聖書を理解する 55号 | イエス様と生きる

イエス様と生きる

神様を褒めたたえることは
人としてとても大事です
死んだ者はそれが出来ません
死んだ人は神様を崇拝出来ない
生きるならば
本当の神様を崇拝することです

●疑問点➡迷える子羊

●考察➡迷っている人が迷わないようになるために聖書もイエス様も存在するのです、聖書を読んだらイエス様だけを神様、先生としなさい、イエス様の言葉を信じるならば主の主、王の王、神の神はイエス様だとなるのです、それ以外の答えは「無い」のです、答えが解からない人は迷っている人です、聖書を読んでパウロの教えが正しいと答えた人は間違ったのです、自分の信仰が正しいと思い込んでいる人は救えません、最後の審判までそのままにしておきなさいとイエス様が教えています、他人の信仰を審判してはいけないのです、正しい伝道はしても良いですが間違った伝道は二人とも穴に落ちてしまいます、伝道は無理しないことです、迷って道を聞いて来る人などはほとんどいません、駅はどこですか?とたまには聞かれますが、何を信じたらいいですか、誰を信じたらいいですかと聞いて来た人はいないです、こちらから勝手に伝道しているだけで、万が一の確率くらいを期待しているのです、聖書ではイエス様だけを信じた者は幸運(ラッキー)です、復活して永遠の命をいただけて、もはや苦しみ悩みの無い世界で生きることが約束されています、悪魔の誘惑でウソの福音を信じた者は歯がみをして外で泣き叫ぶのですが、クリスチャンは自分がそうなるとは微塵も思っていません、キリスト教の信者はパウロの信者だと気づかないのです、信じる福音が間違っているのですからイエス様を信じている者ではないのです、全体は良く見えても毒は毒です、毒入りの教えで救われることはありません、イエス様は罪人の身代わりになって十字架でいけにえとなって死んでくれた、それで罪人は救われたと伝道しているのです、正しい福音はイエス様はメシア、キリスト、救い主だから罪人を許して救う権威がある、それだけです、イエス様は身代わりにならなくても罪人を救えるのです、イエス様はメシアであるという信仰は世界最強の信仰です、世界が待望しているメシアはイエス様である、唯一のメシアはイエス様である、イエス様でなければ世界は救えない、その名を信じた者は幸せが約束されているのです、今は誰も幸せではありませんが幸せは約束されています、約束が書かれているのが聖書です、神様の約束が聖書なのです、耐え忍んで最後までイエス様を信じた者は必ず幸せになれるという約束ですからまだ誰も実現はしていないです、迷うことなく信じていれば命は保障されています、迷っている人は信じていないので保証は何もありません、死ぬとか永遠の地獄とか、どうなるか保証はないです、信じる者は救われるという保証があるのです、信仰とは保証です、聖書は約束の書なのです。