、家倉まで変るのです、草木も喜ぶ政治と申してあるでしょう、誰でもそれぞれに先の分かる様になるのです、お日様もお月様も海も山も野も光り輝いて水晶の様になるのです、悪はどこにも隠れることが出来ない様になるのです、博打や将棋は無くするのです、雨も必要なだけ降らせてやるのです、風も好きなように吹かせてやるのです、神をたたえる声が天地に満ち満ちてうれしうれしの世となるのです、ミロクの世になるにははじめは半(なか)ば焼くのです、人二分(にぶ)は死んで、人がみな神の宮となるのです、西に戦争(いくさ)し尽くして、神世とひらき、国毎に一二三(ひふみ)三四五(みよいづ)たりて、百千万(ももちよろず)となるのです、神は急ぐのです、十柱の世の元からの活神様が御活動になっていることが分ったでしょう、ケモノの入れものには分からないでしょうが神の臣民には良く分かっている筈です、さらにさらに烈しくなって外国の臣民にも分かる様になって来るのです、その時になってから分かったのでは遅いのです、早く洗濯をしてください、我(が)が無くてはならないし、我があってもならないのです、良くこの神示を読んでくださいと申しているのです、悪はあるが無いのです、善はあるのですが無いのです、この道理が分かったならばそれが善人なのです、千人力の人が善人であるのです、お人好しではならないのです、お人好しは善人ではないのです、神の臣民では無いのです、雨の神殿、風の神殿に特に御礼申してください今の臣民はめくら聾ばかりと申していますが実にその通りなのです、この世はおろか自分の身体のことさえ分かってはいないのです、それでこの世を持って行く積りでしょうか、分からないと申してもあまりにもひどいのです、神の申すことが違ったではないかと申す臣民も今に出て来るのです、神は大難を小難にまつり変えているのが分からないのです、大変なむごいことが起きるのを小難にしてあることが分からないのですか、ひどいことが起きることを待っているのは邪(じゃ)のミタマなのです、そんなことでは神の臣民とは言えないのです、臣民は神に悪い事は小さくしてくださいと毎日お願いするのが勤めなのです、臣民は近欲(ちかよく)だから分からないのです、欲もなくてはならないのです、取り違いと鼻高とが一番恐いのです、神は生れ赤子の心を喜ぶのです、磨けば赤子となるのです、いよいよが来たのです、今に臣民は何も言えなくなるのです、神が烈しくなるのです、目をあけていれないことになるのです、四つん這いになって這い廻らければならないことになるのです、のたうち廻らなければならないのです、土にもぐらなければならないのです、水をくぐらなければならないのです、臣民には可哀そうなのですが、そうしなければ鍛えられないのです、この世が始まってから二度とない苦労ですが、我慢してやり通してください、天の日津久の神と申しても一柱ではないのです、臣民のお役所のようなものであると心得えてください、一柱でもあるのです、この方はオオカムツミノ神とも現われるのです、時により所によってはオオカムツミノ神として祀ってください、青人草の苦瀬(うきせ)を直してやるのです、天明は神示(ふで)書かせる御役です、石が物を言う時が来るのです、草が物を言う時が来るのです、北を拝んでください、北が光るのです、北が良くなるのです、夕方が良くなるのです、暑さ寒さがやわらかくなるのです、五六七(ミロク)の世となるのです、慌てずに急いでください、神々様も皆の産土(うぶすな)様も総活動になるのです、神々様をまつってください、人民様もまつってください、御礼申してください、遅し早しはあるのですが、一度申したことは必ず出て来るのです、臣民は近欲で疑い深くて何も分からないですから疑う者もあるのですが、この神示は一分一厘間違い無いのです、世界をならす(均一)のです、神の世にするのです、善一筋にするのです、誰れかれの分け隔てはないのです、土から草木が生まれるのです、草木から動物、虫けらが生まれるのです、上下にひっくり返るのです、この方オオカムツミノ神として書き知らせるのです、病があるか無いかは手を廻わして見れば直ぐ分かるのです、自分の身体中どこでも手は届くのです、手が届かない所があったら病の所だと直ぐに分かるのです、臣民の肉体の病ばかりではないのです、心の病も同様です、心と身体と一つなのですからよく心得ておいてください、国の病も同様です、頭は届いても手が届かないと病になるのです、手はどこにでも届くようになっているのです、今の国々のみ姿を見てください、み手が届いていないのです、手なし足なしです、手は手の思う様に、足は足です、手無し足無しでは病は直らないのです、臣民の病は足が地に着いていないからです、足を地に着けてください、草木はもとより、犬猫もみなお土に足をつけているでしょう、三尺上は神界です、お土に足を入れてください、青人草と申してあるでしょう、草の心に生きなければならないのです、尻に帆をかけて飛ぶ様では神の御用は勤まらないのです、お土を踏ませて頂いてください、足を綺麗に掃除しておいてください、足が汚れていると病になるのです、足からお土の息が入るのです、臍(へそ)の緒の様なものなのです、一人前になったら臍の緒を切り、社(やしろ)に座って、三尺上で神に仕えても良いのです、臍の緒が切れないうちは、いつもお土の上を踏ませて頂いてください、それほど大切なお土の上を堅めていると、今にみな取り除いてしまうのです、一度は嫌でも応でも裸足(はだし)でお土を踏まなければならないことになるのです、神の深い仕組みですから有難い仕組みですから喜んでお土を拝んでください、土にまつろえと申してあるでしょう、何事も一時に出て来るのです、お土ほど結構なものはないのです、足の裏を特に綺麗にしなければならないのです、神の申すことに素直に従ってください、この方は病を直してやるのです、この神示を読めば病が直る様になっているのです、神示を読んで神の申す通りに行ってください、臣民も動物も草木も病が無くなれば世界一度に光るのです、岩戸が開けるのです、戦も病の一つなのです、国の足の裏を掃除すれば国の病が直るのです、国が逆立ちしてると申してあることを忘れずに掃除してください、上の守護神殿、下の守護神殿、中の守護神殿、皆の守護神殿の改心をしてください、いよいよとなってからでは苦しくて間に合わないことになりますから、くどく気をつけておくのです、病ほど苦しいものはないのです、それぞれの御役を忘れないでください、天地が唸るのです、でんぐり返るのです、世界一度に揺(ゆ)するのです、神は脅すのではないのです、迫っているのです、富士とは火の仕組みです、渦海とは水の仕組みです、今に分かって来るのです、神の国には政治も経済も軍事も無いのです、まつりがあるだけです、まつらうことによって何もかもうれしうれしになるのです、これは政治、これは経済と申して別けているから鰻つかみになるのです、別ければ別けるほど分からなくなって、手に負えないことになるのです、手足は沢山は要らないのです、火垂(ひだり)の臣(おみ)と水極(みぎり)の臣(おみ)とあればよいのです、ヤとワと申してあるでしょう、その下に七七七七七七七と申してあるでしょう、今の臣民は自分で自分の首を絞めているのです、手は頭の一部です、手の頭です、頭は手の一部ではないのです、この道理を良く心得ておいてください、神示を印刷してはいけません、この神示を説いて臣民の文字で臣民に読める様にしたものは一二三(ひふみ)と申してください、一二三は印刷しても良いのです、印刷は結構です、この神示のまま臣民に見せてはならないのです、役員は良くこの神示を見て、その時によりその国によってそれぞれに説いて聞かせてください、日本ばかりでなく、国々所々に仕組みをさせて神柱を作ってありますから、今にびっくりすることが起きるのです、世界の臣民にみな喜ばれる時が来るのです、五六七(みろく)の世が近づいて来たのです、富士は晴れたり日本晴れ、富士は晴れたり日本晴れ、善一筋とは神一筋のことです、この巻は天つ巻と申すのです、しっかり写してください、しっかり伝えてください