日月神示を繰り返し読む 2024年06月18日 | イエス様と生きる

イエス様と生きる

神様を褒めたたえることは
人としてとても大事です
死んだ者はそれが出来ません
死んだ人は神様を崇拝出来ない
生きるならば
本当の神様を崇拝することです

②日月神示 下つ巻

富士は晴れたり日本晴れ、青垣山の下つ岩根に祀ってくれたことは御苦労でした、いよいよ神も嬉しいのです、鳥居は必要ないのです、鳥居とは水のことです、海の水のあることが鳥居となるのです、皆さん御苦労でありました、蛇が岳は昔から神が隠しておいた大切の山ですから人が登らない様にして、竜神となって護ってくれた神々様にもお礼を申すのです、富士は晴れたり日本晴れ、いよいよ次の仕組みにかかりますから早く次の御用を聞いてください、神は急いでいるのです、山晴れ、地(くに)晴れ、海が晴れてから始めて天が晴れるのです、天が晴れて神の働きがいよいよ烈しくなったら、臣民はいよいよ分からなくなりますから、早く神心になっていてください、次々に神示を書かせておくのです、良く心に留めておいてください、この道は宗教ではないのです、教会ではないのです、道ですから、今までの様な教会は作らせないのです、道とは臣民に神が満ちることです、神の国の中に神が満ち満つことです、金儲けはさせませんから欲は捨ててください、今度岩戸開く御用は人の五倍も十倍も働く人でないとつとまらないのです、岩戸を開くと申しても、それぞれの岩戸があるのです、大工は大工の岩戸、左官は左官の岩戸と、それぞれの岩戸あるのです、それぞれ身魂相当の岩戸開いてください、欲が出ると分らないことになりますから神は気をつけているのです、神の御用だと言って自分の仕事を休むような心では神の御用にならないのです、どんなに苦しい仕事でも今の仕事を十人分もしてください神は見通しなのですから次々に良い様にしてやりますから、欲を出さずに素直に今の仕事してください、その上で神の御用をしてください、役員だと言ってそれで食べたり飲んだり暮らしてはならないのです、それぞれに臣民としての役目があるのです、役員顔したら、その日から代りの者を出すのです、鼻がポキンと折れるのです、神で食べて行くことはならないのです、くれぐれも気をつけて置くのです、この神の本当の姿を見せてやるつもりでありましたが、人に見せるとびっくりして気を失うかもしれないので、石に彫らせて見せておいたのに、まだ気づかないから木の型にして見せたのです、それが神のある活動の時の姿です、神を見せ物にしてはならないのです、お山の骨もその通りです、これまで見せてもまだ分らないのですか、何もかも神がさせているのです、心配は要らないから慾を出さずに、素直に御用聞いてください、今度のお山開きは誠に結構なのです、神の活動が烈しくなると神の話しか出来ないことになるのです、神の話は結構なことです、早く皆の者に知らせてください、神は急いでいるのです、お山の宮も五十九の岩で作らせておいたのにまだ気がつかないのですか、それを見ても神が使ってさせていることがよく分かるはずです、それで素直に神の申すことを聞いて我(が)は出すなと申しているのです、何事も神に任せて取り越し苦労しないでください、我が無くてもならないですし我があってもならないのです、今度の御用はなかなか難しいのです、五十九の石の宮が出来たから五十九のイシ身魂をいよいよ神が引き寄せますからしっかりしていてください、今度の五十九の身魂は御苦労の身魂です、普通の人には出来ない辛抱をさせて、生き変り死に変り修行させておいた昔からの因縁の身魂だけですから、みごとに御用をつとめ上げてください、教会を作ってはいけないのです、信者を集めてはいけないのです、無理に引っ張ってはいけないのです、この仕組みは知らせなければならないし知らせてはならないし、神でもなかなかに苦しい世の元からの仕組みなのです、いよいよ岩戸開く時が来たのです、江戸に神と人とが集まる宮を建ててください、建てると申しても家は型でよいのです、仮のものですから人の住んでいる家で良いのです、神の石を祀って神と人を祀ってください、それが出来たら、そこでお告げを書かせるのです、淋しくなった人は集まってその神示を見てください、神示を見れば誰でも甦るのです、この神示をうつす役が要るのです、この神示を印刷してはならないのです、神の民の言葉は神たたえるものと思ってください、てんし様たたえるものと思ってください、人ほめるものと思ってください、それで言霊(ことだま)幸わうのです、それが臣民の言葉です、悪い言葉は言ってはならないのです、言葉はよい事のために神が与えているのですから忘れないようにしてください、今までの神示を縁ある臣民に早く示してください、神々様と臣民がまつり合わせして言答(岩戸)開く元が出来るから、早く知らせてください、誰でも見て読める様に写して神前に置いて、誰でも読めるようにして置いてください、役員は良く考えて、見せる時に間違えない様にしてください、この神示を読んで嬉しかったら人に知らせてください、しかし無理には引っ張らないでください、この神は信者を集めて喜ぶような神ではないのです、世界中の民がみな信者なのです、それで教会のようなことはするなと申しているのです、世界中を大洗濯する神ですから、小さいことだと思っていると見当とれないことになるのです、一二三祝詞する時は、神の息に合わせて宣ってください、神の息に合わせるとは三五七、三五七に切って宣(の)るのです、終わりだけ節(ふし)を長く詠んでください、それを三度詠んで宣りあげてください、天津祝詞の神ともこの方は申すのです、この神示(ふで)皆に読み聞かせてください、一人も臣民が居ない時でも声を出して読んでください、まごころの声で読んでください、臣民ばかりに聞かせるのではないのです、神々様にも聞かせるのですから、その積りで力ある誠の声で読んでください、今度の戦は⦿と〇との大戦争です、神様にも分からない仕組みを世の元の神がなされているのですから、下の神々様にも分からないのです、何が何だか誰も分からないようになって、どちらも丸潰れという所になった折に大神のミコトによってこの方らが神徳を出して、九分九厘という所で神の力が何んなにどえらいものかということを知らせて、悪の神も改心しなければならないように仕組んでいるのです、神の国は神の力で世界の親国になるのです、⦿と〇とは心の中に「・」があるか「・」がないかの違いです、この方は三四五(みよいづ)の神とも現われるのです、江戸の御社(みやしろ)は誰でも気楽に来て拝める様にしておいてください、この方の神示(ふで)を書く役員、神示をうつす役員、神示を説いて聞かせる役員が要るのです、役員は人の後について便所を掃除するだけの心掛がないとつとまらないのです、役員顔したら直ぐに替えミタマを使うのです、八月の十日には江戸に祀ってください、アイウは縦、アヤワは横です、縦横揃って十となるのです、十は火と水、縦横を結んで力が出るのです、何も心配ないからドシドシと神の申す通りに御用を進めてください、臣民は静かに、神が烈しい時の世が近づいたのです、ケモノでさえ神のみ旨に生きているのに神を罵(ののし)る民は災いとなるのです、草木でさえ神の心に従っているではありませんか、神のみ旨にそれぞれに生きているのです、あの姿に早く返ってください、青人草と申しているのは草木の心の民のことです、道は自分で歩むのです、御用は自分でつとめるのです、人がさせてくれるのではないのです、自分で御用するのです、道は自分で開くのです、人を頼ってはならないのです、この神は日本人だけの神ではないのです、自分で岩戸開いていれば、どんな世になっても楽に行ける様に神が仕組んでいるのに、臣民というものは欲が深いから、自分で岩戸を閉めてそれでお蔭ないと申しているのです、困ったものなのです、早く気づかないと気の毒なことが起きるのです、初めの役員を十柱集めるのです、早くこの神示を写しておいてください、神は急いでいるのです、人は逆立ちして歩くことがとても上手になったのですが、そんなことは長く続かないのです、頭が下で手で歩くのは苦しいでしょう、足が上にいては苦しいのです、上下が逆様と申していることがよく分かるでしょう、足はやはり下の方が気楽なのです、頭は上でないと逆様に見えて、苦しくて逆様ばかりうつるのです、この道理は分かりましたか、岩戸開くとは元の姿に返すことです、神の姿に返すことです、道の役員は別ですが、後の役員の役目は手、足、目、鼻、口、耳などの役なのです、役員さんは人の姿をよく見て神の心を悟ってください、ものを動かすのは人のような組織でないと出来ないのです、この道の役員はおのれが自分で自ずからなるのです、それが神の心なのです、人の心と行いとが神の心に融けたらそれが神の国の誠の御用の役員であるのです、この道理は分かりましたか、この道は神の道ですから神心になると直ぐ分かるのです、金銀が要らない世となるのです、御用がうれしくなったら神の心に近づいたのです、手は手の役がうれしいでしょう、足は足の役がうれしいでしょう、足はいつまでも足で、手はいつまでも手なのです、それが誠の姿なのです、逆立して手が足の代りをしていたからよく分かったでしょう、いよいよ世の終りが来たから役員さんは気をつけてください、神世が近づいてうれしいのです、日本は別として世界七つに分けるのです、今に分かって来ますから、静かに神の申すことを聞いて置いてください、この道は初めは苦しいのですが段々良くなる仕組みです、分かった臣民から御用を作ってください、御用はいくらでも、どんな臣民にでも、それぞれの御用がありますから、心配なくつとめてください、臣民ばかりでなく神々様にも知らせなければならないのですからなかなか大変だと申しているのです、一二三の仕組みとは永遠(とわ)に動かない道のことです、三四五(みよいづ)の仕組みとはみよいづの仕組みです、御代出づとは神の御代になることです、この世を神の国に練り上げることです、神を祀ったら三四五の御用にかかりますからその積りで用意して置いてください、この神は世界中の神と臣民とケモノも草木もかまわねばならないのですから、御役はいくらでもあるのです、神と臣民と同じ数だけあるのです、それぞれに神をつけるから早く身魂を磨いてください、磨けただけの神をつけて天晴れ後の世に残る手柄を立てさせるのです、小さいことはそれぞれの神に聞いてください、一人一人何でも聞きたいことは聞いてください、病直すことも、それぞれの神がしますから、サニワでお告を受けてください、この方の家来の神が知らせるから何でも聞いてください、病も直してやるのです、その神を頼ったならば身魂磨けただけの神徳があるのです、この世始まってない今度の岩戸開きですから、これからがいよいよの本番です、飛んだところに飛んだことが起きるのです、それはみな神がさせているのですから、よく気つけていれば、先の事もよく分かるようになるのです、元の神世に返すと申すのはたとえではないのです、七から八から九から十から神が烈しくなるのです、臣民の思う通りにはならないのです、思う通りにならないのは逆立しているからです、世界一度にキの国にかかって来るのです、一時は潰れたように、もう敵わないというところまでになるのです、神はこの世にいないと臣民申すところまでむごいことになるのです、外国が勝ったように見える時が来たら、神の世が近づいたのです、いよいよとなって来なければ分からない様では御用は出来ないのです、この方を祀って神示(ふで)書かせるのは一所ですがいくらでも分け霊(みたま)しますから一人一人祀ってサニワを作ってもよいのです、祀る時は先づ鎮守様に良くお願いしてから祀ってください、鎮守様は御苦労な神様です、忘れてはならないのです、この神には鳥居と注連(しめ)は要らないのです、追い追い分かって来るのです、一二七七七七七忘れてはならないのです、次の世の仕組みであるのです、身魂を磨けば何事も分かって来ると申してあるでしょう、黙っていても分かるように早くなってください、神の国が近づいたのです、知恵でも学問でも、今度は金銀を積んでも何うにもならないことになりますから、そうなったら神を頼るより他に手はなくなりますから、そうなってから助けてくれと言っても間に合わないのです、イシヤの仕組みにかかって、まだ目が覚めない臣民ばかりなのです、日本精神と申して仏教の精神やキリスト教の精神ばかりなのです、今度は神があるかないかをハッキリと神力(じんりき)を見せてイシヤも改心させるのです、神の国のお土に悪を上陸させることは出来ないのですが、悪の神が渡って来ているので、いつか悪の鬼どもが上がるかも知れないのです、神の国だと口先ばかりで申していても、心の内は幽界人(がいこくじん)が沢山いるのです、富士から流れ出た川には、それぞれ名の付いている石が置いてありますから縁ある人は一つづつ拾って来てください、お山まで行けない人は、その川で拾って来てください、ミタマを入れて守りの石にしてあげるのです、ここまで申しても疑う臣民がいるのですが嘘のことならこんなにくどくは申さないのです、因縁のミタマには神から石を与えて守護神の名をつけてやるのです、江戸が元のすすき野になる日が近づいたのです、てんし様を都に移さなければならない時が来たのです、江戸には人が住めない様な時が一度は来るのです、前の様な世が来ると思っていたら大間違いです、江戸の仕組みが済んだらカイの御用があるのです、いまにさびしくなって来るのです、この道が栄えて世界の臣民が皆訪ねて来るようになるのです、学や知恵では外国にかなわないのです、神を頼れば神の力が出るのです、善いこと言えば善くなるし、悪いことを思えば悪くなる道理が分からないのですか、今の臣民は口先ばかりなのです、こんなことでは神の民とは申せないのです、岡本天明は神示を書かせる役です、神の心を取り次ぐ役でもあるのですが、慢心すると誰彼の別なく替え身魂を使うのです、因縁のある身魂はこの神示を見れば心が勇んで来るのです、一人で七人づつ道を伝えてください、その御用が先づ初めの御用です、この神示通り伝えてくれれば良いのです、自分心で説くと間違うのです、神示の通りに知らせてください、我を張ってはならないのです、我がなくてもならないのです、この道は難しいですが縁ある人は勇んで出来るのです、この道は神の道であり人の道なのです、この道の役員は神が命ずることもありますが、己(おのれ)が御用すれば自然と役員となるのです、誰彼の別はないのです、世界中の臣民がみな信者ですから臣民が人間心のままでは見当取れないのも無理ないことですが、この事をよく腹に入れて置いてください、神の土が出るのです、神の土を早く取って用意して皆に分けてやってください、神に心を向ければ、いくらでも神徳を与えて何事も楽にしてやるのです、苦しくなったら何時でも来てください、その場で楽にしてやるのです、神に従えば楽になり、神に逆らえば苦しむのです、生命も金も一旦は天地へ引き上げてしまうかも知れないので、そうならないように心の洗濯第一であると申して、くどく気付けていることがまだ分からないのですか、上、中、下の三段に身魂(みたま)を選り分けてありますから、神の世となったら何事もきちりきちりと面白い様に出来て来るのです、神の世とは神の心のままの世です、今でも臣民が神心になったら何でも思う通りになるのです、臣民は近慾で心が曇っているから分からないのです、今度の戦は神力と学力のとどめの戦なのです、神力が九分九厘まで負けた様になった時に誠の神力を出して、ぐれんと引っ繰り返して神の世にして、日本のてんし様が世界をまるめて治める世にして、天地神々様にお目にかけるのです、てんし様の光が世界の隅々まで行き渡る仕組みが三四五(みよいづ)の仕組みなのです、岩戸開きです、いくら学力が強いと言っても百日の雨を降らせることは出来ないでしょう、百日雨降ると何んなことになるか、臣民には分からないでしょう、百日と申しても神から見れば瞬きの間なのです、・ばかりでもならないし〇ばかりでもならないのです、⦿が誠の神の元の国の姿であるのです、元の神の国の臣民は⦿であったのですが、・が神国に残り〇が外国で栄えて、どちらも片輪となったのです、・だけでも片輪、〇だけでも片輪、・と〇と合わせて誠の神の世にするのです、今度の戦は・と〇との戦争なのです、神の最後の仕組みと言うのは〇に・を入れることです、〇も五であり、・も五です、どちらもこのままでは立っては行かないのです、一厘の仕組みとは〇に神の国の・を入れることです、よく心にしまっておいてください、神は十柱、五十九柱のミタマを待っているのです、五十と九柱のミタマの神々様がお待ちかねですから早く来てください、今度のお役は大層な役なのです、末代に残る結構なお役なのです、岩戸開く仕組みを知らせてやりたいのですがこの仕組みは言ってはならないし、言わねば臣民には分からないので神は苦しいのです、それで早く神心になってくださいと申しているのです、身魂(ミタマ)の洗濯を急いでいるのです、アイカギ、このカギはイシヤと手をにぎることです、世界が引っ繰り返って元の神世に返るということは神々様にも分かっていますし、世界所々にその事の知らせを告げる神柱もあるのですが、最後のことはこの神でないと分からないのです、この方は天地をキレイに掃除して天の大神様にお目にかけなければ済まない御役ですから、神の国の臣民は神の申す様にして、天地を掃除しててんし様に奉らなければならないお役なのです、江戸に神を早く祀ってください、仕組み通りにさせるのですから、臣民は我を取り除いてください、この方を祀るのは天(あめ)のひつくの家です、祀って秋が立ったら、神がいよいよ烈しく、臣民の性来によって、臣民の中にいる神と獣とハッキリ区別しなければならないことになって来るのです、神は急いでいるのです、一が十にと申してありましたが、一が百に、一が千に、一が万になる時がいよいよ近づいたのです、秋が立ったらスッカリと厳しいことになるのです、神の申すことは一分一厘も間違いないのです、改心と申すのは何もかも神にお返しすることです、臣民のものというものは何一つないのです、草の葉一枚でも神のものです、今度の戦争で何もかも埒がついて仕まう様に思っているのですが、それが大きな取違いです、なかなかそんなチョロッコイことではないのです、今度の戦で埒(らち)つく位なら、臣民でも出来るのです、今に戦も出来ず、動くことも引くことも進むことも何うすることも出来ないことになって、臣民は神がこの世にいないと言う様になるのです、それからがいよいよの正念場なのです、誠の神の民と獣とをハッキリするのはそれからです、戦出来る間はまだ神の申すことを聞かないのです、戦が出来ない様になってから始めて分かるのです、神の申すことは少しも違いないのです、間違いのことなら、こんなにくどくは申さないのです、神は気配もない時から知らせていますから、いつ岩戸が開けるかと言うことも、この神示を良く読めば分かる様にしてあるのです、改心が第一なのです、神の国を真中にして世界を分けると申してありますが、神を祀るのと同じやり方です、天(あめ)のひつくの家とは天のひつくの臣民の家です、天のひつくと申すのは天の益人のことです、江戸の富士と申すのは、ひつくの家の中に富士の形を作って、その上に宮を作ってもよいのです、仮でよいのです、こんなに別辞(ことわけ)てはこの後は申さないのです、小さい事はサニワで家来の神々様から知らせるのですから、その事を忘れないでください、仏(ぶつ)も耶蘇(やそ)も、世界中をまるめるのです、喧嘩して大きな声を出す所にはこの方は鎮まらないのです、この事を忘れないでください、この方は祓戸(はらいど)の神とも現われるのです、この方を祀るのは富士に三と所、渦海に三と所、江戸にも三と所です、奥山、中山、一の宮です、富士は、榛名に祀ってくれて御苦労であったのですが、榛名は中山です、一の宮と奥の山にまた祀らねばならないのです、渦海の仕組みも急いでいるのですが、甲斐の仕組みを早くさせるのです、江戸にも三と所、岡本天明の住んでいる所は奥山です、あめのひつくの家は中山であるのです、ここが一の宮ですから気をつけておくのです、この方を祀るのは、真中に神の石を鎮め、その後にひもろぎ、前の右左にひもろぎです、それが「あ」と「や」と「わ」です、その後に三つ七五三とひもろ木を立てさせるのです、少し離れた四隅にイウエオの言霊石を置いてください、鳥居も注連(しめ)も要らないと申してあるのはこのことです、この方を祀るのも、役員の仕事も、この世の組立みも、みな七七七七と申して聞かせてあることにまだ気がつかないのですか、臣民の家に祀るのは神の石だけでよいのです、天のひつくの家には、どこでも前に言う様にして祀ってください、江戸の奥山には八日、秋立つ日に祀ってください、中山は九日、一の宮には十日に祀ってください、気をつけているのに神の神示を読まないから分からないのです、このことは良く読めば分かるのです、今の様なことでは神の御用はつとまらないのです、正直だけでは神の御用はつとまらないのです、裏と表とあると申して気をつけているのです、シッカリ神示を読んでスッキリと腹に入れてください、読むたび毎に神が気をつける様に声を出して読めば、読むだけお蔭あるのです、一瞬(またたき)の間に天地が引っ繰り返る様な大騒動が起きますから、くどく気をつけているのです、さぁ今だという時になってからでは間に合わないので用意してください、戦争の手伝い位ならどんな神でも出来るのですが、この世の大洗濯は、我よしの神では出来ないのです、この方は元のままの身体を持っているのですから、いざとなれば何んなことでもして見せるのです、仮名ばかりの神示と言って馬鹿にする臣民も出て来るのですが、終わりにはその仮名に頭下げて来ねばならないのです、仮名とはカミの名であるのです、神の言葉であるのです、今の上の臣民は自分で世の中のことをやっているように思っているのですが、みな神が化かして使っているのに気がつかないのですか、気の毒なお役も出て来ますから、早く改心してください、年寄や女や盲、聾ばかりになっても、まだ戦争をやめず、神の国の人種の無くなるところまでやり抜く悪の仕組みはもう見てはいれないですから、神はいよいよ奥の手を出しますから、奥の手を出したら、今の臣民ではまず耐えられないのです、身魂が雲っているのですから、それでは虻蜂取らずですから、早く改心しなさいと申しているのです、このことをよく心得てください、神は急いでいるのです、神の土が出ると申していたのですが、土は五色の土で、それぞれに国々所々から出るのです、白、赤、黄、青、黒の五色であるのです、薬のお土もあれば食べられるお土もあるのです、神に供えてから頂いてください、何事も神からいただくのです、八のつく日に気をつけてください、だんだん近づいたのです、辛酉はよき日よき年です、冬に桜が咲いたら気をつけてください、この神に供えられたものは、どんなものでも自分のものにしてはならないのです、参った臣民にそれぞれ分けて喜ばせてください、臣民が喜べば神も喜ぶのです、神が喜べば天地が光って来るのです、天地光れば富士(二二)晴れるのです、富士は晴れたり日本晴れとはこの事です、このような仕組みでこの道をひろめてください、それが政治、経済、真通理(マツリ)なのです、分かりましたか、この道を広めて金儲けしようとする臣民が沢山に出て来ますから、役員さんは気をつけてください、役員の中にも出て来るのです、金(かね)は要らないのです、金がいるのは今しばらくなのです、生命は国にささげても金は自分のものと頑張っている臣民は気の毒になるのです、何もかも天地へ引き上げると知らせてあることが近づいて来たのです、金がかたきとなる世が来たのです、親となり子となり夫婦となり、兄弟となって、生きかわり死にかわりして御用に使っているのです、臣民同士、世界の民はみな同胞だと言うのは喩えではないのです、血がつながっている誠の同胞であるのです、同胞(はらから)の喧嘩も時によりけりなのです、あまりにも分からないと神も堪忍袋の緒が切れるのです、何んな事が起きるか分からないのです、この道の信者は神が引き寄せると言えば役員は懐手でいるのですが、そんなことでこの道が開けると思いますか、一人が七人の人に知らせるのです、その七人が済んだら、次の御用にかからすのです、一聞いたら十知る人でないとこの御用はつとまらないのです、裏表(うらおもて)、良く気をつけてください、因縁の身魂はどんなに苦しくても勇んで出来るのです、世の元からの道であるのです、七人に知らせたら役員となるのです、神が命ずるのではなく、自分から役員になるようにと申しているのです、役員は神の直々の使いであり、神柱です、肉体が男なら魂(たま)は女(おんな)です、この道を十(と)りに来る悪魔がいますから気をつけておくのです、臣民はすぐにも戦争が終わって良い世界が来る様に思っているのですが、なかなかそうはならないのです、臣民に神がうつってしなければならないのですから誠の世の元からの臣民は幾人もいないのです、みな身魂が曇っていますから、これでは悪の神ばかりかかって、だんだん悪の世になるばかりです、それで戦争が終わると思っているのですか、自分の心を良く見てください、よく分かるでしょう、戦争が終わってもすぐに良き世にはならないのです、戦争が終わってからが大切で、胸突き八丁はそれからなのです、富士に登るのにも雲の上からが苦しいのです、戦争は雲のかかっているところなのです、頂上までの正味のところはそれからなのです、一、二、三年が正念場となるのです、三四五(みよいづ)の仕組みと言っているのです、何もかも持ちつ持たれつなのです、臣民が喜べば神も喜ぶのです、金では世は治まらないと申しているのにまだ金を追いかけている見苦しい臣民ばかりなのです、金は世を潰す本なのです、世界の臣民草木まで喜ぶやり方は⦿の光のやり方です、臣民の生命も長くなるのです、てんし様は生き通しになるのです、御玉体(おからだ)のままに神界に入られ、またこの世に出られる様になるのです、死のないてんし様になるのです、それには今のような臣民のやり方ではならないのです、今のやり方ではてんし様に罪ばかりお着せしているのですから、この位不忠なことはないのです、それでもてんし様はおゆるしになり、位までつけて下さるのです、このことよく改心して、一時も早く忠義の臣民となってください、神をそちのけにしたから何も出来上がらないようになったのです、国を盗りに来てグレンと引っ繰り返っているのです、それでも気づかないのですか、一にも神、二にも神、三にも神です、一にも天詞様、二にも天詞様、三にも天詞様です、この道はつらいと感じても貫いてください、だんだんと良くなって、こんな結構なお道かと申すようにしてあるのですから、何もかもお国に献げて自分の仕事を五倍も十倍も精出してください、戦くらい何でもなく終るのです、今のやり方ではとことんに落ちてしまうのです、神はくどく気をつけておくのです、国々の神様、臣民様改心第一なのです、世が変ったら天地が光り、人も光り、草も光り、石も物ごころに歌うのです、雨も欲しい時に降り、風も欲しい時に吹くと雨の神、風の神様は申しているのです、今の世では雨風を臣民がワヤにしているので降っても降らない、吹いても吹かない様になっているのが分らないのですか、盲つんぼの世の中なのです、神のいる場所を塞いでいてお蔭が無いと不足申しているのです、分からないと言っても余りにもひどいのです、神ばかりでもならず、臣民ばかりではなおならず、臣民は神の入れものと申しているのです、のひつくの民と申すのは世界治めるミタマの入れもののことです、民草とは一人を守る入れものです、ひつくの臣民は神がとことん試しに試すのですから、可哀そうですが我慢してください、その代り御用をつとめてくれたなら、末代名を残して、神からお礼申すのです、何事も神は帳面につけとめているのですから間違いはないのです、この世ばかりでなく、生まれ代わりり死に代わり鍛えているのです、今はひつくの臣民は落ちぶれていると申しているのです、今に上が下になるのです、逆立ちがおん返って、元の良き楽の姿になるのが近づいたのです、逆立ちは苦しいのです、改心した者から楽にしてやるのです、御用に使うのです、富士は晴れたり日本晴れ、これで下つ巻の終りですから、これまでに示したことをよく腹に入れてください、神が真中で取次ぎ役員いくらでもいるのです、役員はみな神柱なのです、国々、所々から訪ねて来るのです、その神柱にはみ告げの道を知らせてやってください、日本の臣民はみな取り次ぎ役員です、この方は世界中を丸めて大神様にお目にかけるお役です、神の臣民は世界を一つに丸めててんし様に献げる御役です、この方とこの方の神々と、神の臣民一つとなって世界を丸める御役です、神を祀ってくれたらいよいよ仕組みを知らせる神示を書かせるのです、これからが正念場ですから、ふんどしを締めて取り組んでください、秋が立ったら神が烈しくなるのです、富士は晴れたり日本晴れ、てんし様の三四五(みよいづ)となるのです