日月神示を繰り返し読む 2024年06月19日 | イエス様と生きる

イエス様と生きる

神様を褒めたたえることは
人としてとても大事です
死んだ者はそれが出来ません
死んだ人は神様を崇拝出来ない
生きるならば
本当の神様を崇拝することです

 

③日月神示 富士の巻

道はいくらでもあるのでどの道を通っても良いのだと言うのは悪のやり方です、元の道は一つです、初めからの元の世の道、変らぬ道があれば良いと言っていますが、どんなことをしても自分さえ立てば良いように申していますが、それが悪の深き腹の一厘です、元の道は初めの道、神のなれる道、神のなかの・なる初めなのです、・は光の真中であり⦿は世の道です、この事に気づく臣民は無いのですが「一が二」と分かる奥の道です、身魂を掃除すればこのことが分かるのです、身魂磨きが第一です、甲斐の浜に立って一(ひ)れを二(ふ)って祓ってください、ひつくの神に仕えている臣民は代わる代わるこの御役をつとめてください、今はまだ分からないのですが結構な御役です、この神示を腹の中に入れて置いてくださいと申しているのに言う事を聞く臣民は少ないのですが、今に後悔するのがよく分かっていますから神はくどく気をつけて置くのです、神示を読めば読むほど神徳があるのです、どんな事でも分かる様にしてあるのです、言うことを聞かなければ一度は種だけにして、根も葉も枯らせてしまって、この世の大掃除をしなければならないのですから、種のある内に気をつけているのです、気づかねば気の毒なことになるのです、今度の祭典(まつり)は御苦労様でした、神界では神々様、大変な御喜びです、雨の神、風の神殿は特に御喜びになりました、大掃除が一応終わったと安緒する時に富士、鳴門がひっくり返るのです、早く改心してください、アメリカやイギリスは当然ですが、ドイツもイタリアもオロシヤも外国はみな一つになって神の国に攻め寄せて来ますから、その覚悟で用意しておいてください、神界ではその戦の最中です、学と神力との戦だと申しているのです、どこから何んなことが起きるか臣民には分からないのです、一寸先も見えないほど曇ってしまい、それでも神の臣民と思っているのですか、畜生にも劣っているのです、まだまだ悪くなって来ますから、まだまだ落ちて沈まなければ本当の改心が出来ない臣民が沢山いるのです、玉とは御魂(おんたま)です、鏡とは内に動く御力です、剣とは外に動く御力です、これを三種(みくさ)の神宝(かんたから)と言うのです、今は玉がなくなっているのです、今は鏡と剣だけです、鏡と剣だけで世が治まると思っているのですが、肝腎の真中が無いのです、それで散り散りばらばらになっているのです、アとヤとワの詞(四)の元が要るのです、この道理が分からないのですか、剣と鏡だけでは戦は勝てないのです、それで早く身魂磨いてくださいと申しているのです、上下は無いのです、上下に引っ繰り返すのです、もう神は待てないところまで来ているのです、身魂が磨けたならば、何んな所で何んなことしていても心配ないのです、神界の都には悪が攻めて来ているのです、一二三(ひふみ)の仕組みが終わったら三四五(みよいづ)の仕組だと申してありましたが、世の元の仕組みは三四五の仕組みから五六七(みろく)の仕組みとなるのです、五六七の仕組とは弥勒(みろく)の仕組みのことです、獣と臣民とハッキリと別れたら、それぞれの本性を出すのです、今度は万劫末代のことです、気の毒なことが起きるので洗濯が大切と申しているのです、今度お役が決まったらそのままいつまでも続くのですから臣民は良くこの神示を読んでおいてください、食べるものがないと言って臣民は不足を申しているのですがまだまだ少なくなって、一時は食う物も飲む物も無くなるのです、何事も行ですから喜んで行をしてください、滝に打たれ蕎麦粉(そばこ)を食べて行者は行をしているのですが、断食する行者もいるのですが、今度の行は世界の臣民の二度とない行ですから厳しいのです、この行が出来る人と我慢出来ない人とがいるのです、この行が出来なければ灰にするより方法はないのです、今度の御用に使う臣民は激しい行をさせて神がうつるのです、今のままでは神の力は何も出てはいないのです、この世のことは神と臣民と一つになって出来ると申しているのです、早く身魂を磨いてください、外国は〇、神の国は・と申してありますが、・は神です、〇は臣民です、臣民ばかりでは何も出来ないし神ばかりでもこの世の事は何も成就しないのです、それで神かかれるように早く大洗濯してくださいと申しているのです、神は急いでいるのです、この御用は大切です、神かかれる肉体が沢山必要なのです、今度の行は〇を綺麗にする行です、掃除出来た臣民から楽になるのです、どこにいても掃除出来た臣民から良い御用に使って、神から御礼申して末代名の残る手柄を立てさせるのです、神の臣民としての掃除洗濯が出来たらこの戦は勝つのです、今は残る臣民は一分も一厘もいないのです、神国の民だと申して威張っているのですが、足許からビックリ箱が開いて、四つん這いになっても助からないことになるのです、穴を掘って逃げても、土にもぐっていても灰になる身魂は灰になるのです、どこにいても助ける臣民は行って助けるのです、神が助けるのではなく神が助かるのです、臣民も神も一緒に助かるのです、この道理をよく腹に入れてください、この道理が分かったら神の仕組みがだんだん分かって来て、何という有難い事かと心がいつも春になるのです、今は善の神の善の力が弱いから善の臣民が苦しんでいるのです、あとしばらくの辛抱なのです、悪神が総がかりで善の肉体に取りかかろうとしているので、よほどふんどしを締めてかからないと負けるのです、親や子に悪の神がかかって苦しい立場にして悪の思う通りにする仕組みを立てているから気をつけてください、神のもう一つ上の神の世のもう一つ上の神の世の、もう一つ上の神の世では戦が終わっているのです、三四五(みよいづ)から五六七(みろく)の世になれば天地が光って何もかも見え透くのです、八月のこと、八月の世界のことは良く気つけて置いてください、いよいよ世が迫って来ると、やり直しは出来ないと申しているのです、いつも剣の下にいる気持で心をひき締めてください、臣民は口で食べる物ばかりで生きているのではないのです、悪の世ですから、悪の臣民が世に出ているのです、善の世にグレンと引っ繰り返ると申すのは善の臣民の世になることです、今は悪が栄えているのですが、この世では人間の世界が一番遅れているのです、草木はそれぞれ神のミコトのままなっているのです、一本の大根でも一粒の米でも何でも貴くなったでしょう、一筋の糸でも光が出て来たでしょう、臣民が本当のつとめをしたならばどんなに尊いことなのか今の臣民には見当とれないのですが、神が御礼申すほどに尊い仕事が出来る身魂なのです、殊に神の国の臣民がみな誠の光を現わしたならば天地が輝いて悪の身魂は目をあけておれないことになるのです、結構な血筋に生まれていながら今の姿は何事ですか、神はいつまでも待てないからいつ気の毒が起きるか分からないのです、戦を恐れていますが臣民の戦位、何が恐いのですか、それより己の心に巣喰っている悪のみたまが本当に恐いのです、山は神、川は神、海も神、雨も神、風も神です、天地はみな神です、草木も神です、神を祀れと申すのは神にまつろうことと申しているのです、神々をまつり合わすことです、皆何もかもまつり合った姿が神の姿、神の心です、皆まつれば何も足らないことはないし余ることはなくなるのが神国の姿です、物足りない物足りないと臣民泣いているのですが、足らないのではないのです、足らないと思っているが、余っているではないですか、上(かみ)の役人殿は先ず神を祀ってください、神を祀って神心となって神の政治をしてください、戦など何でもなく鳧(けり)がつくのです、神界は七つに分かれているのです、天つ国三つ、地(つち)の国三つ、その間に一つ、天国が上中下の三段、地国も上中下の三段、中界の七つ、その一つ一つがまた七つに分かれていて、その一つがまた七つずつに分かれているのです、今の世は地獄の二段目です、まだ一段下があるのです、一度はそこまで下がるのです、今一苦労あるとくどく申してあることはそこまで落ちることです、地獄の三段目まで落ちたらもう人の住めない所ですから悪魔と神ばかりの世になるのです、この世は人間に任せているのですから、人間の心次第なのです、しかし今の臣民のような腐った臣民ではなく、いつも神かかっている臣民が神カカリなのです、神カカリと直ぐ分かる神かかりではなく、腹の底にしっかりと神が鎮まっている臣民です、それが人間の誠の姿です、いよいよ地獄の三段目に入りますから、その覚悟でいてください、地獄の三段目に入ることの表は一番の天国に通じることです、神の誠の姿と悪の見られない姿とハッキリ出て来るのです、神と獣と分けると申してあるのはこのことです、何事も洗濯が第一なのです、いよいよ戦が烈しくなって食うものも無く、何も無くなり、住む所も無くなったら行く所も無くなるのです、神の国から除かれた臣民と神の臣民とどちらが偉いか、その時になったらハッキリするのです、その時になってどうしたら良いかと言うことは神の臣民なら誰でも神が教えて手を引いてやりますから、今から心配せずに神の御用をしてください神の御用だと言って自分の仕事を怠けてはならないのです、どんな所にいても、神がスッカリと助けてやりますから、神の申すようにして今は戦していてください、てんし様をご心配させないようにすることが臣民のつとめなのです、神の臣民は言葉に気をつけてください、悪が江戸に攻めて来たのです、神の土は白は「し」のつく、黄は「き」のつく、青赤は「あ」のつく、黒は「く」のつく山々里々から出て来ますから神の土をよく探して見てください、三尺下の土ならばよいのです、いくらでも必要なだけ出て来るのです、御土(おつち)は神の肉体で、臣民の肉体もお土から出来ているのですこの事が分かったら、お土が尊いことがよく分るのです、これからがいよいよ厳しくなるのです、良く世の中の動きを見れば分かるのです、汚れた臣民があがれない神の国に上がっているではないですか、いよいよとなったら神が臣民にうつって手柄をさせるのですが、今は軽石のような臣民ばかりで神がかれないのです、早く神の申すことを良く聞いて生れ赤子の心になって神の入れものになってください、一人改心すれば千人が助かるのです、今度は千人力を与えるのです、何もかも悪の仕組みは分っていますからいくらでも攻めて来てください、神は世の本からの神の仕組みをしてあるのです、学や知恵でまだ神に勝てるとでも思っているのでしょうか、神には勝てないのです、何もかもてんし様のものではありませんか、それなのにこれは自分の家だ、これは自分の土地だと言って自分勝手にしているのが神には気に入らないのです、一度は天地にお引き上げであると知らせてあったことを忘れてはなりません、一本の草でも神のものです、野(の)から生れたもの、山から取れたもの、海の幸もみな神に供えてから臣民は頂けと申してある理由はそれで分かるでしょう、この神示を良く読んでさえいれば病気もなくなるのです、そのように言えば今の臣民はそんな馬鹿なことあるかと申しますが、よく察してみてください、必ず病も直るのです、それは病人の心が綺麗になるからです、洗濯せよ掃除せよと申せば、臣民は何も分からないので慌てていますが、この神示を読むことが洗濯や掃除の初めで終りです、神は無理は申しません、神の道は無理していないのです、良くこの神示を読んでください、読めば読むほど身魂が磨かれると申しても仕事を怠けてはいけません臣民と申すものは馬鹿正直ですから、神示を読めと申せば神示ばかり読んでいればよい様に思っていますが、裏も表もあるのです、役員はよく知らせてやってください、臣民に分かる様に申すならば身も心も神のものだから、毎日毎日神からミタマを頂いたものと思えばよいのです、それでその身体(からだ)をどのようにしたらよいかと言うことが分かるのです、夜になれば眠った時は神にお返ししているのだと思ってください、それでよく分かるでしょう、身魂磨くと申すことは、神の入れものとして神からお預りしている、神の最も尊いところであると心得て扱うことなのです、一二三は神食、三四五は人食、五六七は動物食、七八九は草食です、九十は元に、一二三の次の食、神国弥栄えです、人は三四五食に病は無いのです(てんし様の三四五、みよいづ食に病は無い)、嵐の中の捨てられた小舟の様に、どこに行くのかどこに行かされるのか、船頭さんにも分からないように、アメリカ、イギリスを花道として味方と思っていた国々も一つになって攻めて来るのです、舵(かじ)も櫓(ろ)も折れた舟のようにどうすることも出来なくなってからの苦しい時の神頼みでは神も手が出せないのです、腐ったものは腐らせて肥料にしようと思っても肥料にもならないものが沢山出来ているのです、北から攻めて来る時がこの世の終りの始めなのです、天にお日様は一つでなく、二つ三つ四つ出て来たら、この世の終りと思ってください、この世の終りは神国の始めと臣民は思ってください、神々様にも知らせるのです、神はいつでもかかれますから人の用意を急いでいるのです、九十が大切だと知らせてあるでしょう、戦ばかりでなく何もかも臣民には見当とれないことになって来るから、上の臣民は九十に気をつけてください、お上に神を祀ってください、神に従ってください、神はくどく申しておくのです、早く祀らねば間に合わないのです、神の国の山々には皆神を祀ってください、川々にもみな神を祀ってください、野にも、臣民の家々にも隅々まで神を祀ってくださいまつりまつりをしてミロクの世となるのです、臣民の身も神の宮となって神を祀ってください、祭典(まつり)の仕方は知らせてあります、神は急いでいるのです、神々様がみな揃われて、雨の神、風の神、地震の神、岩の神、荒の神、五柱、七柱、八柱、十柱の神々様がシッカリとお心を合わせなされて、今度の仕組みの御役が決まって、それぞれに働きなされることになったよき日です、辛酉(かのととり)はよき日と知らせてあるでしょう、これから一日々々烈しくなるのですから臣民は心得ておいてください、物持たぬ人は物持てる人より強くなるのです、泥棒が多くなれば泥棒が正しいということになるのです、理屈は悪魔と知らせてあるでしょう、保持(うけもち)の神様はひどくお怒りなのです、臣民の食べ物は足りるように作らせてあるのに、足りないと申していますが、足りないことはないのです、足りないのはやり方が悪いのです、食べて生きるべきもので人を殺すとはおそろしいことなのです、それぞれの神様にお祀りすればそれぞれの事は何もかも叶うのです、神にまつらわずに臣民の学や知恵は何もならないのです、人の知恵は底知れているのです、戦には戦の神がいるのです、お水に泣くことがあるのです、保持の神様が御怒りなされていますから早く心を入れ替えてください、ウケモチの神様がお怒りになれば臣民は日干しになるのです、神の世の秘密と知らせてありますが、いよいよとなったら地震や雷ばかりではなく、臣民はアフンとして、これはどうした事だと口を開けたままどうすることも出来ないことになるのです、四つん這いになって着る物もなく獣となって這い回る人と空飛ぶ様な人と二つにハッキリ別れて来るのです、獣は獣の性来をいよいよ出すのです、火と水の災難がどんなに恐ろしいか、今度は大なり小なり知らせなければならないことになったのです、一時は天も地も一つに混ぜこぜにするのですから人は一人も生きてはいられないのです、それが済んでから身魂磨けた臣民ばかりを神が拾い上げてミロクの世の臣民とするのです、どこへ逃げても逃げ所は無いのです、高い所から水が流れるように時に従ってください、いざという時には神が知らせて一時は天界へ釣り上げる臣民もあるのです、人間の戦争や獣の喧嘩ぐらいでは何も出来ないのでくどく気をつけておくのです、何よりも改心が第一です、今のうちに草木の根や葉を日に干して貯えておいてください、ウケモチの神様がお怒りですから、九十四は五分位しか食べ物がとれないので、その積りで用意して置いてください、神は気配もない時から知らせて置きますから、この神示を良く読んでください、一握りの米に泣くことがあると知らせてあるのです、米ばかりでなく、何もかも臣民でさえ無くなるところまで行かねばならないのです、臣民ばかりではなく、神々様さえ今度は無くなる方があるのです、臣民と言うものは目の先ばかりしか見えないので、呑気なものですが、いざとなってからの改心では間に合わないからくどく気をつけているのです、日本ばかりでなく、世界中はおろか三千世界の大洗濯と申してあるのです、神にすがって神の申す通りにするより他には道はないのです、それで神々様を祀って上の御方からも下々からも朝に夕に言霊がこの国に満つ世になったら神の力を現わすのです、江戸に先ず神まつれとくどく申してあることが良く分かるのです、神の申すことを何でも素直に聞くようになれば神は何でも知らせてやるのです、配給のことでも統制のことでもわけなく出来るのです、臣民の皆が喜ぶように出来るのです、何もかも神に供えてからと申しているのです、山にも川にも野(の)にも里にも家にも、それぞれに神祀れと申してあるのです、ここの道理がよく分からないのですか、神は知らせてやりたいのですが、今では猫に小判なのです、臣民が神にすがれば、神にまつわれば、その日から良くなると申しているのです、何も難しいことではないのです、神は無理は申さないのです、この神示を読めば分かる様にしてあるのですから役員は早く知らせてやってください、縁ある臣民から知らせてください、印刷出来ないと申せば何もしないでいるのですが、印刷しなくても知らせることは出来るのです、よく考えてください、今の臣民は学に囚えられているとまだまだ苦しい事が起きるのです、理屈ではますます分からないようになるのです、早く神を祀ってください、上も下も、上下揃えて祀ってください、てんし様を拝んでください、てんし様に従ってください、その心が大和魂なのです、益人のます心です、益すとは弥栄えのことで、神の御心です、臣民の心も神の御心と同じことになって来るのです、世界中一度に唸(うな)る時が近づいて来たのです、まつりまつりと、くどく申して知らせてありますが、まつり合わせさえすれば何もかもうれしうれしと栄える仕組みで悪も善もないのです、まつれば悪も善となるのです、まつらなければ善もないのです、この道理は分かりましたか、祭典(まつり)と申して神ばかり拝んでいるようでは何も分からないのです、そんな我れよしでは神の臣民とは言えないのです、早く祀ってくださいと申すことを良く聞き分けてください、我が我がと思っているのは調和(まつり)出来ていない証拠です、鼻高となれば鼻がポキンと折れると申している道理は良く分かるでしょう、この御道は鼻高と取り違いが一番邪魔になると申すのは、慢心と取り違いは調和(まつり)の邪魔になるからです、ここまで詳しく申せば良く分かるはずです、何事も真通理(まつり)が第一なのです、世界は一つになり、一つになって神の国に攻め寄せて来ると申してあることが出て来たのです、臣民にはまだ分からないのですが今に分かって来るのです、くどく気をつけて置いたことのいよいよが来たのです、覚悟はよろしいですか、臣民一人一人の心も同じになっているのです、学と神の力との大戦があるのです、神国の神の力を現わす時が近くなったのです、今現わすと、助かる臣民は殆んどいないので、神は待てるだけ待っているのです、臣民も可愛いのですが、元をつぶすことはならないので、いよいよとなったら、何んなことがあっても、ここまで知らせてあるのですから、神に手落ちは無いのです、いよいよとなってからなぜ知らせないのかと申すのですが、今では何を馬鹿なことと申して取り上げないことはよく分っているのです、因縁のミタマにはよく分かるのです、この神示を読めばミタマの因縁がよく分かるのです、神の御用する身魂は選り抜いて引っ張っているのです、遅い早いはありますがいづれは何うしても、逃げても嫌でも御用させるようになっているのです、北に気をつけてください、東も西も南も何うする積りでしょうか、神だけの力では臣民に気の毒が起きるのです、神と人との和のはたらきこそ神が喜ぶのです、早く身魂磨いてくださいと申すことも、悪い心を洗濯してくださいと申すことも分かるのです、富士(二二)を目ざして攻め寄せる、大船小船天の船、赤鬼青鬼黒鬼や、オロチ悪狐を先陣に、寄せ来る敵は空蔽(おお)い、海を埋めて忽(たちま)ちに、天日暗くなりにけり、折しもあれや日の国に、一つの光現われる、これこそ救いの大神と、救い求むる人々の、目にうつれるは何事ぞ、攻め来る敵の大将の、大き光と呼応して、一度にドッと雨降らす、火の雨などはたまらない、誠の神は無いものか、これはたまらぬ兎も角も、生命あっての物種と、兜を脱がんとするものの、次から次に現われる、折しもあれや時ならぬ、大風起こり雨来たり、大海原には竜巻や、やがて火の雨地(つち)震い、山は火を吹きどよめきて、さしもの敵も悉く、この世の外にと失せにけり、風止み雨も収まって、山川静まり国土の、所々に白衣(しろきぬ)の、神の息吹きに甦る、御民の顔の白き色、岩戸ひらけぬしみじみと、大空仰ぎ神を拝み、地に跪(ひざまづ)き御民らの、目にすがすがし富士の山、富士は晴れたり日本晴れ、普字は晴れたり岩戸(一八十)開けたり、世界中の臣民はみなこの方の臣民ですから、特に可愛い子には旅をさせなければならないですから、どんなことがあっても神の子ですから、神を疑わない様になってください、神を疑うと気の毒になるのです、いよいよとなったなら、どこの国の臣民ということはないのです、大神様の掟通りにしなければなりませんから、可愛い子であると申しても容赦出来ないので、気をつけているのです、大難を小難にまつり変えたいと思っても、今のやり方は、まるで逆様ですから、何うにもならないですから、いつ気の毒が起きても助けられないのです、外国から早く分かって、外国にこの方を祀ると申す臣民が沢山出来る様になって来るのです、それでは神の国の臣民は申し訳ないでしょう、山にも川にも海にもまつれと申してあるのは、神の国の山川ばかりではないのです、この方は世界の神であると申してあるのです、裸になった人から、裸になったその時から善の方にまわしてやると申してありますが、裸にならなければ、なるやうにして見せるのです、いよいよとなってからでは苦しいので今の内であると申しているのです、すべてをてんし様に献げよと申すことは日本の臣民ばかりでないのです、世界中の臣民は皆てんし様に捧げななければならないのです、戦は一度収まる様に見えるのですが、その時が一番気をつけなければならない時です、向こうの悪神は今度は⦿の元の神を根こそぎに無きものにしてしまう計画ですから、その積りでフンドシを締めてください、誰にも知られないように悪の仕組みをしていることは神にはよく分かっているから心配はないのですが、臣民を助けたいので、神はじっと堪えているのです、神の堪忍袋が切れるのです、臣民の思うようにやれるならばやって見てください、九分九厘でグレンと引っ繰り返ると申してありますが、これからはその場で引っ繰り返る様になるのです、誰も行かない、臣民の知れない所で何をしているのですか、神には何もかも分かっていると申してあるでしょう、早く兜を脱いで神にまつわりついて来てください、改心すれば助けてやるのです、鬼の目にも涙なのです、まして神の目にはどんな涙もあるのです、どんな悪人も助けてやるのです、どんな善人も助けてやるのです、江戸と申すのは東京ばかりではないのです、今の様な都会は皆穢土(えど)なのです、江戸はどうしても火の海なのです、それより他にやり方はないと神々様は申して居られるのです、秋が深けて草木が枯れても根は残りますが、臣民が枯れて根の残らないようなことになってはならないのです、神のこの神示を早く知らせてやってください、八と十八と五月と九月と十月に気をつけてください、これでこの方の神示の終わりです、この神示は富士(二二)の巻として一つに纒(まと)めておいてください、今に宝となるのです